第39話 熊殺しの梧桐3

 一方、悠介は勝五郎と共に辰吉を追っていた。聞けば勝五郎も辰吉の住まいを知らないと言う。このまま後をつけていれば家がわかるのではないかということだった。

 柏原に入ってからは椎ノ木川沿いに歩いていたが、不意に脇に逸れ、安っぽい作りの長屋の木戸を押して入って行った。

「よし、俺が行って来る。悠介はその辺で隠れていろ。おめえは顔を見られてる」

「わかりました」

 悠介は少し離れた柳の下へ向かい、勝五郎は長屋に入って行った。

 辰吉は潮崎から歩いて喉が渇いたのか、家に入る前に井戸の水を汲もうとしていた。その機会を逃すはずもなく、勝五郎は背後から辰吉に声をかけた。

「よお、辰吉」

 辰吉は驚いて振り返った。

「誰だよおめえ」

「誰だよってこたあねえだろう。何度もおめえを佐倉様のところへ連れてったじゃねえか」

 辰吉はやっと思い出したようだ。

「あ……政五郎親分」

「馬鹿野郎、勝五郎だ。誰だよ、政五郎って」

 勝五郎はぐるりを周りを見渡してから、もう一度視線を辰吉に戻した。

「おめえ、こんなところに住んでたんだな」

「なんだよ、俺はなんにもしてねえぞ」

「それは俺が決めるこった。悪いが一緒に番屋に来てもらおうか」

「やなこった。俺はこれから出かけるんだ」

「帰ってきたばかりで、もう賭場通いか?」

 辰吉があからさまにバツの悪そうな顔をした。図星だったのだろう。

「なんだっていいじゃねえか」

「ついて行って遊び仲間の前でしょっぴいてもいいんだぜ。素直に今ついて来た方がいいんじゃねえのかい?」

 辰吉は苦虫を嚙み潰したような顔をして、渋々「行くよ」と言った。悠介は見つからないように距離を取りながらついて行った。


 勝五郎が「へえんな」と番屋の引き戸を開けると、辰吉は一歩入りかけて足を止めた。

「どうした、入れよ」

「いや、それが」

 勝五郎が無理やり辰吉を押し込んで自分も番屋に入ったところで、同じように立ち尽くした。

「お嬢さん!」

 その勝五郎の声を聞いて、悠介も隠れながら番屋の外に駆け付けた。

「お役目ご苦労様でございます。熊殺しの梧桐さんをお連れしました。佐倉へのご報告をお聞きしましたので、梧桐さんへのお話はわたしの方でさせていただいております」

 奈津はにゃべを抱いたままで言った。どうやらにゃべはここまでついて来てしまったようだ。

 三郎太は辰吉に顔を見られていない。奈津が小声で勝五郎に耳打ちした。

「お取り調べは勝五郎親分さんがなさるはずですので、梧桐さんには横で座っていただくだけで良いと申し伝えてございます。三郎太さんには、交換した悠介さんの服を取りに帰っていただきました」

 勝五郎は頷くと辰吉の方に向き直った。

「これからおめえに聞きてえことがある。まずはそこに座れ」

「なんで俺が命令されなきゃならねんだよ。ふざけんなよ」

 明らかに梧桐に怯えているのに、何故か口調だけは一丁前に粋がっている。それがなんとも痛々しいのだが、本人はかっこいいつもりなのだろう。

「いいから座れ」

 辰吉がめんどくさそうに座ると、梧桐が入り口付近に酒樽を置いてそこに座る。逃げられないようにとの配慮か。

「絵師の悠一郎を殺したのはおめえか」

「殺してなんかいねえよ」

「だが、悠一郎の部屋から出て来たおめえがこのお嬢さんを突き飛ばして逃げたんだろう?」

「そんなの誰が言ったんだよ」

「わたし、あなたに突き飛ばされました」

「顔見たのかよ。あんたの思い違いじゃねえのかよ」

 勝五郎は大きなため息をつくと、外に向かって大声を張り上げた。

「おーい、悠介、入って来い」

 梧桐のすぐ後ろの引き戸が開いて、悠介が顔をのぞかせた。

「あっ、お前はあん時のガキ」

 梧桐は悠介を中に入れると、また引き戸の前に酒樽を置いて座り込んだ。

「ほう。あん時とはどの時だ?」

 勝五郎の追及に辰吉はしまったという顔をした。だが、覆水は盆に返らない。

「あなたが悠一郎さんの家から出て来た時、お嬢さんを突き飛ばしてあたしと眼が合いましたよねぇ。あの日、あなた悠一郎さん宅で何をなさってたんです? 随分たくさんの返り血を浴びてたみたいですけどねぇ」

「ま、待てよ、違うんだ、誤解だよ。俺は殺そうとなんかしてねえ。殺すつもりなんか無かったんだ。たまたま死んじまったんだよ!」

 勝五郎がおもむろに腕を組んだ。

「じゃあ聞くが、なんでおめえは悠一郎の家に行ったんだ?」

「それは……」

 辰吉は口ごもった。そのまま黙り込んでしまった辰吉をじっと見ていた梧桐が、黙って立ち上がる。それだけで十分迫力がある。

「い、言うよ。言うから!」

 梧桐は戸を開け、番屋の入り口で七輪に火を入れ始めた。何をする気なのかわからないだけに、辰吉は青ざめて唇を震わせた。

「頼まれたんだよ、俺が好きで行ったわけじゃねえ、ほんとだよ、信じてくれよ!」

「ほう、何を頼まれたんだ?」

 すかさず勝五郎が質問する。

「なんでそんなこと俺が話さなきゃならねえんだよ」

「大事な事だからに決まってんだろうが」

「俺には関係ねえよ」

 そこで梧桐がチラリと辰吉を振り返る。辰吉はビクっと体を硬直させる。

「いや、その、悠一郎の右手を使えなくしろって。使い物にならなくなるなら、どんな方法でもいいって」

 それを聞いて梧桐が番屋を出て行く。辰吉はホッと胸をなでおろすと、また横柄な態度になった。梧桐との腕相撲の時、一体どんな負け方をしたのだろうか。

「なぜ殺した。殺せとは言われてねえだろう」

「殺したわけじゃねえ、アイツが勝手に死んだんだ」

 それを聞いて奈津が目を剥いた。

「あなた、もう一度言ってごらんなさい。わたしがただではおきません!」

「お嬢さん」

 今にも掴みかからんばかりの奈津を悠介が止める。

「ここは勝五郎親分にお任せしましょう」

「だけど、悠介さんの前であんな」

 悠介が静かに横に首を振ると、奈津も唇を噛んで俯いた。一番殴り掛かりたいのは悠介だろう。その悠介が勝五郎に任せると言っているのだ、奈津は黙るしかなかった。

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