二 皇帝陛下は忙しい

「陛下、あまり顔色がよろしくありませんな」


 早朝の政務の合間、顔を出した侍医が険しい顔つきで言った。

 日出にっしゅつ正刻せいこくの鐘の音(朝六時頃)と同時に起きて、淡々と机に向かって執務に向かう姿はきびきびとしているが、侍医の言葉通り舜の顔は青ざめている。

 舜は淡々書簡を読んでは、侍中にあれこれ指示をしていく。まるで侍医など見えてはいないかのようで、目を向けもしない。


「陛下。お返事をせずとも結構ですが、御自身のお身体をお考え下さいませ。何か手立てを考えませんと」


 そこで、漸く舜は侍医を見た。白髪で白髭を蓄えいかにも温厚な老人姿の男――隋徳ずいとく。先代の頃より皇宮に仕えている男は、舜に頭を下げこそすれ怯えはしない。


「手立て……と言ったな。余は不治の病か?」

「似たようなものかと。陛下は健康体です。ですが日に日に弱っていらっしゃる。と考えねばならないでしょう」

「誰かが余を呪ったか」

「かもしれませんが、私の専門外です」

「だろうな。医者に呪いは治せんだろう」

「ですので、専門家に頼ろうかと」

「城に勤めていた道士、巫覡ふげきは父が不要だと言って全て斬った。縁あったどうや寺院は力を貸してはくれんだろう。呪術師でも探すのか?」

「分かりかねますが……一つ、当ては見つけました」

「当てだと?」


 嫌味混じりの応酬の末、舜は苦々しい顔をしながら隋徳をじりりと見やる。医者が匙を投げた先にある“あて”なるものなど、どう考えても怪しきことこの上無い。

 道士や巫覡には詐欺が多い。

 実際に力を持つものは少数な上に目に見えないのだから、その力実感できるのは自身が怪しげな何かに被害に遭って、解放された時だけなのだ。


 ちなみにだが、医者も詐欺が多い仕事だ。隋徳が斬られなかった理由は、、と言える。


 目に見える効能があるからこそ、彼は今も弟子を育てながらも老体に鞭打ち侍医をこなしていると言うわけだ。が、そんな男があてなるものを探してきたと言って、「そうか、早く見せろ」とすかさず口にするほど舜は素直ではなかった。


「詐欺師では無いと言う証拠はあるのか」

「あります。過去に顓頊せんぎょく帝に仕えていたという資料も残っており、今も一応は貴族の様で」

「そんな家は知らんぞ」

「袂を隔てたのは、顓頊帝の世――八代も前にございます。ご存知なくとも、無知にはなりますまい」


 舜は思うところがあって顔を顰めるも、侍医の捻くれた性格を良く知っているのもあって咎めない。どの道、反論したところで他に手立ても無いのだ。

 諦念を込めた溜め息を吐くと、渋々「……それで、名は」、と口を開いた。


よう家にございます」


 隋徳が口にした名を、舜は頭の中で巡らすも、そういった噂のある家名に覚えはなかった。


「存在するのか」

「ええ、現当主に直接お手紙をお送りしましたら、良いお返事がありました」

「……俺の許可なくか」

「ええ、どうせ陛下は二の足を踏むと考えていましたので、一度呼んだ方が早いと思いまして」


 酷い言い様である。舜の性格などお見通しと言わんばかりに、温和なおきなはニコニコと「ほれ、許可だせ」とほくそ笑んでいるのがまた憎らしい。いや、舜の目には黒い靄と蟲が這うさまが映っているだけなので、多分そんな様子だと勝手に頭が表情を作り出しているだけなのだが。


「……わかった、面通しの許可を出す。それで、いつ来る」

「今日です」


 間髪入れずに答える隋徳の顔は、やはり笑ったままだった。 

  

「やはり、一回首を斬るか」

「何をおっしゃいますか。私ほど優秀な医者もおりますまい。後悔するのは、陛下でございますよ」

「お前の弟子が同程度に育ったら教えてくれ、その時にまた考える」

「では、まだまだ先は長そうですな」

  

 如何にも好々爺然として「ほほほ」と笑う姿。

 こいつ腹立つ。などと、子供のように喚き散らしたい気分ではあったが、周りでは今も侍中達が、手の止まった舜の次の指示を待っている。

 口で勝てた試しがない。分が悪い状況で、舜はうんざりした目を隋徳へとよこして踏ん反り返るように椅子に背を預けた。


「……それで」

禍祓まがはらいという仕事を生業にしていると」

「到着次第、此処に連れて来い。詐欺師かどうか見極めてやる」

「ええ、陛下の慧眼けいがんに狂いはないでしょう。ご自身でお確かめください」


 ではまた後程。そう言って隋徳は軽口を叩いていたとは思えぬ程に、深々と舜に揖礼ゆうれい(深めのお辞儀)を見せて執務室を出て行った。


「厄介なのが来ないと良いが」


 ぼそりと、呟く言葉は側にいたどの侍中にも届かなかった。

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