第45話 救出2

 まず奈津は手っ取り早く一膳飯屋に入ることにした。一膳飯屋なら働き盛りの若い衆がたくさんいるだろう。

 入ってみると自分がものすごく浮いた存在であることに気づいた。確かにこんな朝から子供が一人、一膳飯屋で朝餉をとるというのもおかしな話だ。だからと言ってコソコソしていたのでは却って目立つ。奈津は堂々と胸を張ることにした。

 周りを見ると若い男性が多い。恐らく住み込みで修業をしている人やまだ所帯を持っていない人たちなのだろう、家から通っているならおっ母さんやおかみさんが朝餉を出してくれるはずだ。

「お嬢さん、ここが空いてるよ」

 奥の方から声がかかり、如何にも仕事前の大工といった風情の若い男が手をひらひらさせているのが見えた。奈津は精一杯の笑顔を作ってそちらへ向かった。

 男の隣に座ると「今朝はこれだぜ?」と自分の盆を見せた。盆の上にはご飯と菜っ葉の味噌汁と揚げ豆腐の煮つけと香の物が乗っていた。はっきり言って佐倉の朝餉の方が何倍も豪華だが、彼らはこれだけで朝餉を済ませて仕事に行くのだと思うとこれを食べるのさえ申し訳なく感じた。

「美味しそうですね」

「お嬢さんはもっといいもの食べていそうだけどな」

「そうでもないですよ」

 今度は反対隣りの初老の男が声をかけてくる。

「お嬢さん、こんな店でむさくるしいのに囲まれて朝餉ですかい」

「むさくるしくなんかないわ。みなさんこれからお仕事なんでしょう。お気を付けてくださいね」

「あんた旅のもんかい?」

「ちょっとお使いを頼まれて柿ノ木川の上流の方から来たんです」

 するとさっきの若いのが「楢岡の方かい?」と合の手を入れる。

「ええ、そっちの方」

 特に秘密にする必要もないのだが、柏原から来たとは言いたくなかった。嘘はついていないのだから良しとしよう、と奈津は自分を納得させる。

「朝餉も食べずに出て来たからお腹ぺこぺこ」

 そこへちょうど見計らったかのように彼女の膳が運ばれてくる。奈津が礼を言って受け取ると、また初老の男が話し始めた。

「潮崎はどうだい?」

「潮の香りがしますね。それに治安も良さそう。お役人様がしっかりしてらっしゃるんですね」

 奈津はさりげなく調査を開始した。

「ああ、少し前までは潮崎と楢岡と柏原は、それぞれの町の名主さんと勝五郎親分が面倒見てくれてたんだがね。それじゃ勝五郎親分の手が回らないってんで、潮崎には熊谷様ってぇ町役人と岡っ引きの猪助ってのが派遣されて来てね。ここはその二人にお任せで、勝五郎親分は柏原常駐になったって寸法よ」

「勝五郎親分は存じ上げています。潮崎はそのお役人様がいらしてから治安がよくなったのですか?」

「ああ、熊谷の旦那が来てからは殺しも火付けも必ずしょっ引かれる。しょっ引かれてからは姿を見ねえから、他の大きな町のお奉行様に裁かれて島流しか獄門か、まあ良くても処払いだろう。こちとら悪人のツラを拝むこたぁねえから、女子供も安心できるってもんだ」

 少々煮詰まりすぎて塩辛い味噌汁とお茶でご飯を流し込んで、奈津は笑顔を作って見せた。

「熊谷様とおっしゃるんですね。有能な方がいらして潮崎は安泰ですね」

 今度は若いのが顔を出した。

「そりゃそうさ、二人合わせて熊と猪だ。鬼に金棒よ」

 どうやら二人の評判は良さそうだ。奈津は場所を移して聞き込みを再開することにした。


 何件か回ってさすがに疲れてきた奈津は船戸様の屋敷のお濠端で休憩した。木槿山の柳澤様のところはお濠が無い。そもそも山奥の小さな町だし、柳澤様のお屋敷は小高い丘の上にあって人をあまり寄せ付けない。それに引き換え潮崎は平地でどこへでも行きやすいので、お濠を掘る必要があったのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、すぐ隣にしゃがみこんだ男がいた。奈津が警戒すると、その男は「どうしたい、疲れた顔をしてるじゃねぇか」と言った。

 中肉中背……いや、やや小さめの体に黄八丈。絡げた裾の下からは浅縹の股引を履いた足が草履をつっかけている。小銀杏に結った頭の下にはギョロリとした目。潰れた饅頭のような顔。

「ええ、ちょっとお使いで。これから帰るんですけど疲れたので休憩しているんです」

「そうかい。俺にできることがあれば何でも言いな。こう見えても潮崎の岡っ引きだぜ」

「猪助親分さんですか?」

 しまった。本人にぶち当たったというのに、そんなことを聞いてどうする。

「なんでえ、俺のこと知ってるのかい? お前さん潮崎の人間じゃねえよなぁ?」

 こうなったら一か八か、本人に当たるしかない。

「ええ、だけどあちこちで猪助親分さんの噂を聞いてたので」

「あはは。どうせロクな噂じゃねえだろう」

「とんでもない。熊谷様と猪助親分がいらしてから悪人はすぐに捕まるし、顔を拝むこともないって、会う人会う人みなさん口を揃えてそうおっしゃいます。いったい何をどうやったらそんなことが可能なんだろうってわたしも不思議で」

「子供でも不思議に感じるか」

「ええ、どんな手妻を使っているのかとても知りたいのです」

 猪助の目が警戒の色を帯びた。

「なんでそんなことが気になるんだ?」

 やはりこの男は侮れない。簡単には落とせないかもしれない

「実はわたし、柏原の名主の娘で奈津と申します。今、柏原では問題が起こるとわたしの父と勝五郎親分で捌いています。ですが、勝五郎親分は楢岡も定期的に見廻っていますのでその負担を軽くするためになるべく父の佐倉が捌こうとしています」

 最後まで説明する前に猪助が割り込んだ。

「ああ、なるほどね。それでお父上の役に立ちたいってことか」

「ええ、そうなんです」

 本当は、なぜ悠一郎を辰吉に襲わせたのかを知りたいのだが、そんなこと本人に聞けるわけがないので、尤もらしいことを並べてなんとかここを乗り切るしかない。

 だがそれは、猪助を絶望的な判断に踏み切らせることになってしまった。

「そういうことなら熊谷様に紹介するぜ。番屋はすぐそこなんだ」

 なんということか。怪しい二人組の番屋に行く羽目になってしまった。

 しかし、何かおかしい。番屋に居ないのなら、辰吉と三郎太はどこにいるのだろうか?

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