十一 消えない因縁

「封印の後、顓頊せんぎょく帝と貴人の間には男女の双子が生まれました。しかし、男児は至って普通の子供だったそうですが、女児は――禍を宿す子だったのです。女児の身体からは禍が飛び立ち、それにより災禍が起こるとされ、貴人と双子の男児と共に殺すようにと同じ姫家や官吏達から糾弾されたそうです」

「……それで、顓頊せんぎょく帝は、隠した――か。勅命も我が子を守る為、と」

「はい。貴人に封じる術があるならば、その子が力を扱う術もあると考えた顓頊帝は三人を皇宮から逃し、隠れて援助を続けたそうです。それが、我が一族の始まり……ですね」

「……という事は、余とそなたは遠縁に当たるな」

「我々にも高貴なる姫家の血がある……謀っている、とお怒りになりますか?」


 確かに、安易に遠縁とはいえ皇帝と親族である。などと語るものではない。特に、その皇帝本人の目の前でなど。

 ただ、舜は流麗が嘘を述べているとは一切考えていなかった。

 まだ出会って数日。流麗が嘘をつくような人物には見えない、などという陳腐な言葉では事足りない。言うならば、因縁を感じていた。 

  

「言っただろう、狭量ではないと……ただ、そなたの中には禍があるのか?」

「あります。姚家の女だけが、その力を受け継ぎ、扱う事が出来ます。禍を祓う術は後天的に身に付ける事は出来ますが、姚家の女だけは禍をこの身体に取り込む事が出来る。お陰で、我々の界隈では、姚家は妖血ようけつ混じりなどと謂れています」


 流麗は一息つくと、喉を潤すように酒を喉へと流し込んだ。静まり返り、リーン――と虫の音が夜の闇の中に響く。

 その声に耳を澄ませた横顔に、夜風で月光の輝きに照らされた黒髪が黒絹の如く滑らかに流れる。その髪を抑える仕草一つ、月の精にも似た美しさと言えるだろうか。

 その姿を見つめていると、横へと流れていた流麗の視線が正面へと戻る。


「どうか、されましたか?」


 月明かりの所為か、小首を傾げ、微笑む姿は妖艶だ。その姿からは、流麗がどういった生き方をしてきたのかを想像するのは難しい。


「……そなたは、今の生き方は苦ではないのか?」

「と、言いますと?」

「禍を継ぐのは女だけ、と言っただろう。であれば、女に生まれた時点で道は決められたも同然。反抗しようとは思わなかったのか。余が病にならねば、此処に来る事もなかったはずだ」


 舜は、流麗に問いかけているようで、自問している気分だった。

 決められた道に生きているのは、舜も同じである。

 流麗は、杯を両の手で抱えて少しばかり首を傾ける。悩んでいる、というよりは言葉を選んでいるようで、うーんと珍しくも間を置いた。が、それもそう経たずに流麗の口は動き始めた。


「……私は――そうですね。陛下だからこそ、でしょうか」

「どういう意味だ」

「陛下の様な聡明な方にお仕えできる事は、大変名誉な事です。それで十分です」


 流麗に迷いはなかった。黒翡翠の瞳は変わらず真直に舜を見つめて、その輝きは眩しくもある。

 ふと、流麗が立ち上がったかと思うと、卓を回り込んで舜の目の前に膝を突き首を垂れた。


「陛下。私は陛下をお守りする為に此処にきました。決して裏切らず、陛下の為ならば死をも厭いません」


 宣言と共に、流麗は舜を見上げた。決意ある眼差しと声には、今この瞬間を切望していたように情熱が籠る。恐れを知らず、欲望を宿さず、その言葉がどれだけ重いかを知っているだろう。

 とは一線を引くほどに、舜に求めているものは違うのだと、流麗は堂々と宣ったのだ。


「何なりと、御用命を」


 舜は、意図せずに流麗が自分の手に入った気分だった。手を伸ばせば、思いの儘になるだろう。されど、それでは先帝がやっていた事と何ら変わりない。


「では、今夜は耀光宮ここに泊っていけ。部屋は用意させた」


 しれっと言い放った舜に対して、流麗は如何に受け取ったのか。ただ跪いたまま微笑んで見せた。

 

「仰せのままに」


 ザア――と、再び秋の夜風が金木犀の香りと共に走り抜ける。




 ◇◆◇◆◇



 

 暗闇の麒麟宮。暗闇と言っても、今日は月が眩しく夜を見通すには良い夜だ。

 周皇后は、月明かりに照らされた自室で一人長椅子に腰掛ける。


 幽鬼が如く、生気を失った瞳は暗闇を宿しているかにように重い。だが、とある一点を見つめる眼差しは聖母の如く柔らかかった。

 その目線の先は、周皇后の腕の中。

 しかし、腕の中には何もいない。

 ただの丸まった布地が、さも様子でもある。


 微睡へと誘うように、聖母の慈悲に満ちた子守唄を歌い、優しく腕の中のものをあやす姿は、母親そのもの。


「……けい、良い子ね……」


 優しく、ゆっくりと籠の中へと下ろす。

 良い子、良い子、と胸をとんとんと叩いて、深い深い眠りへと誘っていく。


 何も存在などしていないのに。


 籠の中のを幾度か繰り返して撫でると、ふと手が止まる。


「…………」


 周皇后は顔を上げて、自身を見つめていた瞳を思い出す。白い仮面の向こうの、眼差しを――


「あれは、消さなければ」


 不穏な言葉は、流れる風の中へと消えていった。

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