13 水の中へ
セティの指先から無数に生まれ、舞い散る六角形の氷の結晶。その中に姿を現した氷の兎。
水面に残った氷はすぐに割れ、水はうねって兎を捕まえようとするが、跳ねて逃げ回る兎はいっときも止まることはなく、水から逃げ回っている。
レオンは言葉もなくその様子を見ていたが、はっとしたようにセティの姿を見る。セティは自信たっぷりの表情で、舞い散る結晶の中にいた。
「それで……ここからどうするんだ?」
レオンの言葉は、少しかすれていた。
セティは挑戦的な瞳でレオンを見上げる。その黒い瞳には、氷の結晶がきらきらと映り込んでいた。
「
「水の中に?」
「何をするつもりなの?」
セティはソフィーに向かってにやりと笑ってみせた。
「まあ、見てろ」
セティはそのまま、なんでもないかのように水面に手を触れた。その指先から水が凍ってゆく。その氷を割るように、水が伸び上がる。
セティの腕に水が絡みついて、セティの体を水の中に引きずりこんだ。水しぶきが立ち上がり、氷のかけらが宙を舞う。
「セティ!」
ソフィーが後を追おうとするのを、リオンが腕を掴んで止めた。
水しぶきが落ち着いたとき、セティの姿はそこになかった。
「リオン! 離して! セティを助けなきゃ!」
「ソフィー、落ち着け。
珍しく取り乱すソフィーに、リオンは語気を強くする。ソフィーは泣きそうな顔でリオンを振り向いた。
「でも!」
「あのガキが
リオンに顔を覗き込まれて、ソフィーはようやく、少し冷静さを取り戻した。
(そうだ、リオンの言う通り。
ソフィーは目を閉じて、一回深呼吸をする。次に目を開いたときには、もういつも通りだった。
「ごめんなさい、みっともないとこ見せて。あなたの言う通り、わたしたちはセティを待ちましょう」
それは、覚悟を決めた
リオンはその顔を見て、ようやくソフィーの腕を離した。
「ソフィーのそういう切り替え早いとこ、好きだな。やっぱり俺と組んでよ」
いつものように軽く言うリオンの瞳は、いつものように真剣だ。ソフィーはちょっと眉を寄せて唇の端をあげて、小さく首を振った。
「ごめんね、やっぱり組むつもりはないの。でもリオンのこと、信頼はしてる」
「その答えはずるいな」
ソフィーは曖昧に微笑んで、それ以上は何も言わなかった。話はおしまいというように、水際に立って水面を見つめる。
リオンは仕方ないと言いたげに苦笑して、同じように兎が跳ね回っている水面を見た。
◆
水中に引きずりこまれたセティは、水の中で周囲を見回した。水面が光を映してきらきらと輝いている。セティの周囲には微細な泡が立ち上って白くなっていたが、その向こうはどこまでも、水だった。
動くものは泡だけ。水しかない。けれど、確かにいるはずなのだ、自分を水の中に引きずりこんだ
引っ張られたときに相手の体を掴んだ。掴んだはずだ。その手応えはあったのに、そのまま水のように手の中から逃げられてしまった。
セティの体に絡みつくように、水は重い。水の中で、セティは思うように動けない。
水の中をゆっくりと沈みながら、セティは掌に氷の塊を作ってそれを撃ち出す。反動で、セティは頭から沈んでゆく。水の中を切り進む氷の塊は、だけれど何にも当たらない。
(どこに行った?)
周囲を見回そうとしたその顔に、何かが絡みつく。まるで顔の周囲の水が膜を持ったかのように、それはセティの顔を捕まえて、水の底へと引っ張ろうとする。
白い泡が、その何かの存在を水の中で伝えていた。
(そこか!)
セティは自分の頭の後ろに手をやって、その体を掴む。確かに柔らかなものを掴んだ手応えはあった。なのに、次の瞬間には、その手応えが手の中から消えて、水を掴むだけになってしまった。
(またか!)
苛立ちとともにセティは振り向いたが、そのときにはもう、なんの姿も見えない。そしてまた、セティの喉元に水が絡みつく。
手を振り回したり、体を捻ったりしてみても、それはセティから離れることはなかった。それでも掴めば、またするりと逃げてゆく。
(ああ! もう! どうすれば良いんだ!)
そうしている間にも、セティの体は確実に、沈んでいた。薄暗い水の中を、ゆっくりと、底に向かっている。この
セティは
それに──と、セティは水に引きずり込まれたときのことを思い出す。
ソフィーが心配そうにセティを呼んでいた。自分は
自分でも意外なことに、セティはそれでも悪い気分ではなかった。心配されるというのは、嬉しいことなのかもしれない。それは初めて知ったことだった。
(そうだ、ソフィーは心配してるんだ。早く戻らないと)
そう思ったら、少しだけ冷静になった。
セティは沈みながら、水面を見上げて、考える。水面はさっきよりも遠く、でも光を映してゆらりと揺れていた。
また、水がセティの顔に絡みつく。慌てて捕まえようとしても、また同じことになるだろう。だからセティは、されるままになっていた。
(何か……あるはずだ。できるはずなんだ)
絡みつく水が、セティを深く、深く沈めてゆく。セティはそのまま体の力を抜いて、遠ざかる水面を眺めていた。
諦めたわけじゃない。ただじっくりと、反撃の方法を考えていた。
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