帰還した勇者の帰還

「え……? なんで? なんでいるの?」


「俺はまだミカの願いを叶えていないからな」


 私の目の前にはラギがいた。

 最初は幻かと思ったけれど、ちゃんと触れることができている。

 頬をペタペタしていると鬱陶しそうに手を振り払われてしまった。


「そんな理由で? 元の世界に帰ったのでしょ!? やっと戻れたのに何をやってるの! バカじゃないの!?」


 そんなことを言いたかったわけではないのに、感情がぐちゃぐちゃになって押し寄せてくる。


「やり残したことはできたの!? 婚約者は!? どうやって戻ったの!? 魔力は!?」


 吐き出し続けないと胸がパンクしてしまいそうで、考える暇もなく言葉を投げかけるしかなかった。


「そっちは終わった。行くぞ、最終決戦だ」


 本当にラギだ。

 この自分勝手さといい、ぶっきらぼうな感じといい、紛れもなく本物のラギ・ヴェルダナだった。


 私の隣を横切ろうとするラギの腕を掴む。

 待って! と少し大きめの声を出してしまい、ラギは迷惑そうに顔をしかめた。


「正面からはダメ。扉から魔王の玉座までには魔法がかけてあるわ」


「魔法? どんな魔法だ?」


「来訪者を別の場所に転移させる魔法よ」


 それだけでラギは答えにたどり着いた。

 そうか。とだけ呟き、私を見下ろす目がいやらしく笑った。


「なるほどな。それで誰も魔王を倒したのか分からないというわけか」


「えぇ。ここには、一番強く戻りたいと思っている場所に転移させる魔法陣が展開されている」


 だからラギは元の世界に。私はラギと初めて出会った王都に戻された。


 前任の勇者であるロザリーは妹を救うために元の世界に。タナカは異世界を満喫するために王都へ戻された、というわけだ。


「なぜ、それをミカが知っている? 解読したのか?」


「それはもう少し後で教えるわ」


 私はラギの手を引いて玉座の間から離れ、階段を上った。

 そして、玉座の間の上の部屋に入る。

 一部崩落した床の隙間から覗くと、ちょうど魔王の頭上だった。

 やはり、今回も全く動く気配がない。


「いくらなんでも無防備すぎないか? それとも何度も勇者が来るから慣れているのか?」


「どちらもハズレ。さぁ、下に降りるわよ」


 素っ頓狂な声を出すラギを無視して、リュックから取り出したロープを柱に巻きつける。


「正気か!? 落ちたらどうする!?」


「一人ずつなら平気でしょう。魔王が攻撃してくることはないから安心して。先に行って待ってる」


 ロープが緩まないことを確認してから、ゆっくりと玉座の間に降りた私は天井の隙間から顔を覗かせるラギに合図した。


 彼は私よりもゆったりとしたスピードで降りてきた。着地してからも震える膝が彼の心を表しているようだった。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな」


「えぇ」


 鎮座する魔王の正面に回り込む。

 前回、私がフードを剥いでしまったから、その顔は剥き出しになっていた。


 瞳は閉じられ、長いまつ毛がピンと張っていた。

 銀髪に艶はなく、この城と同様に薄汚れている。血色は悪くないが、全体的に細い体つきの女。年の頃は私と同じだ。


「これは!? ミカ! どういうことなんだ!」


 同じように恐る恐るラギが魔王の顔を覗いた。

 化け物でも見てしまったかのように、目を見開きながら私の名を叫ぶ。


「どうして、ミカが……。ミカが魔王? じゃあ、こっちのミカは」


「そう。これも私。ミカトリーチェ・ミッドチルダ」


 人々から魔王と呼ばれている人物は私と瓜二つの顔をしていた。

 双子などではなく、間違いなく私本人だ。


 ラギと一緒に魔王城を訪れたあの日、私は全ての記憶を取り戻した。


「眠っているのか?」


「その私は肉体だけだから、目覚めることはないわ。反対にこっちの私は魂だけの存在。だから、私はどんなに酷い目に遭ったとしても絶対に死なない」


 怪訝な顔をするラギは続きを促して腕組みした。


「私は現ミッドチルダ王の先祖に殺された王族の生き残りなの」


 私の父は次期国王だった。それなのに王位を巡って、叔父がクーデターを起こした。

 私の家族は皆殺しにされたが、父と母は私を王宮の玉座に座らせて魔法を施してくれた。


 一つは強制転移魔法。この玉座の間に展開され、私の元を訪れた者全てを排除する魔法だ。

 もう一つは不老不死の魔法。強制転移魔魔法を突破されたときの保険である。


 私は両親のおかげで唯一生き残った。

 その後、叔父は王都を別の場所に移し、王位について新しいミッドチルダ王国を作り上げたのだった。


 黙って話を聞いていたラギは長く重いため息をついた。


「なんだ。俺と同じじゃないか」


「え?」


「生き残ったミカを魔王と偽り、殺そうとしたわけだな」


「えぇ。最初は騎士や魔術師だったけれど、暗殺者や盗賊も来たわね。遂には異国の勇者まで召喚するようになるなんて呆れるわ」


「で、なんで二人いる?」


「それは私の魔法が関与している」


 私はその人の願いを具現化した能力を発現させる魔法を使うことができる。


 当時の私は素性を忘れて、安全にここから出たかった。

 だから、肉体を安全圏に置いて、記憶を消した魂だけを切り離して旅を始めたのだ。


「自分で旅を始めておいて、終わらせ方が分からなくなったのか」


「滑稽でしょう? 誰でもいいから私の時間を止めて欲しかった」


「いいだろう。願いを叶えてやる」


 少し名残惜しい。でも、これでいいんだ。

 私は生きているべき存在ではない。

 本来ならとっくの昔に死んでいるはすなのに、無理矢理に生かされているだけなのだから。


「我が名はラギ・ヴェルダナ。貴様を殺す者だ」


「ありがとう、ラギ。私はあなたを――」


 痛みはなかった。一瞬の間に死んでしまったのだろう。

 そうだ。本当に死んだのか確かめないと。


 まぶたが開く気配はしても、重くて持ち上がらない。その感覚は初めてではない。

 一度死んで息を吹き返す時はいつも体が重いのだ。


「んっ」


 やっとのことで、まぶたを開けるとラギが私を見下ろしていた。

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