第26話 転機4

 その日の晩、悠介は佐倉に呼ばれて一緒に食卓を囲むことになった。今日は調子がいいのか御隠居様も一緒に夕食をとるという。この屋敷に住む五人が一堂に会するのは初めてではなかろうか。悠介は自分がここにいるのが酷く場違いな気がして落ち着かなかった。

「今日は奈津と悠介のお祝いなのだよ」

「なんのお祝いですか?」

「生まれてくれてありがとう、育ってくれてありがとうのお祝いだ」

 聞くと佐倉家では毎年奈津が生まれた神無月にお祝いをするらしい。子供のお祝いといえば桃の節句や端午の節句、七五三などだが、ここ佐倉の家では奈津の誕生に因んだお祝いをしているようだ。しかも奈津と悠介の生まれた日がどうやら同じ日らしいということで、一緒に祝うことにしたらしい。

 これには奈津が一番喜んだ。今までは一人だけ姫のように扱われたが、今年からは悠介と一緒に祝って貰える。それが嬉しいらしい。

「奈津の着物に合わせて、簪は悠介が選んだのですよ」

 お内儀が言うと、奈津は「本当? あの金を散らした蘇芳色のギヤマン玉とっても素敵だったわ」と目を輝かせた。

「あたしも着物を三着も買っていただいたんです」

「古着でしたけどね」

「母上、どうして悠介さんに新調して差し上げなかったのです」

「ああ、それはあたしが古着にして欲しいと言ったんですよ。その方が布地も柔らかくて着やすいので」

 和気藹々と話が弾んだところで、佐倉が少し硬い口調で悠介に話を振った。

「ところで悠介は元服したらどうしたいと考えているのだ」

 この辺りでは男子も女子も元服はほとんど十五だ。あと五年。子供には長く感じる五年も、佐倉くらいの歳の人間はあっという間に過ぎ去る年月であることを知っている。

「そうですねぇ、いろいろ考えてはいるんですけれど、まだ世間をよく知りませんので。あたしは柏華楼を出た日から人生を始めたようなものですから、まだ赤ちゃんのようなものです。漠然と佐倉の家にご恩返しの出来る仕事がしたいとは思っているんですがねぇ」

 うんうんと頷いて聞いていた佐倉が不意に顔を上げた。

「佐倉には男子がいないのだ」

 いきなり何を言い出したのかわからず、悠介と奈津は揃ってポカンとしてしまった。そこにすかさずお内儀が割って入った。

「それは今話すことではございませんでしょう」

 お内儀が主人に意見をするのは非常に珍しく、悠介はおろか奈津も驚いたようだが、佐倉はそれを意に介さずに続けた。

「悠介を迎えるなら元服前が良い」

 そこでやっと奈津は父の意図を正しく汲み取った。つまりは悠介を養子として迎えたいと思っているのだ。

 だがお内儀がもう一度、今度は主人の目を射抜くように言った。

「今日はこの二人の生まれた日を祝いましょう」

 それっきり佐倉はその話を続けようとはせず、奈津の小さな頃の話で盛り上がった。


 翌日は奈津の三味線の稽古の日だった。いつものように白里師匠のところで稽古を終え、家に帰る途中に奈津が言いづらそうに「あの」と言った。

「昨日母上が言ったことだけど、悪く受け取らないで欲しいの。わたしも母上と同じ意見だから」

「何のことです?」

「父上が悠介さんを養子にと言った時に慌てて話を逸らしたでしょう。母上はあなたを養子にしたくないわけじゃなかったの。自分の道は自分で決めて欲しかったんだと思うわ。わたしだってそう。悠介さんは今まで外の世界を知らずに生きて来たんだから、これからは自分の思う通りに生きたらいいと思うの」

 悠介はなんと返事をしたらいいのかわからず押し黙った。

「父上は夢見がちなところがあるのよ。うちに男子がいなくて佐倉の血が途絶えてしまうことを心配しているの。だからってそのために悠介さんを養子にとるなんて。悠介さんの気持ちも考えずに」

「ああ、だから聞いてくだすったんですね」

 悠介は昨夜の会話を思い出していた。

「でもあんな聞き方じゃ断りにくいじゃないの。悠介さんがこのまま佐倉の息子になりたいと最初から分かっているのなら話は別だけど、そうでないならあんな断りにくいような聞き方をするべきじゃないわ」

「あたしは嫌なら嫌とはっきり言いますよ。お嬢さんは心配なさらずとも大丈夫です」

「わたしは心配してないわ、悠介さんしっかりしているもの。だけど父上があまりにも脳天気だから母上が釘を刺したんだと思うの。決して母上が悠介さんに家を出て欲しいとか、息子にしたくないとか考えているわけじゃないって、悠介さんに話しておきたかったから」

 確かにお内儀は悠介に笑顔で接することはほとんど無い。だが笑顔が無ければ嫌われているというわけではない。本当に必要な時に必要なものをサラリと準備してくれる。筆や文箱もそうだった。耳飾りもそうだった。どれもこれも決して安物ではなく、一生使えるからと言って蒔絵の文箱だったり、翡翠や珊瑚の高価な耳飾りだったりした。お内儀はあまり顔には出さないが、実は誰よりも悠介のことを考えてくれている。

「あたしは昨日お内儀さんから素敵な言葉をいただいたんです。お前はわたくしの息子のようなもの、そう言ってくだすったんですよ。お内儀さんはあたしの二人目の母なんです」

 そう言うと、奈津はホッとしたように笑顔を見せた。

「実はね、わたしには着物を新調して悠介さんに古着なんてあんまりじゃないのって母上に抗議したの。そしたらこう言うのよ」

 奈津は突然取り澄ましたようにお内儀の真似を始めた。

「悠介は自分の意思をきちんと伝えられる子です。その悠介が新品よりは古着の方がいいと言ったのだから、欲しいものを買い与えた方が彼の為です。新品を一着作るお金で古着が五着買えるから、好きなものを選びなさいと言ったら彼はそれでは二着くださいとはっきり言ったのです。遠慮するなら一着でいいと言うだろうし、そうでないなら五着買ったでしょう。あの子が二着と言ったのは、二着必要だからです。そこにわたくしの好みでもう一着追加しただけなのですよ」

 そこまで言ってフフフと笑った。

「それで母上は悠介さんのことが大好きなのだわって思ったの」

 いかにもお内儀さんが言いそうだ。しかも奈津の物真似が上手くて笑ってしまう。

「結局お内儀さんが一番あたしのことを理解してくだすってる。あたしもね、できることなら佐倉家の人間になりたいですよ。だけどすでにこうして佐倉の下男として働かせていただいているじゃないですか。もう十分、佐倉の一員です。これ以上は求めません」

「でも養子に入れば悠介さんが佐倉の家を継ぐのよ」

「お嬢さんが継がれればいいですよ。あたしには荷が重い」

「わたしは出て行くわ。やりたいことが決まってるんだもの」

 急に奈津の声音が変わったので悠介は驚いた。彼女の本気が感じられる決然とした響だった。

 聞くなら今しかない。悠介が逡巡している間にどこかで不如帰ほととぎすが一声鳴いた。

「少し回り道して行きませんか。実はあたしはお嬢さんと話がしたかったんですよ。家じゃできない話なので」

「いいわよ」

 二人は椎ノ木川の川縁に順路を変えた。

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