十四 憶測

 流麗は、昨日と同じく人払いされた露台で、月を眺めた。満月に近づきつつあるその姿は眩くも、流れる雲によって時折隠れてしまう。

 されど、また強い風に吹かれて、雲はゆるりと流れ月は顔を出す。

 


 そうやって暫く眺めていると、背後から足音が届く。邪魔しないように、とでも考えているのか、静かな足音に流麗はゆっくりと振り返る。

 仮面を外して、流麗は揖礼ゆうれいをして見せた。


「いい、顔を上げてくれ」


 舜の声は、何かを堪えているかのように悩ましげだ。詰まりそうな声が切なく、流麗の胸が締め付けられそうだった。

 望めば全てが手に入る男が今何を求めているのか、流麗は素知らぬふりをした。

 揖礼の姿を解きながらも、その目に宿すのは忠義だった。

 その瞳にあるものを舜も察したのか、声は一瞬にして誠実なる姿を取り戻していた。


「して、どうであった」

「……そうですね……陛下が隠していたかったものは、見えたかと」


 ほう、と別段に興味も無さそう。舜は昨日と同じ、向かい合った長椅子の一つに腰掛け、卓の上に用意されていた酒に手を伸ばす。


「座らないのか」


 舜の目線は、向かいの椅子を指す。要は、座れと同義だ。

 

「……では、」


 流麗は静かに着席すると同時に、己に向かう双眸に向き合う。こくりと酒を口に含んで楽しむ姿を見ても、今日ばかりは流麗の手は膝に置かれたままだった。


「呑まないのか」

「お話の後にでも頂きます」

「何がわかった」

「あくまでも仮定として聞いて頂けると。実地調査をしたわけでもないので、憶測で話をします」


 舜は、ああと興味無く返しては、またも酒を口に含む。


「陛下……毒殺されそうになったのは、陛下御自身ですね」

「ああ、何度かな」

 

 舜の返答は軽いものだった。舜は、隋徳に何度となく助けられていた。その記録だけは明確に残り、事実だろう。何よりも、舜が一番危ういところにいたのも、事実だった。


けい殿下は、優秀ではあらせられたそうですが、随分と虚弱だったそうですね。趙皇后の子であり、第一皇子。ひいては皇太子であったそうですが……資料では、よく床に臥していたとか」

「……起き上がっていた事の方が少なかった頃もある。異母兄上あにうえは育った方ではあったがな」

「しかし、陛下は健康体。圭殿下と同程度に優秀……陛下は、剣術指南等も受けていたのでは?」

「何故、そう思う」

「初めてお会いした日に、私の手に見て触れて、剣の嗜んでいるのかと尋ねられました。剣を握る手を見慣れている証拠です」


 そんな事を覚えていたのか、と舜は自嘲気味に笑うと、酒を口へと流し込んだ。まるで、流麗の話を酒の肴にでもしているようだった。


「だとすれば、趙皇后陛下の敵意の対象になっていてもおかしくはない。十分に毒を盛られる対象になるでしょう」


 第一皇子よりも、長く生きる可能性がある第二皇子。

 共に優秀で、より健康的であるとすれば。優秀な官吏がどちらを選ぶか、常にその恐怖に苛まれているとしたら。聡い皇后が我が子可愛さに第二皇子を手にかける事を厭わない人物であったとしたら――  

  

「だったら?」

「陛下が、皇后陛下と不審死、そして毒を繋げた理由になります。陛下のご兄弟、妃嬪達、陛下のお手つきになった女官達。誰一人、毒による症状は記載されていませんでした。陛下は――というよりも、当時の状況からして陛下が皇后に殺されそうになった事件は後宮どころか宮中でも十分な噂だったのではないでしょうか。誰しもが、趙皇后が殺したかもしれない、と疑うには十分だったのでしょう。資料は正しいかと」

「では、不審死は何だ。何が原因だという」

「衰弱死ですよ。当時、私は此処にいなかったので、これも憶測ですが――当時も、先日の後宮よりも更に酷い酷い邪気が立ち込めていたのではないでしょうか。人が多ければ、その分邪気は溜まるし、禍も呼ぶ。禍は病を呼ぶ――」

 

 人の邪気には、禍が寄る。

 禍は病を呼ぶ。更には黄泉へと向かう筈の死霊を呼び止めて生前の怨讐を思い出させる。そうして更なる邪気で空気を澱ませる。淀んだ空気は病を悪化させ、心にさらなる邪気を生み出す。そうしてまた、禍を呼ぶ。

 どんどんと、禍は邪気をんで大きくなっていく。

 そうして濃くなった邪気を含む澱んだ空気では、人は弱っていく。赤子のような弱い存在なら尚のこと。


「道士も巫覡も、気付いていたのではないでしょうか。気付いたが故に、何も見えなかった先帝陛下に虚偽を述べていると斬られてしまった……のではないのかと」

 

 見えない者に、事は難しい。

 先帝をよく知る舜の目にはありありと映ったのか、顔は苦々しくなるばかりだ。

 

「だが、余が幼い頃は、蟲は見えてはいなかった」

のではないでしょうか。年齢が上がるにつれて、または、で力が強くなる事はあります。気を澱ませる程の事象……例えば、とか」 


 流麗の言葉に、舜は漸く杯を卓の上に置いた。顔は固くなり、口を手で覆って思い詰めたように考え込む。

 思い当たる節が、ある。流麗は、更に続けた。


「陛下の御子息、けい殿下も衰弱死、ですね」


 ぴくりと舜の肩が動いた。思い詰めていた目線は流麗へと流れて、睨め付ける。


「二歳になる前に、亡くなられていますね。陛下のご兄弟と同じ症状で、段々と弱っていく様を陛下は目にしたのでは」


 舜は、言葉を返さなかった。ただ、睨む目だけが変わらず流麗を突き刺すも、流麗は意に返さずに言葉を紡ぎ続けた。


「それと、趙皇后陛下と圭殿下は自害だそうですね。更には先帝陛下は、薬を使って殺害された――のではないかと。先帝陛下が亡くなり、その後、圭殿下は自害。趙皇后は後を追ったと考えられますね。しばらくしてから、陛下の母君が病で亡くなられ、そこで死の連鎖は止まった」


 ザアザアと流れる木々の葉が擦れ合う音が、煩く響く。二人を隔てるように、煩わしい耳鳴りの如く、騒めきは不気味に続いた。

 舜の眼差しこそ、威圧ばかりが目立ったが、流麗の言葉を否定しない。遮りもしない。まるで、流麗が口にする言葉を待っているようだった。


「此処からが、また憶測なのですが――先帝陛下は薬を飲まれていたそうですね。その処方は、隋徳様の時もあったとか。隋徳様は、丹州の薬学を学ばれている。先帝陛下の信頼を得るには十分だったのではないでしょうか。ですから、例えばですが――陛下が隋徳様にようにと、命じる事は可能だった、のではないでしょうか」


 そこまで言い終えて、流麗は漸く酒器を手に取り、杯を満たした。

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