谷崎潤一郎の女性崇拝・補遺

夢美瑠瑠

 谷崎潤一郎文学について、僕は専門家とか、もちろん、そんな烏滸がましいことは言えませんが、自分のパーソナリティーが何となく親近性を持っている、長年の間その作品に慣れ親しんできた、知名度も高い、そういう関係から、何らかの物事を語るのに、一種の投影版?というか水晶玉に何が映るかを占っているような、そういう対象として谷崎氏は恰好の存在ではないか?そういうことで、俎上にのぼせてみたわけです。

 

 結論としては、まだまだ、僕は何か作文を練習し始めてからの日も浅いし、人生自体にもアマチュアで、いつもそうですが、書きたいこともいまいちはっきりしなくて隔靴搔痒で、?今回もそんな気味合いがあってしまっている…


 が、英語に「veteran bore」という表現があって、これは「退屈な人、退屈させるベテラン」という意味ですが、人生には倦み疲れるくらいにベテランでも、人物としては退屈極まりないという場合もあるから、アマチュアなのは伸びしろがあるかもしれないとも言える?


 で、”未完の大器”のまま終わってしまう場合もありうるが、可能性という言葉

は、無限:大と同義とも言える。同じタイプの著述家・もどきとしては文豪・谷崎氏の髙処を目標に頑張りたい…だいたい沢山の文学者、文学作品、それぞれがミクロコスモスであって、その存在意義や存在理由、無数に千差万別で、形式も質量も多種多彩、カクヨムを見てみれば、一目瞭然で、ネットの普及で、少数のエリート?に独占されていた文学的な営為が、民主化されてお手頃になり、却って「野に遺賢あり」という昔の弊は?減ると思われる。そういう明るさというか、風通しの良さは「第三の波」の光の側面で、コミュニケーションが密になることで、例えば昔に「君の名は」というすれ違いや誤解だけで成り立っているような悲劇のドラマがあったが、(古いかw)そういう隔靴掻痒の?つまらない行き違いのナンセンスの類は減ると思う…


 て、谷崎潤一郎氏に戻りますが、氏のどちらかと言うと「HENTAI」じみた女性崇拝、女性への偏執は有名で、確か「悪魔」という小説の中に女性の汚○にアレコレする、ちょっと書くのが憚られるような描写があるというので、国会に呼び出されたことがあったらしい。

 詳しい経緯は知らないですが、そういうスキャンダラスなところが寧ろ谷崎氏の真骨頂で、?なぜそういうことを書いてしまうのか、「鍵」でも「瘋癲老人日記 」でも、「幇間」でも、普通の公序良俗に敢えて反発して人間の、おのれの真実を描き出す、そういう執念の鬼のような文学の求道者、ユニークで徹底的すぎるくらいの女性美への嗜好と愛着、そこが谷崎氏の本懐なのだ、生意気な言い方?ですがそこがネックでありキーポイントなのだと思う。

 そうして性の極限の形、性愛の究極の姿を表現せざるを得ないカルマ?業?を背負っている文学の鬼のようなそういう感じが谷崎文学の嚆矢、異様なまでの存在感の来歴なのだと思います。

 大袈裟になったですが、古い文学者にしては谷崎潤一郎は本当にラジカルで、ユニークで、奥が深いと思う…まだまだ生半可ですが、自分にとってはやはり一期一会で唯一無二の、不滅の金字塔、望蜀の嘆の蜀?、もっとも模範にしたい目標の人物なのかなあ、と思う…


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谷崎潤一郎の女性崇拝・補遺 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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