五 悪意転じて禍となる

 人の言葉には、力がある。 


 それが大なり小なり。小言から悪口あっこう。憎悪抱く嫉妬から殺意まで。悪意なる意思には、邪気となり言葉に力が乗る。どんな言葉だろうと、その言葉ひとつとして人の耳に入らなくともだ。


 けれども、そんな邪気など有象無象の数がいなければ、あるいは大いなる力でもなければ、大河の泡沫うたかたの如く消えてしまうものでもある。

 ほんの一瞬浮き出た泡沫は大きな流れには逆らえない。人の力など、所詮そんなものだ。


 だが稀に、流れに沿わない場合がある。

 地形だったり、死が漂う場所であったり、邪気を呼びやすい者であったりと。

 そのどれであれ、人や土地に溜まった邪気は全てを黒色へと染め上げ、やがて――禍を呼ぶ。



 


 どの事象に該当したか、はたまた別の原因か。

 舜は流麗りゅうれいと共に、皇宮楼閣最上部の高みから皇宮全体を眺ていた。


 朱塗りの窓から眼下に映る皇宮の景色は、決して雅なる城の庭園とは程遠い。

 秋めく庭園に咲き乱れる金木犀。人工池に浮かぶ蓮の葉。朱色の屋根や、朱塗りの柱。石畳にまで無数の禍と思われる蟲が張り付いている。更に、行き交う人々の顔は禍で埋まっていた。


「……いつ頃からこの様な状況に?」

「余が物心ついた頃は、黒い靄だけであったが……数年前から徐々に」 


 がらんとした、真ん中に長椅子だけが置かれたその部屋は、祭典の時にのみ使われるだけで人目もない。普段、人の気配がないからか、その部屋には祓うまでもなく平静としている。

 

「もっと、早くに伺うべきでした」


 流麗の声は沈み、まるで自責の念に駆られたように俯く。

  

「どうやってだ。こちらからそちらに連絡する術は失ったも同然だった」

「本来、交流こそなくとも我々の事は代々伝えられていた筈です。先帝陛下は、御病気で亡くなられたと聞き及んでおりますが、何も遺されてはおられなかったのですか?」


 大昔の勅命を背負って生きる女は、またしても舜の知らぬ姫家の姿を確固たる信頼で語る。その真直たる姿は、己にも信頼を向けているようで舜は思わず流麗から目を逸らし、唯一の長椅子に腰掛けた。

  

「……遺書どころか、遺言の一つも無い。下手をすれば、父よりも以前にその術とやらは途絶えていたやもしれん」


 流麗は、八代も前の約束事をさも当然の如く話すが、軽く見積もっても二百年は前の話だ。今回、隋徳が見つけた資料も八代前――顓頊せんぎょく帝・姫顓頊が密かに残したそれも、皇宮にある資料を漁りに漁った末に出てきたもの。

 その文書以外は何一つとして残っておらず、口伝のみであったのだろうと舜は考えた。


「先帝より前の二帝は、どちらも余の伯父にあたるが即位早々に崩御されている。当時の宮中は混乱めいて、父が即位したのも成り行きに近い。その時に途絶えた可能性もあり得るし、残っていたとしても父は何も見えてはいなかった。余に伝わる事はなかっただろう」

   

 舜はあくまでも考察を述べた。可能性の低さは元より、どれだけ姫家にがいたかどうかも判然としない。それだけ姫家の血が薄れた、と鑑みる事もできる。

 粛々と勅命を守り続けてきた姚家からすれば、面白くない話に聞こえるだろうか。舜が逸らしていた目線を横目に流麗に向ければ、先程までの余裕のある女とは別人のように沈み切った背中を見せ、ただ「そうですか」と、細々と呟いた。

 それでも一呼吸おくと、「では」と何事もなかったように振り返り舜に双眸を向ける。


「陛下、本殿だけがこのような状況でしょうか」

「後宮も――皇宮全体と考えてくれて良い」

「それだけの規模となると、私の力だけではどうにもならないでしょう」

「隋徳にやって見せた方法では駄目なのか?」

「あれはまがを取り祓っただけで、邪気自体はそのままです。禍を祓っただけでは、邪気を喰むために禍が舞い戻る。そもそも邪気が皇宮全体で目に見えて漂うなど異常です。何かしら原因がある筈なのですが、今見える範囲にはそれらしき事象の根源は見当たりません。となると――」


「皇宮をしらみつぶしに探らなければ」流麗は自然と口にしただけであったが、舜は突拍子もなく「後宮……かもしれないな」と言った。


「陛下、心当たりが?」

「いや、なんとなくだ。気にするな、そなたのやり方で構わない」

「いえ、陛下は先天的な視鬼しきです。直感には、従うべきですよ」


 視鬼とは、百邪百鬼ひゃくじゃひゃっきを見る目を持つとされる者を指す。舜が不可思議としたものが見えるというのも、その力のお陰だと流麗は説く。


「ついでに見えんようには出来ないか? 表情が見えずとも慣れてしまったが、見えた方が楽だ」

「訓練次第では、見えなくする事も可能ですが、皇宮で人の顔が見えぬのは邪気が溜まっているからにございます。全て取り払えば、普段は人の目と変わらぬ景色をご覧になる事ができるでしょう」


 舜は、「そうか」と呟く。同時に、流麗が何を言おうと全ての言葉を信じている事に気がついた。――気の迷いのように脳裏に過ぎるも、その影響だけでは無いと己に言い聞かせる。

 彼女は舜の素知らぬところで姫家に対して絶対の服従を誓い、今も仮面の向こうは信頼と熱意の篭った瞳で舜を見る。

 気の迷いと己に言い聞かせても、その熱い眼差しは舜にとって、今までにない心地を与えていた。

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