十五 真実

 ごくりと、一気に酒で喉を潤した流麗は、再び酒器を傾けた。並々と注がれる透明のそれ。躊躇いも無く酒精を楽しむ。その姿を見た舜の目には、鋭さは消えていた。


「それが、そなたが調べた全てか?」

「まあ、所詮憶測なのですが。けれども、陛下は後悔されています。それだけは事実かと」


 舜は、流麗に初めて会った日を思い起こした。その口から出た言葉は、言葉にして吐き出せ、だった。


「話す相手は、そなたでも良いのか」

「ええ。私で良ければ、ですが」

「そなたは口は硬い方だろう?」

「陛下との間にあった事を私が口外することは御座いません」


 流麗がふわりと微笑む。その姿に、舜は再び月精を思い浮べるも、流麗はどこか遠い存在のようで、物悲しくもなった。


二つ。それぞれに共有している秘密がある」


 砕けた話口はなしぐちに、流麗は杯を置く。


「その一人が隋徳だ。そなたの言う通り、先帝の死に関しては俺が隋徳に命じた事だ。もし、薬の量を増やしたらどうなる、とな。しばらくして、父は心停止で死亡した」


 当日夜伽の相手をしていたのは末端の妃嬪だった。彼女もまた同じ薬を持っており、先帝は通常の二倍の量を服用した、と診断された。妃嬪は暗殺を企てたとまでいかないものの、皇帝の死に関わったとして処刑され、儒帝陛下は年齢も六十歳近くだったのもあり薬の副作用による心臓発作と診断され、あっさりと儒帝の時代は幕を降りた。

 そう、全てが一人の妃嬪の責任とされただけで、これと言った調査もなく全てが終わったのだ。妃嬪がどうやって薬を手に入れたかどうかの調査もされる事も無く。


「俺は、異母兄上あにうえの補佐で良いと思っていた。異母兄上は聡明だ。もし、事態がつまびらかにされ俺が処罰されるのならそれでも構わないとすら考えていた。異母兄上が皇帝となった暁には、平穏が訪れると信じていたから……だが、異母兄上の考えは違った」

「皇后陛下……ですか?」

「ああ。異母兄上は、自分が虚弱な体質のまま即位すれば、いずれ政権は趙皇后のものになると予測していた。皇后は残虐な行為と知っていても己が考えを貫こうとする。皇后に政権が奪われた先にあるものを見出せなかったのだろうな」


 まあ、正に俺が殺されそうになった事が証明となったわけだが。と、またも自虐のように鼻で笑う。


「皇后の政権になって最初に殺されるのは俺だと考え、兄は自害した。そして皇后は、嘆いてあっさり後を追った。次に皇帝の座を継ぐのは俺だ。今まで俺にした事を思えば、一族ごと根絶やしにされてもおかしくないとでも考えたのかも知れない。それならば、不名誉な死よりも息子を失った憐れな母親として、死を選んだのだろう」


 舜は重い息を吐く。深く、腹に溜まったままだったものを少しづつ、少しづつ巻き込んで。


「その後、俺が即位して、母上はいつ俺が殺されるかという悩みから解放された筈だった。だが、其れ迄の心労が祟ったのか、風邪を拗らせてそのまま亡くなった。これが、真実だ」


 舜は自分が吐いた言葉から逃げるように項垂れて、顔を覆った。


「俺だけが、生き残った――」


 懺悔の如く、舜は重々しく言葉を吐く。己がしでかした事を、誰かに罰せられる事もなく、吐き出す術もなく、ただ後悔だけを腹の中に溜め込み続けた。

 唯一の懺悔が、己の父の罪ごと国に身を捧げる事だった。


「皆死んでいく中で、俺だけが屍を踏みつけて生き残っているようでならなかった。俺が安易に父の殺害など企てなければ……異母兄上は自害などする事もなかった。母も生きていたやもしれない。周皇后が入宮する事もなかった。そうすればけいは……」


 ずぶずぶと自ら沼へと溺れていく。舜は頭を抱えたまま、身体は震えていた。

 そうしていると、舜の身体から黒い靄――邪気がぞわりと現れた。舜を包み込み、更なる沼にでも赴かせる様に。


「……俺が……俺が死ぬべきだったんだ……」


 言葉は、邪気と成る。

 強き邪気は、禍を呼ぶ。

 甘い蜜でも見つけたかのように。


 生ぬるい風が頬をなでた。生々しい、嫌な空気が立ち込めて――禍々しいもの達が集まり始める。

 舜が吐き出した邪気へ、どこからともなく現れた蟲達。空からは、はねを羽ばたかせ、地を這うもの土地は、ずるずるとカサカサと体を引きずって、舜の身体を埋め尽くさんと、その身に触れようとした。だが――

 

「己にじゅを吐き続けるのは、やめなさい」


 清廉とした声が、重々しく轟いた。

 黒い蟲達がピタリと止まり、それ以上舜へ近づこうとはしない。


 縮こまっていた舜も、重たい頭を持ち上げて重暗い色で染まった顔を見せる。が、その顔は邪気に包まれ表情は消えていた。


しゅん。己を呪う程に後悔したのでしょう。ですが、一度は圭殿下が遺された意思を継ぎ、生きると決めた筈」


 流麗は立ち上がり舜に近づくと、迷いなく舜の目の前に膝を突く。頭を抱え込んだままの舜の手に触れて、そっと自身へと引き寄せた。


「貴方が皇帝位を即位して、どれ程に国が変わったか知っていますか? 重税に喘ぎ、飢えて死に行く子供がどれ程にいた事か。口減しに殺される子供がどれ程にいた事か。生きていく手段を選べない者がどれ程にいた事か」


 当時、逼迫ひっぱくしていた国政により、国民には度重なる重税の圧が掛けられていた。税を払えぬ者、払えたとしても手に残る蓄えもなく嘆く者。

 流麗は己が目に映った過去の現実を思い起こし、舜の手を更に強く握った。


「確かに皇族の方々の尊い命が損なわれました。けれども、陛下の御判断で救われた命がある事も事実です。消えた命は戻りません。忘れろとも言いません。ですが、それらの存在に縛り付けられてはなりません。どうか今一度、圭殿下に託されたものを思い出し、生きている事が間違いなどと、言わないで下さい」


 流麗は言葉を終えて、額を舜の手に当てた。

 誰よりも、必死にこいねがう。

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