第33話 殺し3

 お仙が墨をっている間も勝五郎の質問は続いた。

「お嬢さんたちが入った時、悠一郎さんはまだ生きてたのかい?」

 奈津が急に泣き出した。悠一郎の最期を思い出したのだろう。仕方あるまい、彼女には少々衝撃が強すぎた。

「ええ、まだ息がありました。まだ話せました」

「何か言ってたか」

 確かに言ってはいたが、これを悠介が話していいものだろうかと少し躊躇した。その僅かな気の迷いを敏感に感じ取ったのか、奈津が口を開いた。

「あの家にある画材をすべて悠介さんに譲るとおっしゃいました。自分の代わりに船戸様の唐紙の絵を描けと。わたしがこの耳でしかと聞きました」

 勝五郎が悠介に「そうなのか?」という目を向ける。悠介は何も言わず、黙って頷いた。

「もしもあたしが悠一郎さんの代わりに描くことになれば……黒幕が誰かわかるかもしれませんね」

「どういう意味だ」

「船戸様の唐紙で一番有力なのは悠一郎さんだと言われていたらしいです。悠一郎さんがいなくなって得をする人がいるのかもしれません」

「そうなると今度はおめえさんが狙われることになるぜ」

 勝五郎が声を低くする。この家の人間と佐倉の人間しかいないのだからそうする必要もないだろうに。

「あたしはいつも佐倉の家にいるんですよ。狙うなら買い物に出かける時でしょう。あたしはこのとおり、見た目が派手ですから、襲うのも容易じゃありません。あたしの周りで怪しい動きをしている人間がいたら、そいつを調べりゃいいってことです」

 奈津が涙を拭いた。

「調べましょう。紅秋斎先生と鉄宗先生の周りを。先生方は何もご存知ないかもしれません。それと、悠介さんが描く似顔絵の男。わたしを突き飛ばしていったあの男を調べるのです。親分さん、やってくださいますね?」

 奈津の迫力に勝五郎は一瞬のけぞった。

「お、おう、合点だ。まずは似顔絵の男を探すか」

「では……」と末広屋の主人が恐る恐る割り込んだ。

「悠一郎さんの葬儀はうちで出しましょう。いろいろお世話になりましたから。そこに紅秋斎先生と鉄宗先生がお越し下さるかもしれませんし」

「おう、その手があったか」

「でも親分さんが先生方をじろじろ見たんじゃあちらも気になるでしょうから、わたしが紅秋斎先生と鉄宗先生に当たってみます」

「お嬢さんがですか?」

「わたしも佐倉の人間です。町の名主の娘が声をかけるのは不自然ではありませんから」

 奈津の毅然とした態度に、勝五郎は「お願いします」と頭を下げた。

「では、親分さんは悠一郎さんを刺した男を、末広屋さんは悠一郎さんの葬儀を、わたしは絵師の先生方を、悠介さんは似顔絵を。悠一郎さんの訃報と、悠介さんが悠一郎さんの代理を務めることは、佐倉から船戸様に今日中にお知らせしておきます。これでいいですね」

 僅か十歳の大名主の娘は、全員に仕事を割り振り、この場をあっさりとまとめてしまった。


 翌日の悠一郎の葬儀には紅秋斎も鉄宗もやってきた。二人は知り合いのようで、深刻な顔で何か話していたが、奈津が挨拶に行くと二人とも丁寧に挨拶を返した。

「悠一郎さんとは一緒に飲んだことがあるんです。紅秋斎先生のお宅にお邪魔して」

「無理を言いましてねぇ。鉄宗先生とご一緒にお越しいただいたんですよ」

 紅秋斎は七十過ぎの好々爺で、白髪を小銀杏に結っている。年相応に恰幅が良く、一見しただけでは大店の御主人のような佇まいである。話し方ものんびりしていて、よく言えば落ち着きがあり、悪く言えばまったりしすぎだ。

 一方鉄宗は如何にも何かの職人といった風情で、白髪交じりの総髪を後ろで一つに束ねている。体は細身でちょっと殴られたら折れそうだ。早口で喋るのでせかせかした印象がある。

 とにもかくにも正反対の二人は立っているだけでよく目立つ。

「最後に会った時はあんなにお元気だったのに」

 鉄宗が鼻の頭を真っ赤にして、皴の刻まれた眉間をつまんだ。紅秋斎がその肩に手を回す。

「わしらはね、お嬢さん、三人で潮崎の船戸様のお屋敷の唐紙を描くことになっていたんですよ」

「三人の中から一人の意匠を選び、それを三人で協力して描くことになってたんです。それがまさか、こんなことになるなんて。悠一郎さんの絵で行くことになるだろうと思ってたんですよ」

「わしもそのつもりでおったんだが」

 悠一郎殺しはこの二人の指金ではないということか? しかしどちらかが芝居をしている可能性もある。

「実は悠一郎さんが亡くなる間際に、自分の遺志を継いでほしいと頼んだ相手がいるのです。その人に唐紙の仕事に参加するように言って息を引き取りました。わたし、その場に居合わせたんです」

 涙を流す鉄宗の肩を抱いたまま、紅秋斎が顔を上げた。

「お嬢さんが悠一郎さんを看取ったのかね」

「ええ、うちの奉公人も一緒でした。この奉公人は柏原の徳屋という茶問屋の茶袋の絵師をやっておりまして、悠一郎さんはこの者に画材から作業場まですべて託したのです」

「その絵師はどこに」

「あそこで悠一郎さんのご遺体のそばに立っている男の子が絵師の悠介です」

「子供じゃないか」

「はい。わたしと同い年でまだ十歳になったばかりです。彼に唐紙の仕事をご一緒させていただくわけにはいきませんか。絵に関しては悠一郎さんのお墨付きがございます」

 鉄宗はチラリと紅秋斎に視線を流した。

「船戸様がお許しになるかどうかですね」

「いや、わしがうんと言わせよう。絵師は一人でも多い方がいい」

 奈津は礼を言いながら心の中で「やった!」と拳を握った。

「それではお二人を紹介しますのでこちらへどうぞ」

 奈津は涼しい顔で二人を悠介のもとへ連れて行った。

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