十二 皆様噂話がお好きなようで
『悪事千里を走る』
とはよく言ったもので。
特に、女達が好みそうな話題となれば、矢の如く。それが皇宮となると、人は多い上に噂話が好きなもの達が大勢いる。
『先日の道士達の中にいた白い面の女、
ヒソヒソと声を顰めて、されど目線は一人の女を見やる。
――陰湿ですねぇ
青々とした秋晴れが続く
その為に、流麗の眼前には先を行く
背中からは、老人の心情は掴めない。
皇帝の目に留まった女の話は、たった一夜にして宮中に広まった。皇帝専属の侍医として勤める老人の耳だろと、少なからずは入っているはずと流麗は踏んでいたが、これと言って反応はない。
流麗に視線を向ける事もなく、淡々と目的の場所まで案内するだけと言った様子で、すたすたと前を歩き続けていた。
奇異な目線、好奇な眼差しばかりが続くのにも飽きた頃、皇宮内部にある書庫へと辿りついた。本殿の中でも奥深く、ご丁寧に厳重な鍵まで掛かっている部屋。
うっすらと日差しが差し込む部屋の中の書棚には、数多くの書物が平積みに置かれている。管理が行き届いた部屋は埃一つなく清潔性が保たれていた。
「こちらにあるものが、姫家の方々の記録だ。生まれや病歴。床の数まで記録されておる」
「それはそれは」
「剋帝陛下のものはこちらだ。先帝陛下はそちらに」
「ありがとうございます」
流麗は取り敢えずは剋帝陛下の資料を――と、いくつか見繕うと、窓際に置いてある文机へと移動した。
さて、早速。と、資料の一つ手にしたが、背後からの視線で流麗はゆっくりと振り返る。
「隋徳様、お仕事は」
「本日は、呼び出されぬ限りは姚女士に手を貸すように陛下から仰せつかっている。貴女が気にされる必要はない。だが、本来であれば此処にある資料はどれも外部の者が閲覧する事は不可能だ」
好々爺然とした老人の顔の皺が深くなり、敵意にも近い眼差しが流麗へと向けられる。
「……私が陛下に許諾をいただいた事がご不満ですか?」
「陛下は真摯なお方だ。出来れば問題は起こさないで頂きたい」
臣下というよりは、親心に近いのだろう。『幼い頃より余を守ってくれた』という舜の言葉のそのままの意味を、流麗は実感していた。
「隋徳様のご出身は、もしや
「そうだ。先帝陛下に望まれて、
「けれど、後宮に男性は入れませんよね。医官とは言え、何をどうお助けしていたんですか?」
「
流麗は笑顔で、結構ですと返した。
皇宮に入る事が許される男は皇帝のみである。しかし、
医官も例外ではない。現在も去勢した男が後宮で勤めをまっとうしているのだ。
もちろん、覚悟なくしては出来る事ではないだろう。
「隋徳様は、今も朱家にお仕えしているのですね」
「剋帝陛下が生きておらねば、私も自らの命を絶っていただろう。だからこそ、漸く安寧となった宮中を貴女が乱すというのであれば……」
流麗は手にしていた資料を文机を置くと、隋徳に向き直る。
「隋徳様、私を皇宮へと呼んだ事を後悔されているのでしょうが、昨晩は何もありません。陛下のお心が後宮に無いのは確かでしょうが」
隋徳は苦い顔をする。体調を言い訳にしてはいたが、隋徳から見ても、舜は何か別の事を考えているのは確かだった。ただ、それは隋徳も知り得ないようで反論する様子はない。
「私は、確かに陛下に拝謁を許されて僅か数日の身です。ですが、陛下を御守りしたいという想いは、隋徳様と同じにございます」
「今、これ以上陛下御自身の悪質な噂は出来れば増やしたくはない。娘を後宮に入れた官吏達が、いつ迄も陛下のご機嫌伺いをしているとは限らないからな」
「心得ておきます」
はあ、と白い頭を掻きむしりながら、隋徳は流麗が座る隣へと、どかっ――とわざとらしく音を鳴らして腰掛ける。胡座をかいて、流麗を真っ直ぐに見据えると、またも大きく、「はああぁ」と溜息を吐いた。
「貴女を皇宮へと呼び出したのは私だ。私では手に負えないと思ったのも事実。……して、何を調べる」
流麗は柔らかい笑を携えて、もう一度、文机の上にあった資料を手に取った。はらり、はらりと次々に
「……本当に知りたい事は、此処に記録されているとは限りません。何より、調べたところで本当に解決できるのは、陛下御自身です」
「貴女が治すのではないのか」
「症状が出ないようにする事は可能です。ですが、本当の禍根は、陛下御自身の御心。陛下は、何か思い詰めていらっしゃる。それをとり除ければ……」
隋徳の顔が歪む。思い当たる節はあるのだろう
「では、姚女士は何を調べると言う。調べて何が出来る」
「陛下を禍根を取り除く一因になれば……手助けは出来るかと」
「自信が無いとも取れるが」
「はい、ありません」
「貴女の仕事であろう」
流麗は、困ったように笑う。誤魔化しても意味はないと悟ったように、「はは」と渇いた笑いを見せて、隋徳から目を逸らした。
「……専門的な話をしますと、陛下でなければ既に手遅れです」
「なっ!」
「いずれ、このままでは
皇帝を救えなかったらと、罰に怯える者の姿ではない。進む道が定まった確固たる信念を持つ者の瞳だ。力強く、使命感すら思わせる。
その意思は隋徳にも見えただろう。隋徳も同じく、確固たる意思を持ってして、今も剋帝の側にある。
「姚女士、貴女は何故そこまで」
流麗は、目を細めて静かに笑うだけだった。
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