第20話「空は飛べないけど」
後に
多大な
そして、その
そう、先程ミマルが撃墜した敵の爆撃機だ。
ひふみにはそれが、異様な存在だということは感じ取れる。
「やっぱり……他の
その機体は、漆黒に不気味な光を明滅させていた。全身が真っ黒で、光を吸い込むように塗り潰されている。時折発光する、それはまるで呼吸しているようだ。
これが、決号計画の兵器。
手で触れて、問題ないと思ってひふみは手袋を脱ぐ。
じんわり温かいのは、撃墜直後の火災と動力熱だけではないように思えた。
「おう、ひふみ。そっちはどうだ?」
「あ、
「あっちに落ちてたのは、スピットファイアだったぜ」
「スピットファイア、っていうと」
「英国の
「詳しいんですか?」
弾児はもともとは戦闘機乗り、そして特攻隊だ。
まさに、
ならば、目の前の巨大な爆撃機にも見覚えがあるだろうか?
そう思っていると、弾児は「ふむ」と鋭い目つきを更にとがらせる。
「……詳しい型式までは知らねえが、こいつも英国製だな。デ・ハビランド社製、モスキート」
「じゃあ、今度の決号計画は」
「イギリスでボツった兵器の成れの果て、ってとこだろう。見ろ、ひふみ。こいつも前のパンケーキ野郎と同じだ。プロペラがねえ」
片方だけ残った翼のエンジンには、本来あるべき場所にプロペラがない。
以前高高度で戦った
もはや、物理法則などお構いなしの存在なのだった。
「……ひふみ。チキなんだが」
「ええ」
「飛べるようにはできねえのか? ちまちまジャンプして戦ってたんじゃ、
「チキの全備重量を持ち上げる推力、どれくらいいると思います?」
「だよなあ。……せめて
「やめてくださいよ、縁起でもない。それ、人間ミサイルじゃないですか」
「ミサイル? なんだそりゃ」
ひふみは戦時中の兵器にもだが、仕事柄世界中の最新技術には詳しかった。
ミサイルとは、いうなれば高精度の誘導能力を持ったロケット弾である。そして、これからの半世紀を支配する無慈悲な冷戦の申し子……そこまでは、今のひふみには察することはできない。
かつて宇宙を夢見た男がいた。
星の海を駆けるロケットを造るため、その男は
そうしてできあがったのが、いわゆるミサイル……後に
「例えば、ロケット弾は避けられたら終わりですよね」
「ああ。引き付けて引き付けて……急降下! とかな」
「ミサイルっていうのは、避けても追いかけるそうです」
「なんだぁ、そりゃ? 反則じゃねえか」
「アメリカとかソ連は、そういう兵器を作ってるって話です」
「たまんねえなあ。……人が乗ってる訳じゃねえんだよな?」
「熱とか磁気とか、そういうのを探知して追いかける機械とかで」
弾児がふと、遠い目で視線を放る。
どうやら被害は、函館の市街地にも広がっているようだ。
もうすぐ正午だというのに、空は黒煙に
暗雲垂れ込める空は、そのままこの国の未来をあんじているかのようだった。
同時に、ひふみも腕組み思案を巡らせる。
「確かに、今のチキでは航空機と戦うのは厳しいですよね」
「ミマルみたいに自在に動けて、狙撃の腕もありゃ別だけどな」
「あれはまあ、番外みたいなもので……いろはなんか、撃っても当たらないし」
「ありゃ弾の無駄だな。けど、無意味じゃねえさ」
ちょうど背後を通ったいろはが「なんか言った、兄貴! 弾児も!」と
よく、こんな小さな二人の会話をスピーカーから拾えるなと思う。
チキの各種センサーは高精度だが、音響探知能力はそこまでではない
目ざとい……耳ざといいろはは、そのまま「フンだ!」とガシャガシャ行ってしまう。
弐号機の背を見送りつつ、ひふみも仕事に戻ることにした。
「弾児さん、これ……決号計画のモスキート、なにで出来てるんでしょうね」
「この手触り、金属のようでそうじゃねえ。石や木でもねえ」
「最近出回ってるベークライトとかでもないですよね」
「ありゃ、熱に弱いからな」
ベークライト……つまり、今でいうプラスチックのことだ。だが、弾児がいう通りベークライトは熱に弱い。この温度なら、もっとドロドロに溶けて原型を留めていない筈である。
つまり、謎の物質で造られ、謎の霊子力とやらで動く、それが決号計画だ。
やれやれと二人で肩をすくめていると、背後で落ち着いた声が響く。
「調査の結果はどうかね、ひふみ君。弾児君も、御苦労」
ふりむくとそこには、
彼は自分でも
「どちらかというと、生物の甲羅や甲殻に近い気がするのう」
「船長もそう思われますか? ……あ、いや、艦長とお呼びすれば?」
「どっちでも構わんよ。ただ、現状では酒呑に戦闘能力はないんじゃ。入港のために全武装を破棄してしまったからのう」
「……逆にそのことで、本来の空母としての運用が可能なのでは?」
「フォッフォッフォ、載せる
チキは飛べない。
基本的に陸戦兵器だからだ。
本土決戦ともなれば、日本の制空権や制海権は全て連合国が握ることになるだろう。そんな中で局地戦を続けるためだけの兵器、それが本来のチキの姿なのである。
各部のスラスターを使った長距離ジャンプ程度が関の山なのであった。
「函館での補給物資は、チキの脚だけじゃない筈です」
「まあ、今の日本では飛行機産業は禁止されとるからのう……GHQに」
「なあ、
弾児が優秀なパイロットなのは、ひふみにはわかる。
戦闘機とチキ、空と陸の違いこそあれ、弾児の操縦は荒っぽいが無理をしていない。マシーンの限界を知り、そのギリギリまで性能を引き出せる、そういう乗り手に感じていた。
整備の人間には、使われている機体へ手を入れればなんでもわかるものだ。
だが、やはり万里は静かに首を横に振る。
「こういう時、映画じゃったら出てくるんじゃがのう……実は接収を免れた幻の戦闘機、とかがのう」
漫画雑誌とかのように、都合よくそんなものが出てきたりはしない。
だが、以外な声が間に割って入った。
「あら、日本じゃシネマの定番なのかしら? みんな、元気そうね。ひふみ君も」
振り向くと底には、女性士官の笑顔があった。
セリエナである。
彼女は青函連絡船で津軽海峡を渡って、大急ぎで駆けつけてくれたらしい。
「ひふみ君、手紙は呼んでくれたかしら?」
「ええ。ども、お手数をおかけしました」
「気にしないで、これも仕事だもの。で……今度は飛行機がないですって?」
「まあ。別に、飛行機自体じゃなくてもいいんです。こう、チキを飛ばして浮かべるような、そんな……チキチキウィング的な追加装備が造れたらなって」
寝不足なのか、セリエナの美貌がわずかに陰って見える。髪は跳ね放題だし、目の下には黒い隈がくぼんでいた。
それでも、特装班の兵站を任された女性は瞳を輝かせる。
昨日の敵は今日の友、米国人とはいえセリエナは信用できる人物だと再確認するひふみだった。
「
「なにかお
「旧帝国陸海軍の軍用機をGHQが接収して、アメリカ本土に次々と運び出してるのは知ってるわね?」
「あー、確か博物館に飾るとかなんとか」
あと、分解して徹底的に調べる筈である。
東洋の小さな島国、半世紀ちょっと前まで封建社会だった後進国の日本が、どうしてアメリカとあそこまで戦えたのか。どうして数々の傑作戦闘機を造ることができたのか。
それを調べるために今、現存する僅かな軍用機は全て持ち去られた。
――筈だった。
「接収以前に、中破以上の不稼働機が大量に破棄されたの。そのスクラップが保管されてて、順次処理されてるんだけど」
「まさか」
「コンテナの管理番号を入れ替えて、そっくり全部頂いてきたわ。今、
ひふみは驚きに思わず語彙を失った。
かつて空を征した帝国軍の翼……その残滓が少しでも、どんな形でも手に入るなら希望はある。どんなゴミでも鉄屑でも、ひふみにとっては宝の山に思えてしかたがないのだった。
特装保安隊 ながやん @nagamono
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