マキラの恋


 ◆◆◆◆◆◆



「───キラ、」


 名前を呼ぶ、その一瞬の間だった。

 マキラの背から、長い髪をかき分けて赤く濡れた刃が突き出す。

「あれ?」

 誰よりも、驚いたのはエミーリア自身だ。彼女にとっては、どうせ動かないからと突き出したはずの刃だ。


「「マキラっっ!!」」


 エリックとラルフの声が重なる。

 ラルフがエミーリアを突き飛ばした。顔いっぱいに怒りではなく悲しみを浮かべて。

「あ、ああ、だめだ、マキラ、マキラ」

「マキラっマキラぁ」

 血を吐きながら、マキラは空を見上げていた。たいまつをそのまま抱えたように痛くて苦しいことよりも、ラルフとエリックが辛そうなことが悲しくて。

「エリックっ、魔法で、魔法で治せないのか?!」

「…っ…ごめん。僕には…」



 ◆◆◆◆◆



「(エリックは回復の魔法がそんなに上手じゃなかったなあ。)」

 虚ろな意識で、マキラは考える。

「(おかあさんでも、これは治せないなあ)」

 だから、自分を責めないで。そう言ってあげたいが、すぐ目の前まで死が迫っているのをマキラは感じていた。

「(エリックか、ラルフじゃなくて良かったわ)」

 2人の手が触れているのに、ここは凍えるほどに寒い。視界は突然暗くなったり明るくなったり。いつ見えなくなるかと恐ろしい。

 少しだけ息を止め、あとひと呼吸分の空気を貯める。言えるのはあと一言だと、分かっていたから。

「(ラルフ、ごめんなさい、私ね、エリックにどうしても言いたいの)」


 エリックの方を向く。青い瞳、金色の髪。

 小さいな頃からずっと一緒で、これからも一緒に居たい一番大好きな彼。



 ◆◆◆◆◆



 やーいやーい泣き虫マキラ


ひそひそ


 変な髪!それに変な匂いまでして犬みたい!


 浮かせたらわんわん泣き出したぞ!


ひそひそ


 マキラ!ほら四つん這いで鳴いてみろよ!


 あのガキ!うちの子に魅力を使ったぞ!


 娼婦ねまるで


ひそひそ



ひそひそ



 ◆◆◆◆◆



 「どうしてマキラに酷いことを言うんだい?」


 「マキラの髪はくるくるしてて可愛いね」


 「すごい、マキラの目、宝石みたいだ」


 「傷を治してくれてありがとう、マキラ」


 「マキラ!一緒にあそぼ!」



 ◆◆◆◆◆



 マキラはエリックが嫌いだった。


 自分と違って魔法の才能のおかげでみんなに人気者で、大人にも頼られていて。キラキラしてるから何となく近寄りづらかった。

 だが、エリックはいじめられていたマキラを庇って、止めた。ただ、マキラには助けられたという想いと同時に酷い劣等感を感じてしまう。

「(私がいくら泣いても、いやって言ってもやめなかったのに。なんで、私もおんなじとしなのに、)」


 スカートの裾を握って、じっとうずくまって。

 これが嫉妬だと幼いながらに理解し、エリックには何の非も無いと自分を責めたりした。


 しかし、マキラは知った。


 夜に物音で目を覚ましたマキラは、エリックが夜もずっと魔法で仕事をしていたところを見た。

 次の日も、また次の日も。誰かの頼みごとを引き受けて、ずっと働いていることを。

 その後ろ姿は悲観する様子はなく、しかし楽しそうでもない。


 最初は、黙って後ろから近づいて。薪運びを手伝って。

 何日か続けた後は、「こんばんは」なんて声をかけた。

 それからは一緒に話しながら仕事をするようになって。


 「エリック、もうたのみごとをひきうけちゃだめ」

 「どうして?」

 「だって、エリックにやらせて自分たちはおさけをのんで寝ているのだもの。そんなのおかしいわ」


 何度もそう説得して、エリックに仕事をするのをやめさせた。

 代わりに子どもたちの遊び場に連れて行った。

 今度はあっという間に子どもたちに馴染んで、エリックと仲が良いからとマキラは自然といじめられなくなって。思うところが無かったわけではないけど、エリックが楽しそうだから笑っていることにした。



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆



 マキラの名前を呼びながら、ラルフの頭のどこか冷静な部分が『もう助からない』と告げてくる。

 物語のようにラルフに魔法の力が目覚めてマキラを治してやれるわけでも、時を遡ることもできない。


 世界はそういう風にできている。


「(私ね、ずっと、ずっと)」


 マキラが震える手でエリックの顔に触れた。

 血で汚れた顔で、それでも可愛らしく笑って。


「(あなたのこと、助けたかったの)」


 人のために頑張りすぎてしまうから。自分に少しでもその優しさを向けてあげてほしいから。

 なんの力もない自分が、それを想うのはひどく傲慢なことなのかもしれない。でも、


「エリック、だいすき」


 仕方ないのだ。だってどうしようもなく、マキラはエリックが好きで。金色の髪も、青空のような目も。人にも動物にも優しくて、正義感があって。

 でもちっとも自分を甘やかさないのだから、自分が精一杯甘やかして、誰かを守るエリックの背を守りたいと願った。


 二人は目を見開き、今にも叫び出しそうな衝動をラルフは飲み込む。この一瞬、二人の邪魔だけはしないように。

 エリックは震える唇を噛み、それでもマキラに答えて笑った。


「ああ、僕もだ」


 絞り出すように言ったエリックの顔は、ラルフにはよく見えなかった。でも、マキラには見えたのだろう。苦しそうにこわばっていた顔に安堵が混じって、静かに目を閉じた。


 閉じて、しまった。

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