52 お前なんか興味ない

 ソフィーは羅針盤の金糸雀コンパス・カナリアで他のブックが遠いことを確認し、リオンは影狩の猟犬シャドウハント・ハウンドで周囲に罠がないことを確認した。

 セティは座り込んで、壁に寄りかかると紡ぎ手の蜘蛛ティセランド・アレニェで自分の手足の修復を始めた。

 ソフィーもリオンもそれぞれに座って、水を飲んで一息つく。


「簡単に見つかるとは思ってないけど」


 手足に蜘蛛の糸を巻きつけたセティが、ぽつりと呟く。がらんとした石積みの通路で、その声はよく響いた。

 ソフィーは眉を寄せて、心配を表情に出した。


「そうね。どこに繋がるかはわからないから……」


 上着ジャケットを脱いでズボンの裾をまくって、手足を応急処置テープパッチだらけにしたリオンは、顔をあげた。


書架ライブラリを出てもう一度入るか? 何度も入り直した方が見つかりやすい……かもしれないな」

「休憩が終わったら、それも考えましょうか。セティはそれで良い?」


 セティは不安そうに視線を揺らして、それからこくりと頷いた。


「見つかるかわからなくても、できるだけのことをしたい」

「今はそのために、傷の手当をしましょう。休憩も大事だって、さっきはセティが教えてくれたんだもの」


 ソフィーの言葉にセティは顔をあげて、ソフィーを見つめる。ソフィーが微笑んで、セティは照れくさそうな顔でもう一度頷いた。


   ◆


 傷の修復を待つ間に、セティは道具袋ポーチからチョコレートを一粒出して口に入れた。口の中に広がる甘い匂いを目一杯吸い込んで、ほっと息を吐く。

 ちょうどそのときだった。

 ただの石積みの通路だった周囲の景色が書き変わってゆく。セティは慌てて立ち上がると、紡ぎ手の蜘蛛ティセランド・アレニェをその糸ごと消した。傷はもうほとんど修復できている。大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 ソフィーとリオンも、何事かと立ち上がって周囲を警戒した。ソフィーは水筒を道具袋ポーチにしまって、リオンは脱いでいた上着ジャケットを羽織る。

 のっぺりと無機質な真っ黒い壁の部屋だった。床はグレー。三人から見て奥の方に、ごちゃごちゃと物が置かれていた。

 一番奥にはベッド。たった今まで誰かが寝ていたかのように寝具がぐちゃぐちゃと乱れている。その手前に棚があり、乱雑に様々な物が押し込められるように並んでいる。まるで棚から溢れ出さんばかりに並んでいるのは書架街で売っているような、人間が作った様々な道具だ。

 部屋の真ん中には大きなソファ。そしてソファの上にはたくさんのクッション。そのクッションに埋もれるように、一人の男が座っていた。

 見た目だけなら、ソフィーより少し上、リオンよりも歳下に見える。肩より長い黒い髪はぼさぼさで、青白い顔をしていた。神経質そうな骨ばった手で明かり──人間が魔術を解析して作ったランタンを持って、琥珀色の瞳でそれを眺めている。

 その顔立ちは、どことなくセティに似ていた。髪が黒いから、余計にそう感じられるのだろうか。

 その男はきっと自分の兄グリモワールなのだと、セティは感じていた。シジエムのように自分を連れにきたのだろうか、と警戒して様子を見ていたが、その男は一向に動く気配がない。

 ソフィーもリオンも相手の目的がわからず、警戒しながらもどう動けば良いかわからずに困惑していた。シジエムのように、自分から話してくれる気配もない。

 しばらくそうやって黙っていると、その男は視線も動かさずに口を開いた。


「さっさとその扉から出てってよ、繋げてあるから」


 何か邪魔なものを追い払うかのような物言いだった。セティは瞬きをして、クッションに埋もれた男を見る。


「俺を……連れに来たんじゃないのか……?」


 戸惑いながらもセティが聞くと、その男は手にしていたランタンをローテーブルの上に置くと、上半身をゆっくりとクッションから起こして、ようやくセティを見る。


「みんながみんなお前に興味があるとでも思ってるのか? そんなのは思い上がりだ。自分にそこまでの価値があると思ってるんだろう、うんざりだよ。俺はお前なんかちっとも興味ない」

「あ、あなたは、グリモワールシリーズ……よね?」


 ぽかんとしていたソフィーが、思わずといった様子で問いかける。

 男はソフィーの方をちらりと見て、うんざりした顔をした。


「俺の題名タイトルはドゥジエム・グリモワール。確かにグリモワールだ。

 でも俺がグリモワールだったらなんなんだ。姉さんはセティエムを欲しがってるけど、俺はそういうの興味ないんだ。なのにみんな好き勝手に俺の知識を使いたがる。面倒ったらないよ」


 大袈裟に溜息をついて、ドゥジエムと名乗った男は手を持ち上げた。セティたち三人の後ろを指し示す。

 振り向けば、そこには扉があった。


「さっさとそこから出てってくれ。俺はトワジエムに頼まれただけなんだ、セティエムを連れてこいって」


 セティは男の方を警戒しながらドアに近づく。ドゥジエムは迷惑そうに眉を寄せたまま、ただそれを見ているだけだった。


「おい、本当に行くのか? 罠じゃないのか?」


 リオンの声は戸惑いを隠せていない。セティが振り返ってリオンを見上げる。


「でも、行くしかないだろ」

「ちょっとだけ待って」


 ソフィーが何か思いついたように、ドゥジエムの方を振り返った。


「あの、あなたはグリモワールなのよね。もしかしてあなたの知識は、書架ライブラリがいつも構造を変え続ける、その魔術に関係したものなんじゃない?」


 ドゥジエムはあからさまにうんざりした顔をした。


「俺がそれに答える必要はないと思うけど」

「そうね。でも、もしかしたらと思って聞くけど……。二人の子供が書架ライブラリの中で迷っているの。あなたなら、その二人を探せるんじゃない?」

「探せるとしても、俺がお前たちに協力するはずがない」


 ソフィーは挑戦的な瞳でドゥジエムを見る。


「何か見返りがあれば協力してくれる?」

「……俺が望むのは、誰も俺に構わずに放っておいてくれることだ。協力なんてしない。それに邪魔だ。さっさと行ってくれ。向こうでトワジエムが待ってる」


 もとより、手伝ってもらえるとはソフィーも思っていなかった。仕方ない、とソフィーは小さく息を吐く。


「ああ、でも」


 何か思い出したように、ドゥジエムが声をあげる。何事かと瞬きをするソフィーに、ドゥジエムは馬鹿にするようににやりと笑った。


「子供二人、トワジエムが捕まえてた。つまりお前たちは、さっさとそこから出ていけば良いってことだ。ほら、さっさと行けよ」


 ドゥジエムはぞんざいに、追い払うような手つきをした。


「どのみち、ここから出るしかなさそうだ」


 リオンが溜息まじりにソフィーとセティを見る。ソフィーは「そうね」と肩をすくめた。


「だからさっきからそう言ってるじゃないか。お前たちは馬鹿なのか」


 ドゥジエムの言葉にセティは唇を尖らせたけど、これ以上何を言っても仕方なさそうで、諦めて扉に手をかけた。




   第八章 鋼刺の山荒(メタルソーン・ポーキュパイン) おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る