第38話 熊殺しの梧桐2
梧桐の住まいは少々変わっていた。小さな小屋と大きな小屋がくっついているような格好で、寝起きしているのは小さな小屋の方らしい。開けっ放しになった引き戸をするりと通り、二人を手招きした。
上がり框の上は六畳分くらいの広さの板の間で、奥に枕屏風や行灯が見えることから、ここで生活しているのがわかった。
ふと大きな小屋の方を見ると、引き戸一枚で中から行ったり来たり出来るようになっている。もちろんどちらの小屋からも外に出られるのだが、こうして二つの小屋を行き来できる引き戸があればいちいち外から回らなくていいのだろう。
土間から大きな小屋の方を見ると、天井の方に太い
梁からぶら下っているのはどうやら熊のようだ。その熊を見て、奈津は思わず両手でにゃべをしっかりと抱きしめる。
それに気づいた梧桐は、気を利かせて土間と小屋の間の引き戸を閉めた。
「そこに座れ、気持ちが悪ければ外に出てもいい」
それが奈津に向けて言った言葉なのだと解釈して、彼女は丁寧に頭を下げた。
「ご配慮ありがとうございます。ここで結構です」
「すまんな、茶は出せん。湯飲みが無いんだ」
「いえ、すぐに帰りますから」
二人が上がり框に腰かけたのを確認すると、梧桐は樽を持って来て彼らの前に腰かけた。
「で? 佐倉様のお嬢さんが俺に何の用だ」
総髪を後ろでくくっただけの大雑把な髪がよく似合っている。しかし上半身が裸のままなので、奈津はどこに視線を置いたらいいのか少々悩む。
だがこの男、大雑把に見えてなかなかに気遣いの出来る人間らしく、さりげなく着物の袖に腕を通し、絡げた裾もスルリと落とした。
途端に話しやすくなった奈津は、顔を上げて梧桐を正面から見据えた。
「絵師の悠一郎さんが殺されたのをご存知ですか」
「知らんな。悠一郎というのも知らん」
考える時間など微塵もなく、即座に返してくる。なんと話の早い。奈津はこの梧桐という男が気に入った。
「悠一郎さんは柏原で一番の絵師さんなんです。
「つまり鉢合わせたんだな」
「ええ、それが辰吉だったんです」
「そいつも知らん」
そこで三郎太が助け舟を出した。
「以前腕相撲の勝負を挑まれたことはありませんか。若い大男です。今十八だから、腕相撲したときはいつか分かんねえけど」
しばらく首をひねっていた梧桐がハッと顔を上げた。
「ああ、あの粋がってたガキが辰吉か」
「そうです、兄さんが瞬殺したっておいらは聞いてますけど」
「口先だけのガキだったが……あいつがその悠一郎ってのを殺したのか」
「まず間違いないですね。飛び出してきてお嬢さんを突き飛ばして逃げたらしいんですよ。でもね、アイツは得にならないことはしない男なんですよ。そう考えると誰かの依頼で悠一郎さんを手にかけたと思うんですよ」
三郎太の説明に補足するように奈津が説明を引き継いだ。
「その証拠に、ここ数日急に羽振りが良くなったらしいのです。どこかからお金が入らなければそうはならないはずだわ。それがいったい誰の指金なのか、彼に吐いて貰わねばなりません」
梧桐が納得したように頷くのを見て、再び三郎太が口を開く。
「アイツのことです、追及を受けても知らぬ存ぜぬでシラを切るのは目に見えてます。あれは自分が一番強いと思ってやがる。自分に盾突く人間は、力でねじ伏せようとするんですよ。そういう人間の弱点もまた力なんです」
今度は梧桐が力強く頷いた。
「なるほど用件はわかった。それで俺に何か得になることはあるのか」
そうだ、辰吉のことを梧桐に頼んだとしても、何も報酬を準備していないのだ。奈津は自分の浅はかさに唇を嚙んだ。
「なんでもします。私にできることなら。お掃除でもお洗濯でも」
ところが梧桐はハハハと笑って奈津の頭をポンポンと軽く叩いた。
「女の子がそういうことを言うもんじゃない。いいか、二度と言うな」
「え? は、はい。でも……」
「こら、そっちの坊主」
「へい!」
「お前は何しに来たんだ。女の子にこんな事言わせるな。こういう時は坊主が体を張るもんだ。男だろ」
「へい! えーと、えーと、おいら鋳掛屋なんで、鍋なら直せます。今は道具無いですけど」
「よし、それで手を打とう。次にお前が来る時に道具を持ってこい。それじゃ行くぞ」
梧桐は立ち上がった。彼は熊のように大きかった。
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