十八 暗雲

 食時しょくじの正刻(八時頃)の鐘が鳴り響く。

 ゴーン、ゴーン――と五回鳴り終えると、辺りは静けさで包まれた。

 既に日は昇るも、灰色雲が空を覆って光を遮り、小寒い冷気が差し迫った秋の終わりを告げているよう。直に冬だ。



 寒気を纏いながらも、舜は流麗と共に後宮へと向かっていた。足取りは重い。一番の理由は、己と流麗の腰にあるものだろうか。


 剣を二つ貸して欲しいと流麗は願い出た。

 どちらも耀光宮で管理された姫家に伝わる直刀両刃の宝剣。永く使用されていなかった割には、研ぎ澄まされたきっさきには錆の一つもなく、磨き上げられた優美な姿だった。

 剣の使い道など、考えたくも無い。が、その可能性も示唆しているようで、舜は久方ぶりにの腰に下げた重みに触れながらもと周皇后の姿が浮かんだ。

 そう、一番家族らしい姿があった、二年にも満たない間の事。


 舜は、鬱々とした感情に取り込まれそうで、足を止めた。振り返れば半歩程背後を歩く流麗も、ピタリと足を止め、白い面の向こうから舜を見つめていた。


「……流麗、今回の事態が全て収拾した暁には、もう一度、の話を聞いて欲しい」


 舜の眼差しは、悲壮に近いものがあった。これから起こるであろう事象と何かしら関わりがあるのか、少々思い詰めたものすら感じる。

 流麗は、目の色一つ変える事なく頷く。


「勿論です」


 そう答えた声色は明瞭なまでに清々しい。実に、流麗らしい姿だった。




 ◆◇◆◇◆



 空が更に重くなった麒麟宮の入り口は、黒い門で閉ざされていた。立ちはだかる壁のようで、しんと静まりかえった門の向こう側は暗雲めいて薄気味悪さを醸し出す。

 辺りは、女兵達が囲み不安げな面持ちで立ち尽くして、その者達に騒ぎを大きくしない様にとだけ告げて、舜は流麗と共に麒麟宮へと入って行った。  

 

「陛下、」


 麒麟宮へと一歩足を踏み入れたばかりだった。流麗の声色は既に警戒を指し示し、自然と手は腰に帯びたばかりの剣へと向かう。


「この宮を隔離した方が良い」


 声と同時に、流麗は入ってきた門前に立ち尽くしている女兵達に指示を始めていた。

 がたん、と頑丈な木扉がどっしりとした音を立てて、出入り口を塞ぐ。


「では、


 流麗が左手で指を二本立てると、流麗の腹の辺りから、五羽の鴉が飛び立って、一羽は塀のその向こうへと飛んで行く。その姿を見届けて、残った四羽は四角よつかどの其々に止まると大きく羽を羽ばたかせ、それらしく「かあ」と鳴いて見せた。

 鴉が鳴くと同時に辺りにピンと糸が張ったような奇妙な緊張が迸る。


「念の為、道士に報せました。これで、私が死ぬか、外部から誰かが解呪をするまで出られません」


 そういう事も念頭に置いておけ、と遠回しに言われたようで、少しばかり脅された気分。舜は些か腹にくるものがあり流麗を睨むも、本人は「如何なる時も最悪は考えておくものです」、とあっけらかんに返すだけだった。

   

「それで、どこだ?」

「こちらです」


 流麗は皇后の宮に乗り込む勢いで前に出る。先導する姿に、皇后の宮という概念は消えて澱みない姿に迷いはない。

 すれ違う女官達の顔は皆青ざめて、廊下で座り込んでいる。身を縮めて、同胞が飲み込まれた事に怯えているのだろう。流麗と舜を目にしても神に祈るばかり。現実が見えないまなこでは、正確な判断もできない様子だった。



 不穏な空気漂う宮。いや、それ以上に禍々しい空気ばかりで、先日浄化した筈の邪気すら散見している。

 宮の奥へと進めば進む程に、邪気は濃くなり視界は不明瞭になる。


 ずん――と空気が一等重いと感じた瞬間。ここが、目的の場所であると、流麗が説明する迄もなく舜にも判然とできていた。

 扉の先から、どろどろとした気配が流れ出す。かと思えば、棘のある蔦でも絡みついてくるかのようで、その蔦の棘の一つ一つが己が身に突き刺さる。


「陛下、どうか己を保って下さい。決して呑み込まれぬように」


 それも、最悪の一つなのだろう。舜も出来る限りは自身を守らねばならない。

 問題ない。そう返せば、流麗はふわりと目を細めて笑う。不安にさせないためなのか、それとも別の意味があるのか。けれども、舜が考えるまもなく、次の瞬間には、厳しい顔つきで扉へと手をかけていた。

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