第46話 救出3
番屋まではとにかく下手な抵抗をせず、黙ってついて行くことにした。どう考えてもここで逃げ出したりすれば自分が怪しまれる。周りから見ても猪助親分に追われているのを見れば、盗みか何かをした子どもに映るだろう。それで捕まって結局番屋に行くのなら得策とは言えない。ここは猪助を味方に引き込むしかないだろう。
番屋に着くと猪助が「熊谷様、お客様です」と言った。さて困った。もう逃げられない。なんとかしなくては。
奥にいたのは同心羽織の大男だった。同じ大男でも梧桐とは全然雰囲気が違う。触ったら糸を引きそうな、ねちっこい感じのする中年だ。人を見た目で判断してはいけないとわかっていても、生理的に受け付けないというのを肌で感じた。
猪助に促されるまま腰を下ろすと、熊谷がすぐ目の前で奈津を見下ろした。
「何の用かな、お嬢さん」
「あ、あの……」
声も生理的に受け付けなかった。ここまで受け付けない人間がいようとは。想定外の事態に面食らって声が出なかった。奈津が緊張していると勘違いした猪助が代わりに説明した。
「こちらは柏原の大名主のお嬢さん。熊谷様もご存知でしょう、佐倉様んとこの一人娘ですよ」
「ほう。佐倉の御令嬢が一体何の用で?」
「我々が来てから、潮崎の悪人はすぐに捕まるし、その後顔も見ねえってんで、どうなっているのか知りたいんだそうで」
猪助の報告を聞いた熊谷は、奈津と視線を合わせるためにしゃがみこんだ。粘着質な視線が絡みつく。奈津は吐きそうなのをこらえて顔を上げた。
「わたしも佐倉の跡継ぎですので、今のうちから父の助けになりたいと思いまして。祖父が現役の頃は父が助けておりましたし。何か秘訣があるのでしたら、ぜひ熊谷様に教えていただきたいと」
「で? お嬢さんは何を調べてるんだい?」
「ですから……」
「そうじゃなくて。本当のことを聞きたいんだよ。何を調べてた?」
「え?」
熊谷の口元がほころんだ。笑顔を作っているつもりなのだろうが、目に宿った残忍な光は誤魔化すことができなかった。
「お嬢さん。俺はあんまり気の長い方じゃなくてね。素直に喋ってくれないかねぇ」
「だから……」
「だからじゃねえんだよ!」
いきなり熊谷が大声を出した。
「お前はそんなことを調べてるわけじゃねえだろう」
奈津はびっくりして竦み上がった。意図せず目に涙が溜まった。
「おい、誰に頼まれた? 佐倉か? 勝五郎か?」
奈津は必死に首を横に振った。
「子供を間者にするとは。どこのどいつがお前の雇い主だ」
だが不意に奈津は思い出した。わたしは間者として佐倉の家のために働きたかったのだと。こんな事でいちいち怯えていたのでは、とてもそんな仕事が務まるわけがない。
大声を出す人間は頭の出来が悪いから声で誤魔化すのだと父が言っていた。つまり目の前の大男は大声で取り繕って威厳を見せようとしているだけだ。
それならば自分も怯える必要などないのだ。自分が怯えた態度を見せると、この男はもっと調子に乗るはずだ。
奈津はキッと顔を上げ、熊谷の顔面目掛けて毅然と言い放った。
「自信がないのですか。だから大声を出して誤魔化すのですか」
「何?」
「三郎太さんを返してください!」
二人はキョトンとした。奈津の態度に驚いたのもありそうだが、本当に三郎太に心当たりがないらしい。二人で顔を見合わせた後、猪助が口を開いた。
「三郎太? 誰だそれは」
「十五歳くらいの、ちょっと色黒で牛蒡みたいにひょろっとした……」
「ああ、あいつか。あの青鷺みたいな」
間違いない、三郎太だ。
「その人です!」
すると、熊谷がこの世の人間とは思えないような恐ろしい笑顔を見せた。
「あの小僧なら今ころ餌になってる」
「餌?」
「熊の餌だ。お前も今からそうなる」
なんですって?
声を上げる間もなく、背後から忍び寄っていた猪助にさるぐつわをかまされる。暴れようにも相手は大の男が二人、こちらは子供、しかも女の子だ、太刀打ちできるわけがない。このまま熊の餌になってしまうのか。それ以前に三郎太さんも熊の餌になってしまったのだとすれば、辰吉も恐らく……。
抵抗虚しくあっさり手足を縛り上げられた奈津は、そのまま柳行李に押し込まれてしまった。
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