第27話 転機5

「そろそろ教えて貰えませんかね。あたしを相棒にとお考えならこちらにも心の準備ってもんがありますし、これから先のことを考えるのにそこんところを考慮しないといけません」

 二人は椎ノ木川の土手の木の陰に並んで腰を下ろした。河原で遊んでいる子供たちの歓声が届く。

「悠介さんは何をする人になりたいの?」

「今はお嬢さんの話です」

「悠介さんが教えてくれたらわたしも話すわ」

 こういうところが奈津は頑固だ。これは佐倉の血だな、と悠介は内心苦笑いする。こんな時の奈津は絶対に話さない。ここは自分が折れるしかないのを悠介は知っている。

「実はなんだっていいんです。自分の望みはただ一つ。佐倉様のお役に立ちたい、その為なら絵師でも僧侶でも寺子屋の先生でも下男でもなんでもいいんです。佐倉様のお役目を陰で支える仕事がしたいんです」

 こんな漠然とした話で奈津が納得するとは思えない。悠介が少々不安に思いながら奈津の横顔を盗み見ると、なぜか彼女は嬉しそうに笑っていた。

「さあ、あたしは言いましたよ。お嬢さんの番です」

 彼女は「驚かないでね」と前置きしてから言った。

「芸者になりたいの」

「芸者?」

 思わず鸚鵡返しに聞いてしまった悠介に、奈津は艶然と微笑んだ。

「そう。父上のお役目をわたしも支えたいの。このお役目には間者が必要です。父上の代わりに街へ出て色々調べる人間がいなければとても父一人では務まりません」

「御隠居様の時はどうなすってたんで?」

「もちろんいましたよ。でもその方たちももうお歳を召して、亡くなられたり足腰が弱ってしまったり。それで父上に代替わりしたような部分もあるの」

「それでなぜ芸者?」

 奈津は、話はここからだとばかりに悠介の顔を覗き込んだ。

「情報には二種類あるの。ひとつは町の人達から仕入れられる市井の情報。もう一つは町の人からは得られない情報、つまり政治的な思惑で動いている人たちの情報」

「政治的な思惑?」

「街そのものを左右するような大店の取引とか、近隣の町にも影響を及ぼすようなこととか。そういう話は大店の主人とか町のお役人とかそういう人たちの間でしか交わされない」

「なるほど。そういう人たちが密会をする場所と言えば待合茶屋ということですね」

「そういうこと」

 そう言って奈津は二人の間に置いた三味線に手を置いた。

「幸い柏原には柏茶屋があるでしょ。あそこは柏華楼と線引きをするために、春をひさぐこともないわ」

 奈津の口から『春をひさぐ』などという言葉が出て来て驚いたが、そういえば最初に出会った時に悠介自身が教えた言葉だったことを思い出した。

「悠介さんのお母上を悪く言ってるわけじゃないのよ。わたしは芸者として偉い方のお酒のお相手をして情報を聞き出すの。茶屋一番の芸者になればお酌だってしなくていいらしいわ。だから三味線の稽古に励んでいるのよ」

 なるほど、そういうことだったのか。やっと話が繋がった。

「柏茶屋の主人は父上の友人なの。父上が子供の頃に剣術の師匠のところへ少し通っていたことがあって、その時に仲良くなった幼馴染なんですって。だから少しだけ融通が利くの。ただ……」

 奈津はちょっとだけ小首を傾げた。

「私が柏茶屋に入ったら、ずっとそこで暮らすことになると思うわ。いくら上客から情報を仕入れることに成功しても、それを父上に伝えられなければ意味がない。そこで」

 奈津は体ごと悠介の方を向いた。

「悠介さんの出番なのよ。悠介さんが来たらわたしのところへ来てもらって情報を流す。悠介さんはそれを持って父上に報告する。そういう相棒が欲しかったの。悠介さんは町の情報を拾い、わたしは上の情報を拾って悠介さんに渡す。ね、父上のお役目を支えることになるでしょう?」

「それは旦那様がお許しにならないでしょう」

「父上の許可なんて要らないわ。どうせわたしはこの家を出る身。たとえ誰かのところへお嫁に行ったとしても、わたしは自分のしたいことをする。嫁に行ってからだったら父上には何も言う権利もないし、それに嫁に行ってからこんな勝手をするくらいなら独り者のうちにやった方がいいわ」

 凄まじい行動力だ。旦那様から見ればムチャクチャだろうが、話は理に適っているし、そこまでの下準備も着々と進んでいる。末恐ろしい娘だ。

「そりゃまあ、そうですけどね」

「それとも悠介さん、わたしを貰ってくれる?」

「まさか! 滅相もない! 身分違いも甚だしいですし、第一、所帯を持った芸者なんて聞きませんよ」

「そんなことより悠介さんはどうなの? 情報屋としてわたしの相棒になってくれるの?」

 確かに願ってもない申し出である。情報屋なら絵師をしながらでもできる。徳兵衛のところへ出入りすれば、低所得層から高所得層まで幅広い客と話ができる。大店の手代が茶を求めて来ることもあるし、そういうところなら主人の話と番頭や手代の話が食い違うこともあるだろう。それを自分と奈津が手分けして探り出すことができるのだ。

「やりましょう。あたしは今すぐにでもできます。お嬢さんはこの先お見合いがあるかもしれませんし、決めてしまわない方がいいでしょう。ただしお嬢さんが柏茶屋に入った暁には、相棒として働かせていただきますよ」

「約束よ」

「わかりました」

 悠介が奈津の目の前に小指を出した。

「なあに、それ」

「指切りですよ。遊女の世界は身請けして貰うことで遊郭から出られます。客が遊女に身請けの約束をする時に、それが本気かどうかわからないんで、お互いに切った指を交換するんだそうです。でも本当に指を切るわけにはいきませんから、指切り髪や入れ黒子と言って、髪を切って渡したり相手の名を体に彫ったりするんです」

「ほる?」

「刺青ですよ」

 急に奈津が両腕で自分の肩を抱いた。

「私も刺青をするの?」

 悠介は一瞬ポカンとしたが、すぐに奈津の言った意味を理解して笑った。

「まさか。指切り髪や入れ黒子の代わりに、約束の証としてお互いの指を絡めるんですよ。よく遊女のお姉さんたちとこうしていろいろな約束をしました。指切りした約束は絶対に反故にしてはいけないんです」

「元は身請けだったんですものね」

 奈津は遠慮がちに悠介の小指に自分の小指を絡めた。

「はい、指切りしたわ。悠介さんはわたしの相棒よ」

「ええ、一生所帯を持たず、お嬢さんの相棒として佐倉家とこの柏原の町のために働きますよ」

 奈津が手を放しても、いつまでも残る彼女の小さな手の感触が残っていた。

 悠介が彼女に触れるのは、これが初めてだった。

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