二十一 愛しき我が子よ③

 ◆◇◆◇◆

 


 眩い午後の日差しが、揺籠で眠る赤子――慶に降り注ぐ。

 舜の指先が恐る恐るだがその頬に触れたなら、慶の小さな手が懸命に掴んだ。

 慶には黒い靄はなく、まだ少ない表情でも笑っているようにも見えた。まだ笑えるはずはないのに、舜の瞳に映る赤子という純粋な存在は、未だ未知数である。だが、舜の心に確かな安らぎを与えていた。

 

 されども、その様子に不安を覚えていたのか、揺籠の反対から不安を孕んだ女の声が舜に降り注いだ。


『陛下、本当に宜しいのですか? 慶は……』


 舜は慶から顔を上げて、双眸に女――蒿李こうりを捉えた。

 今は時折見せる、幸福なる笑顔はなく、ただただ黒い靄に阻まれている。

 いつもそうだ。

 舜が慶を我が子のように接すれば、その分、蒿莉は不安に苛まれたままに言葉を吐く。

 不安の種は、舜が慶を我が子と言えば言う程に根付いていく。

 蒿李の不安は増すばかりなのを知りつつも……知っているからこそ、舜は悠然と言葉を返すだけだった。

 

『良いんだ。慶はだ』


 舜は安心させたかった。そう言い切ってしまえば、蒿李の不安はいつか消えると信じていた。その時ようやく、になれると――

 



 ◆◇◆◇◆




 舜の剣が常闇を斬り裂いた。

 線を引いた舜の剣は陽の気質に満ちて、陽の気に当てられた枯れ枝の身体が悲鳴を上げながら崩れていく。


 蟲達も異変に気づいて飛び立とうとするが、既に悪鬼に陽の気が巡って動けないまま、ぼとり――ぼとり――と地に落ちては消えていった。


 舜は崩れゆく悪鬼の中、舜が切り裂いた胎から、ずるりと細く白い腕が垂れ下がる。生きた女の腕と理解した瞬間に、舜はその手を掴んだ。


「蒿李!!」


 腕を引っ張ると、悪鬼の中に埋まっていた肉体が顔を出す。ずるずると黒衣のままに現れた女の顔は青白い変色こそあったが、脈動を打ち、呼吸を繰り返し少しづつではあったが、青白かった頬に赤みが戻りつつあった。


 生きている。舜にはそれだけで十分だった。

 引き摺り出した蒿李の身体を抱えてその場から離れようと既に肉塊を見上げる。

 本当にこのまま全てが崩れ落ちるのだろうか、そんな不安が過ぎって、視認しなければ気が済まなかった。


 そう、例えるならば嫌な予感。

 舜が、目線を上へと上げると、残っていた枯れ枝が、少しづつ崩れ落ちながらも、モゾモゾと動いた。

 蛇の如く蔦を崩れる巨躯に這わせ、失った宿主を求めて弱々しくも手を伸ばそうとする。


 まるで、宿主であった、母を求めるが如く。


 眠る蒿李を抱えたままでは、剣は抜けない。

 舜はゆっくりと目を逸らさずに背後へと下がる、が。

 途端に、枯れ枝の動きが速くなった。最後の力を振り絞り、枯れ枝は舜を射殺さんと矢を撃ち放つ程の勢いづいた。それが、一瞬にして舜の脳天を突き刺さんと差し迫った。

 枯れ枝の動きが金の瞳に映るも、舜は剣を抜く事もままならない。


 けれども、何故だろうか。舜は、その枯れ枝が己が脳天迫り来る姿を見ても尚、死の恐怖は浮かばなかった。


『大丈夫ですよ』



 その時は、正に瞬く間であった。

 舜の額を貫くすんで。雷鳴と見間違う程の勢いで、空から舞い降りた流麗は悪鬼の脳天に黒く染まった剣を突き立てていた。

 悪鬼の頭がぐしゃりと潰れると同時に、枯れ枝の末端も動きを止めた。

 

 羅刹女らせつにょの如き目が、眼下の悪鬼に容赦ない殺意を向ける。殺意が剣を伝い悪鬼へと流れて、動きを止めているのだ。


 流麗の左手が印を結べば、流麗の身体から幾重にも重なった鴉達が溢れ出す。陰の気と禍が混じり合ったような気配を携えた鴉達。


「もう我慢しなくて良い、たらふく喰らえ」


 羅刹女の静かなる殺意と共に、鴉達は悪鬼に群がり、禍を喰む。

 その全ての光景を、金の瞳は何一つ取り零す事なく映していた。

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