第32話 殺し2

 勝五郎が悠一郎の遺体を検分している間、悠介と奈津はお仙とともに末広屋で待つことにした。末広屋には主人の他に扇職人が一人と丁稚が一人いたが、話を聞いて職人も主人も全く仕事にならない様子だった。

 悠介と奈津は、丁稚が淹れてくれたお茶を飲みながら、なんとか気持ちを落ち着けようと努力した。

 悠介は母が亡くなった時、自分で看取った。だがそれは闘病の末のことであり、ある程度覚悟もできていた。だが今回は想定外だ。先日知り合ったばかりの元気な人間が自分の見ている前で息を引き取ったのだ。しかもそれが実父なのだから衝撃は大きい。

 奈津に至っては、人が亡くなる現場に居合わせたことがない。初めての経験で、しかも病気ではなく人殺しである。これが彼女の心に影を落とさないわけがなかった。

 声をかけようにもかける言葉は見つからず、下男の立場でお嬢さんの震える手を握ってやることもできず、悠介はただただ俯いて茶碗の中の苅安色の液体を眺めるだけだった。

 四半刻ほど経って、勝五郎親分が末広屋にやって来た。勝五郎を見た奈津は先程の様子が嘘だったかのようにシャンと背中を伸ばして立ち上がった。

「親分さん、お役目ご苦労様でございます」

「佐倉様のお嬢さんじゃねえですかい。こんなところで何をしてらっしゃるんで?」

 名主のお嬢さんだとこういう扱いになるのか、と悠介は感心した。それもそのはず、柏原の揉め事はほとんどが佐倉の手によって片付けられている。強盗や殺しなどの凶悪な事件だけ勝五郎に頼んでいるのだ、佐倉のお嬢さんを勝五郎が知らないわけはない。また奈津もそうやってしょっちゅう勝五郎と顔を合わせていたのだろう。挨拶が淀みなさ過ぎた。

「わたしたち、下手人と顔を合わせているのです」

「え? なんですって、本当ですか!」

「ええ、その話をしなくてはと思い、こちらの末広屋さんで親分さんを待たせていただいていたのです」

「そうでしたか、こりゃあ末広屋さんには済まねえことをした」

 お仙はそれまでぼんやりしていたが、弾かれたように姿勢を正した。

「悠一郎さんの世話はほとんどあたしがしてましたから。なんなりとお聞きくださいまし」

 主人も職人も仕事にならないということで早々に店を閉め、末広屋の座敷で話をする事になった。丁稚は住み込みで、座敷の方に新しいお茶を出してくれた。この子は悠介たちと同い年くらいだが、よく気のつく働き者だった。

 座敷に上がると奈津と悠介が並んで座り、勝五郎がその正面に陣取った。お仙は亭主と一緒に入り口付近に並んだ。

 まず奈津が勝五郎に悠介を紹介した。

「こちらはうちの奉公人の悠介です。お茶問屋の徳屋さんから茶袋の封の絵の仕事を貰って、絵師を副業でやっています」

「お初にお目にかかります、悠介と申します」

 悠介はいつものように畳に手をついて挨拶をした。

「お前さんが悠介か。徳屋の茶袋は最近じゃ有名だからな。まさかこんな子供が描いてるとは思わなんだ、大した腕だねぇ」

 勝五郎の素直な感想に、悠介は「ありがとう存じます」と頭を下げた。

「それで、佐倉様のお嬢さんが悠一郎さんに一体何の用だったんだい?」

「小間物屋に行く途中で鋳掛屋の三郎太さんに偶然会ったんです」

「おお、三郎太か」

 彼は有名人なのだろうか。歳は十五、六と言ったところだが、みんなが三郎太を知っている。

「そこで三郎太さんから、潮崎の船戸様のお屋敷の唐紙を全部替える話を聞いたのです。なんでも潮崎と楢岡と柏原から一人ずつ絵師を呼んで、新しい唐紙の絵を描かせる一人を決めるとかで」

「それで柏原からは悠一郎さんだったんだな」

「ええ、それを聞いたので悠一郎さんのところへ激励に行ったのです」

「お嬢さんたちはいつから悠一郎さんと知り合いだったんで?」

 勝五郎は出された茶をクイと持ち上げて言葉を促した。

「つい最近です。悠介さんが徳屋さんの仕事を貰っていたので、絵を納品しに行ったら、そこに悠一郎さんがいらして。悠介さんと話がしたかったようなんです。それで二人で悠一郎さんの家にお邪魔したことがございます。今日は二度目の訪問のつもりでした。悠一郎さんが万寿屋さんのお饅頭が好きだとおっしゃっていたので買って行ったのですが、こんな事になるくらいなら手ぶらでもいいから早く行けば良かった。わたしたちがいたら下手人も入っては来なかったかもしれません」

「いえ、お嬢さんがご無事で何よりでした。下手人と鉢合わせになったんですよね」

 奈津はその瞬間を思い出したのかブルっと身震いした。

「わたしがちょうど引き戸を開けようとしたときに、凄い勢いで開いて中から人が出て来たんです。それでわたしを突き飛ばしてそのまま走って行ってしまいました」

「顔は見たんですかい」

「見たけど、血がたくさんついていて、どんな顔だったかよく覚えていません」

「あたしがしっかり見ましたよ」

 ずっと黙っていた悠介が横から口を挟んだ。

「三郎太さんくらいの丈で、体格は勝五郎親分みたいにがっしりとしてました。銀鼠ぎんねずの小袖を鉄色の帯でからげてました。足元は草履、頭は小銀杏。顔から胸元にかけて返り血を浴びていました。顔はしっかり見たので人相書きが作れます」

「そうか、おめえさんは絵師だったな。おう、お仙。済まねえが、悠介に紙と筆を用意してくれねえか」

「はい、只今」

 お仙が紙と硯を準備している間、悠介は少しでも情報を仕入れておこうと思った。何かの役に立つかもしれない。

「親分さん、悠一郎さんは首を斬られてましたけど、一体何で斬られたんでしょうか」

「あれは匕首だな。獲物は自分で持って帰っちまったようだ。おめえさん、その男が匕首を持ってるのは見なかったのかい」

「手ぶらでした。もしかしたら懐に仕舞っていたのかもしれません」

 勝五郎が唐突に大きなため息をついた。

「すみません、あたしは何か余計な事を言ったでしょうか」

「いや、逆だよ。おめえさん、よく冷静に見てたなと思ってよ。おめえさんも岡っ引きに向いてるんじゃねえか?」

 奈津がチラリと悠介に視線を送った。奈津も悠介もそれに近い仕事――裏方ではあるが――を目指しているが、そこは「あたしは絵師なので」と誤魔化した。

 そこにちょうどお仙が紙と硯を持って戻って来た。

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