第49話 救出6

 しばらく後をつけていると二人は山の方へと向かい、獣道のような道を進み始めた。こんなところを大八車が進んでいること自体が不自然だが、すでにわだちができているところを見ると何度か大八車を引いてきたことがうかがえる。

 更に追跡を続けると門が見えてきた。門と言っても道に格子状になった観音開きの戸がついているだけで、その気になればいくらでも乗り越えられる高さの代物だ。子供でも通れるだろう。

 だが心理的に通りにくい門ではあった。むしろ大人の方が通りにくい。潮崎の船戸様の紋が記されていたからである。

 熊谷が顎をしゃくると、猪助が門のかんぬきを外した。この閂も鍵の役割は果たしていない。ただ、あるだけだ。こんな山奥など誰も来ないからだろう。

 二人は大八車を中へ通すと、再び門を閉めて閂を閉めた。梧桐は木の陰に身を潜めていたが、二人がある程度遠ざかったところで門をヒョイと乗り越えた。

 潮崎の山は竹山だ。ほとんどが竹藪である。その竹藪を切り開いて道を作ったらしい。こんな竹藪の奥に一体何があるというのだろうか。

 さらに進むと、竹藪の奥にやや広く切り開いた場所があった。そこで二人は大八車を停めた。梧桐は今日の着物が老竹色だったのを幸運に思った。これなら少しくらい近寄っても気付かれないだろう。

 それにしてもここはいったいどういう目的で作られた場所なのか。竹藪を開墾したところまでは理解できるが、ある程度の広さがある割に、そこには粗末な小屋が一つ建っているだけで他には何も見当たらない。

 何より異様なのはその小屋の周りである。竹で厳重な囲いが設えてあるのだ。囲いは小屋のすぐ裏の竹藪の外側まで続き、いったいどこまであるのかわからないが、斜めに切った竹の先が囲いの内側に向いていることから、誰かをこの中に閉じ込めて出られないようにしていることがわかる。

 しかもこの囲いは、来る途中にあったいい加減な門とは異なり、八尺くらいの丈があってヒョイと飛び越えるというわけにはいかない。

 そう言えばあの二人が潮崎に来てからは悪人の顔を見なくなったと言っていた。もしやこの中にまとめて閉じ込められていうのではないだろうか。そして、辰吉や三郎太もこの中に。

 だが、そうだとすればかなりの数の人間がこの中にいる計算になる。あの小屋は一人しか入れないだろう。そう考えると、この奥……竹藪の奥に大きな建物があるのかもしれない。とすれば、この小屋には門番のようなものがいるのだろうか。

 熊谷が囲いの入り口となっているところの鍵を開ける。ここはかなり頑丈な南京錠だ。なぜここだけ? 梧桐の頭を疑問が掠めるが、中に捕らえられている悪人たちを逃がさないためにはこうするしかないのかもしれない。

 鍵を開けても誰かが来る気配はなかった。小屋の中からも誰も現れなかった。こんなずさんな管理でいいのだろうか。

 熊谷と猪助は黙々と大八車にかけた縄を解き、行李を囲いの中に運んでふたを開けた。

 梧桐の位置からは行李の中は見えない。気ばかりが焦る中、猪助が行李の中から子供を出した。

 悠介と奈津だった。

 奈津と悠介は手足の自由を奪われたまま猪助に小屋の前に転がされた。よくよく見ると、近くに三郎太も同じように手足を縄でくくられたまま転がされていた。

 ――気配。何か野生動物の気配がした。だがこれは梧桐にしかわからない種類のものだったのかもしれない。この気配を感じる時、梧桐は決して動かない。音も立てない。それが山で狩りをして生きる人間の知恵なのだ。

 だが、そんなことを知るはずもない猪助は、三郎太を見つけて捨て台詞と共に三郎太を軽く蹴った。

「なんだ、おめえはまだ生きていやがったのか」

 小屋の背後の闇が動いた。のそりと姿を現したのは真っ黒な熊だった。

 あまりの恐怖に奈津が意識を手放した。三郎太は固まって動けなくなった。悠介もじっとしたまま熊を睨んでいた。

 だが、猪助は熊と眼が合った瞬間「ひぃぃぃぃ」と声を出して尻もちをついた。

「熊谷様ぁ」

 尻もちをついたまま後ずさる猪助を見て、熊谷は無情にも猪助を残したまま扉を閉めた。

「熊谷様、開けてくれ! 助けてくれえ!」

 じりじりと近寄って来る熊に、猪助は二人の入っていた行李を次々と投げつけて竹藪の奥の方へと逃げた。

 熊が猪助を追って行ったのを見届け、梧桐は熊谷に音もなく近づき、背後から締め上げた。

「お、お前は、『熊殺しの梧桐』!」

 梧桐は無視して熊谷を囲いの中に引きずり入れ、そばにいた悠介の手の縄を片手で解くと小刀を握らせた。悠介はすぐにその小刀を使って自分の足の縄をほどき、三郎太の手足を自由にした。三郎太に口の前で人差し指を立てて声を出さないように合図すると、彼はすぐに頷いたが自分の足を指して手でバッテンを作った。やられたということらしい。仕方なく悠介は三郎太を後回しにして奈津を抱えて外へ出た。

 そのとき、竹藪の奥の方から猪助の悲鳴が聞こえてきた。

 梧桐が黙って熊谷を殴り倒し、その隙に三郎太を連れて外へ出ると、しっかりと南京錠を閉めた。

 起き上がった熊谷が慌てて入り口の方へ走って来る。

「出してくれ! 頼む!」

 悠介は奈津を下ろすと、表情一つ変えずに熊谷に近付いた。

「あなた、猪助親分が同じことを言っても開けてあげませんでしたねぇ」

「なんでも言うことを聞く、何が欲しい」

 檻の内側で熊谷が焦っている。大声を出さずにいるくらいの理性はまだ残っているらしい。

「なぜ悠一郎を襲わせたんです」

「まず出してくれ、出たら言う」

「言わなければ出せませんよ」

 額から脂汗を流しながら熊谷が何度も背後を振り返る。

「猪助が辰吉に襲わせたんだ、俺は知らん」

「知らないわけがありませんよねぇ。今だってこうして猪助親分と一緒にここまで来た。それに……」

 悠介は熊谷が焦るのをわかっていて、わざとゆっくり話した。

「辰吉が勝五郎親分に絞られたのを知って、ここで辰吉を始末したんでしょう。それを知られたから三郎太の兄さんも始末しようとした。そうですね」

 熊谷が本格的に青ざめて来た。もう一押しか。

「お嬢さんが猪助親分に話を聞いているのを見て、何かを探られていると思ったあなたはお嬢さんも始末しようとした。ところがそこにちょうどあたしが現れたもんだから、あたしもまとめてここに連れて来たんですよねぇ、違いますか」

「そうだ、その通りだ」

「じゃあ、もう一度聞きますね。なぜ悠一郎を襲わせたんです?」

「頼む、出してくれたらいくらでも話す。今すぐここから出してくれ」

「猪助親分はもう餌になりましたかねぇ。あなたが生きるか死ぬかは今あたしが握ってるんです。あたしはあなたが話すまでここから絶対に出しませんよ」

「こっ……紅秋斎だ、船戸様の屋敷の唐紙、紅秋斎に描かせたかった」

 焦る熊谷を見て、悠介はますますのんびり話した。まるで興味のないことを上辺だけ聞くように。少しでも多くの情報を、少しでも早く喋って貰うように。

「へえ。それはなぜです」

「紅秋斎は弟子を取らない、だから紅秋斎に決まれば手伝いが必要になるだろう、だから、だから、いいから出してくれ!」

「だから何ですか」

「仕事の無い人に斡旋できるだろう! 悪人を取り締まり、無職の人に仕事を斡旋する、俺の評判が上がるだろうが!」

「それだけですか?」

「俺が仕事を斡旋すれば、船戸様から手伝いの職人に支払う給金の上前を撥ねることだって難しくない、だから!」

 すでに熊谷の声は悲鳴に近い。この声を聞いて熊が来るかもしれない。

「取り締まった悪人は熊に食わせたんですね」

「そうだ、辰吉もだ。なあ、これだけ喋ったんだ、もういいだろう、早く出してくれ」

 獣の匂いが近づいて来た。悠介はどうしても聞いておかなければならないことが一つ残っていることに気づいた。

「紅秋斎先生はこのことをご存じなのですか」

「知るわけないだろう、あんなジジイは絵でも描いてりゃいいんだ」

「あー……」

 悠介はスッと目を細めた。

「残念ですね、今の一言で決まりましたよ。あなたにはここで熊の餌になっていただきます」

「なんだと!」

「冥途の土産に一つ教えてあげます。悠一郎はあたしの父親なんですよねぇ。それじゃ」

「な……」

 口をパクパクさせている熊谷の背後に、口の周りを血だらけにした熊がのそりと現れた。

 悠介は熊谷に背を向け、梧桐に「帰りましょう」と言った。まだ気を失ったままの奈津を梧桐が背中に負ぶって、悠介は三郎太に肩を貸しながら、その場を離れた。

 少し歩いた頃、熊谷と思われる絶叫が聞こえて来た。

「半刻もすれば骨だけだ」

 淡々と語る梧桐の言葉に三郎太は震えあがった。その横で悠介は「諸行無常ですねぇ」と擦れた手首をさすっていた。

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