宮廷の住人は秘密をまとう
蛙の宮殿1
今姫棋は、豪奢な部屋の中で一人ぽつねんと待たされていた。
(この部屋、落ち着かないなあ)
昔、自国の宮廷で女官をしてた姫棋は、それなりに煌びやかな世界を見てきたつもりだった。しかしこの
今待たされているこの部屋だって、ただの応接室ということだったがその絢爛豪華さは皇后の部屋のごとしだ。
立派な卓と椅子、技巧を凝らした華やかな燭台、窓際に垂れ下がる羅の薄布は金箔が折り込んであるのか、夕陽に照らされきらきら輝いている。
(姮娥様か…)
姫棋が待っているのは
ぐえこ、ぐえこ。
おあつらえ向きなことに、この宮の辺りには
どうして姫棋がそんな
絵を描く場所の確保である。
となると姫棋は自分の部屋で絵を描くことになるが、宮女の部屋というのは最低でも二人、多くて六人の相部屋だ。
相部屋で絵を描くというのは中々難しく、姫棋はいつも外に出て絵を描いていた。
それも気楽でいいのだが、天候によってはしばらく絵が描けないこともある。
そうなると新しい依頼を受けたときに期日を守れない可能性があった。
ということで、なんとか個室を当てがってもらえないだろうか、と木蓮に相談したわけだ。
ただ木蓮も宮女に個室を与える権限はさすがに持っていなかった。
そこで木蓮は、宮女の元締めである
宮女の
(私が言って、個室なんかもらえるだろうか)
前例はない、ということだった。
個室を持ちたいなら通常、誰か要人の侍女になるしか道はない。
しかし侍女というのは要人にべったり付いているだけあって中々に忙しい役職だった。それなら体力は必要なれど就業時間がきっちり定められている宮女の方が身動きが取りやすい。姫棋にとってはやはり宮女の方が都合がいいのだ。
(前例を覆すとなると、なかなかに厳しい闘いになりそうね)
おそらく欲しいと言って、そう簡単に個室を与えてはくれないだろう。
気を引き締め直す姫棋のもとに足音が近づいてくる。
すっと扉が開かれた先にいた人物は、宮女長の
(まさか宮女長直々に迎えに来られるなんて)
てっきり、宮女の誰かが迎えにくると思っていた姫棋は彼女の登場に、腹の上のあたりがきゅっと縮まった気がした。
彼女は姫棋に一瞥をくべると、さっと踵を返す。
「付いてきなさい。姮娥様のところへ案内します」
◇ ◇ ◇
姫棋が通された部屋は、先ほどの部屋より数段豪華な造りになっていた。高価な
その部屋で、すっかり頭の白くなった老女が待っていた。
その瞳は爛々と冴えわたり、絢爛な
彼女がこの
(さすが皇族の血筋といったところか)
この
なぜ元が付いているのかというと、その昔、彼女はとある官吏と駆け落ちし皇籍をはく奪されたのだ。
結局、彼女は宮廷に連れ戻されることになったが皇族に復籍させるわけにもいかず、自分の妹の処遇に困った前皇帝が、彼女を宮女の元締めという役に置いたらしい。
とはいえこの部屋や彼女の着ているものからして、ほとんど皇族として扱われているようである。
姫棋はそんな曰く付きの彼女を前に、膝をつき揖手した。
「姫棋と申します」
たとえ皇帝を前にしても怯まない自信があったのに、目の前にいる
「そなたが木蓮の言う絵師か。おおかた話は聞いておる。しかしそなたはなぜ、そこまでして絵を描きたいのじゃ?」
姫棋は頭を下げたまま答える。
「わたしにとって、絵を描くことは呼吸をするのと同じなのです。それなしでは生きていけません」
「ふむ。じゃが、絵を描きたいだけなら、どこぞへ嫁にでも行った方が気楽に描いていられるのではないか?」
姫棋は一瞬、本音を告げるか迷った。でも
「わたしは……男に頼って生きるなどまっぴらごめんです。自分で稼いで生きていきたい」
束の間、沈黙がおりた。が、すぐに大きな笑い声が響き渡る。その声に驚いて姫棋は思わず顔を上げた。そんな姫棋に姮娥はにんまりと笑いかけてくる。
「なるほどのう。では、そなた女が好きか?」
「は? あ、いえ。そういうわけではありません」
「そうか。ならば、おぬし……」
そう言って姮娥は椅子から立ち上がり、ずいと姫棋に顔を近づけてきた。
「まだ男に惚れたことがないのじゃろう」
姮娥はまた微笑んでみせた。
威厳のある彼女から放たれた意外な言葉に、姫棋は目を瞬かせる。
(この人……)
なるほど、官吏と駆け落ちするだけのことはあるようだ。
横に立っていた
姫棋は最初に感じたのと、また別の恐ろしさを姮娥に感じていた……。
「宮女に個室をやるのは構わんが、おいそれとやったのでは面白うないしのう。どれ、そなたがわらわの気に入る絵を描けたら個室をやる。というのでどうじゃ?」
どうじゃ? と聞かれても、姫棋には「是」以外の返答などできようはずもない。
「何の絵を描けばよろしいでしょうか」
すると姮娥はまた含みのある笑いを浮かべた。
「『誰のものでもあるようで、誰も手に入れられない、決まった日に姿を隠す恥ずかしがり屋』を描いてもらおう」
「ええっと、それは、どういう……?」
「質問はなしじゃ。そなたなりに解釈して、わらわの気に入る絵に仕立てよ。そうさな、期限は日付が変わるまでとしようか」
そう言うと
「それでは別の部屋に移ってもらいます。紙や筆は部屋に用意してありますから、それを使いなさい」
用意していたということは、最初から絵を描かせるつもりだったということだ。とんだ試練を課せられてしまったものである。ただ絵を描くだけならまだしも、まずはお題の謎かけを解かなければ、絵の描きようがない。
(制限時刻まで、
さて、間に合うか。
姫棋は
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