少年少女だった彼ら



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆



「…エリック。マキラを連れて、行け。」

 ラルフは外套を脱ぎ、マキラの体にかけてやる。そっと袖で顔の血を拭い、だらりと垂れた手を体に乗せて。


「教会に知られれば、墓を暴かれる。だから、誰も知らない遠くまで行って、埋葬してくれ、頼む。」

 教会の追手は、いつ来るかも知れない。

 今のラルフにとっての最悪はこのままエリックが捕まり、悪しき魔女として裁判にかけられ、さらにはマキラの体を調査と行って好き勝手に暴かれることだ。処刑後には、エリックの遺体もそうなるだろう。

 そして、それを避けるには動かないエリックを動かす必要がある。埋葬はただの口実だ。今ここでマキラを灰にしてしまうのが一番確実でも、そうはさせない。気づかせない。

「マキラの好きだった、花畑に埋めてくれ」


 エリックがようやくマキラを抱え、ふわりと宙へ浮いた。

「生きろ、エリック」

 横を抜け、高く高く飛んで行くエリックを、ラルフは見送った。



 ◆◆◆◆◆



 塀を越え、見えなくなった頃にうめき声と共に聖騎士たちが目を覚まし始めた。


「ら、らるふ」

 エミーリアがか細い声でラルフを呼ぶ。

 真っ青に青ざめた顔をして。

「貴女の方が、俺にとっては悪しき魔女ですよ、エミーリア様」

 いつもどおりに微笑みながら言ってやる。それからピタリと動かなくなったエミーリアに背を向け、ラルフは歩き出す。敬称はただの皮肉だったが、突き放されたようにエミーリアは感じたようだ。


「お、おい貴様!なにものだ!」

 目覚めた聖騎士がラルフの肩を掴む。

 その手を弾き、ラルフはぎろりと鎧越しの顔を睨んだ。

「貴様こそ、俺を誰だと思っている?

 末端の騎士でも、ヘンダーソン家の名を知らないほど馬鹿じゃないんだろう?」



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆



 最初に、聖騎士に村を滅ぼさせた。


 牢に繋がれた魔女たちは、一応は俺のことを覚えていたらしく、口々に命乞いを始めた。


「村長の命令に従っただけなんだ!」

「妻は魔女ですが俺は違います!!」

「わ、わたくしならエリックを探し出せます!」

「誰がどうなってもいいから私だけはお助けください!」


 時には石まで投げてきたような連中は、やはり保身の事ばかりだった。

 僅かに善性を持っていたであろう、マキラの母は聖騎士に捕らえられるよりも前に毒を含んで死んでいた。

 魔女裁判にかけ、全員吊るした。

 こちらを憎らしげに睨む目が脳裏に焼き付いている。



 次に、両親と弟を追放した。



 耳障りにキーキーと喚くから、手も目も届かないほど遠くへ送ってやることにした。適当に優秀なやつを管理人として家に住まわせ、領地に帰ることをやめた。

 逆恨みをしないよう、今までの悪行を裁判にかけ、身分を剥奪し開拓地の強制労働へと行かせた。

 最後に足元に縋った母と弟の手が食い込む感触が忘れられない。



 次に、姫と婚約をした。



 ここから、教会から権力を剥ぎ取り始めた。

 騎士団で若き英雄と呼ばれたグレッグと、聖騎士の残虐な行為や越権行為を糾弾。

 神の名を盾に私腹を肥やしている、と。


 魔女の地位はあまり変わっていない。

 どこへ行っても、何人会っても魔女たちは傲慢で欲深い。

 だから試しに、体を割ってみた。

 人間と同じ臓器に混ざって、魔力を作る臓器があったので摘出する。

 魔法が使えなくなると魔女たちは次第に発狂し始めた。彼らにとって、魔法が使えない立場になることはよっぽどの屈辱らしい。

 まだ物心のつかない幼子に同じ処置をする。今の所は普通の子どもに混ざって、幸せそうに育っている。

「たかが、魔法程度で神にもなったつもりか?」

 そう言って赤子を取り上げた時の夫婦の怨嗟がずっと聞こえる気がする。


 そのうち、国王になった。



 今は、戦争をしている。

 魔女を引き込んだ隣国と我が国で。

 そのさなかに前国王や王子が亡くなってしまったため王になった。


「向こうの人間が、王を何と呼んでいるか知っているか?」

 グレッグが言う。学生の頃と変わらない目で。

「知ってるさ。魔王だろう

 それがどうした」

 執務室の窓から、庭で遊ぶ自分の子どもたちとそれを見守る姫だった王女の声がする。


「前国王を殺した、と言われているらしいな。

 国民は信じないどころか怒りで士気を上げている。けっこうじゃないか」

 肩をすくめて言う。

 カップを手に取ると、冷めた紅茶の液面にひどいクマの刻まれた自分の顔が見える。

 引き継ぎやらがままならない中、国の運営はそれなりに上手くやっていると思う。


「…最後に寝たのはいつだ?」

 当然、このくまにはグレッグも気づいている。しかめっ面で言われると、つい学生の頃を思い出す。

 グレッグはよく尽くしてくれていた。だが、もうヤツとの間に友情は無い。

 多くの民の上にこそ居るが、隣に並んでくれる人はもう誰もいないのだ。


「さあ、いつだろうな。

 謁見の前には寝るさ」

 目を閉じればいつでも子守唄代わりの呪いの言葉が聞こえる。自分自身から送られるそれは、俺が笑うことを許さず、かと言って自殺を許すわけでもない。

 眠っても、いつも見るのはあの日の夢だ。

 マキラを、死なせた夢を見るんだ。




 ◆◆◆◆◆




 ふいに、目を覚ます。

 謁見の間で眠っていたらしく、装飾の割に座り心地の悪い玉座のせいで全身が強張っていた。

 外は薄暗く、広間には自分しかいない。


 隣国を滅ぼせそうなほどに追い込んだ時、突如として現れた英雄の一団により戦線がひっくり返ったのは3ヶ月ほど前のことだ。

 奪った領土のほとんどが取り返され始めたとき、ラルフは王女と子どもをグレッグと共に密かに逃した。今表舞台にいる彼らは影武者だ。


 外から騒ぎが聞こえる。隣国の小隊が、秘密裏に王を殺しにきたのだろう。

 その情報を得たとき、ラルフはそれを受け入れることを選んだ。ラルフがいる以上、大臣も国民も戦争を終わらせられないから。

 国民へのラルフへの信頼は信仰に近いものになってしまった。ラルフの言葉一つで死さえを選び取りかねない状況にこの国はなっていた。

(俺なら、いくらでも戦況を変えられる)

 それだけの策がいくらでも思いついていた。

 非人道的であることを除けば、この国はこの世界で大国にもなれただろう。


 謁見の間であえて考え事をするからと人を遠ざけ、犠牲を減らすために今日の警備や人員は最小限にした。

 影武者たちは、もしかしたら戦争犯罪者として殺されるかもしれないが、変わりに彼らの家族には大金を残した。

(やっと、やっとだ。)

 これでようやく自分は地獄へ行ける。


 ゆっくりと、謁見の間の扉が開かれる。


 一人の男と共にあるのは久方ぶりに見る魔法で生み出された光だ。

 ラルフは男の顔を見て、「ああ」と声を漏らす。

 隣国の英雄の特徴を聞いたときから、ラルフは彼を心待ちにしていた。

(そんな気はしていた。なぜだか分からないが、お前が来てくれる気がしていた)


「久しいな、エリック」




 ◆◆◆◆◆




「僕は、君を殺しにきた」


 お互いに、ひどい顔をしていた。

 ラルフは化粧で隠していた青白い顔とくまがそのままで。エリックは整った顔をくしゃりと歪めている。


 ラルフは少し考える。

 マキラが死んだあの日から、今までのことを。


 ラルフは村長を一番最後に吊るした。一人、また一人と絞首台に送られ、吊られる瞬間を見せつけた。

 王族の死には関わっていない。ただ、教会と魔女への復讐にはあまりに都合が良から、そのまま受け入れただけだ。

(今の状況を思えば、それも運命か)


 なにがしたかったのか。

 村長を捕らえ、魔女たちに面と向かって会うまでは、本当に魔女たちが自由に生きられる世界を、エリックがもう害されない世界を、作ろうとしていた、はずなのに。

(そんなことは、言い訳だ。)


 玉座を立つ。

 マントと王冠を置き、腰から剣を抜く。

 地面を剣先で叩くのは、自分の立ち位置を見失わないためだ。何のために剣を振るのかを、忘れないため。

「マキラが死んで、俺の正義は消えた。」

 エリックのための世界、と言いながら、魔女を吊るしたあの時のラルフの胸にあったのは確かな高揚だ。

(それなのに、殺しを楽しんでなかった、仕方ないことだなんて言えないだろう?)

 エリックが一人で来たのは、きっと確かめたかったからだろう。かつての友人がそこに居ることが、誰かに強制されたものではないのかと。

(お前は、俺を助けに来たんだな。エリック)

 青い瞳を見つめる。澄んだ青空の様な瞳。それと新緑のようなマキラの目が並ぶのを見るのが好きだった。


「俺は、お前の敵だ。エリック」


 だから、さようなら。




 ◆◆◆◆◆




 剣を合わせる。

 何度か打ち付けあったあと、ラルフは小さく舌打ちをする。

(随分と、鈍ったな)

 王としての仕事に追われるようになってから、まともに動かしていなかった体が悲鳴を上げている。

 エリックの剣をかろうじて避けても、無様に足をもつれさせて転んだ。


 なんとか追撃が来る前に立ち上がり、重い剣を振る。グレッグと最後に打ち合いをしたのは、子どもが産まれる前だったか。

(あの子たちは、どう育つのだろうな)

 出産に立ち会って以来、極力顔すら合わせずにいた。だから、グレッグを親だと思っていてもおかしくは無い。


 エリックの敵として、剣を振る。

 剣がぶつかるために手から肘までが痺れ、膝が笑いそうになる。首や胸と命を掠めるたびに心臓がうるさく鳴る。

「はぁ、はぁ…!」

 袖で汗を拭い、また踏み込む。エリックは汗一つかいていない。

 酸素の回らない頭で、ラルフは初めてエリックと打ち合いをしたときのことを思い出していた。踏み込みが甘い、握りが弱いとエリックに言った言葉がそのまま自分に帰ってきている。

「は、はは」

 届かない。どんなに剣を振っても髪一本すら切れない。

 あまりの力の差にラルフは思わず笑った。

 偶然、それを見たエリックが面くらい、ほんの少しの隙が生まれた。


 剣に向けられた意識を、剣を捨てることで置き去りにする。ふいに手放された剣に動揺したエリックに、全体重をかけて飛びつく。

 床に押し倒して、剣を遠くへ蹴り飛ばした。


「油断したな」

 腹の上に座り、肩で息をしながら言ってやる。エリックが眉を下げて困ったように笑うのを見て、ラルフの肩から力が抜けた。

 押し返そうと思えばできるだろうに、エリックは両手を投げ出したまま、剣を手放す。


「ラルフ、なにかいい手は無いのかな」

 昔のように、エリックは尋ねる。

 困りごとがあると、なにかとラルフならと頼ってきたエリックをラルフは思い出した。

「僕だけじゃ、ダメなのかな。

 君が希望を見るには、僕だけじゃ」


 二人が居ればなんでもできる、なんて。

(なんとも、現実の見えていない子どもらしい言葉だ)

 本当は、もっと早くに気づくべきだったのだとラルフは思う。もっと自分の身の丈を知り、堅実な手を打つべきだったのではないか、あのときああしていれば、こうしていれば。

(無意味だ)


「親友。俺は、お前とマキラが二人で生きる世界が見たかった。

 暖かな日差しの下で遊んで、働いて、家族を作って。

そうやって無意味な迫害を受けない世界にしたかった。


 でも、ダメなんだよエリック。

 俺は間違えた。間違え過ぎた。取り返しのつかないことを重ね過ぎた。怒りに身を任せ、お前たちの親戚を嬲り、殺し、死体を辱めもした。


 もう、殺す以外の方法が分からないんだ。頼む、頼むエリック、俺を終わらせてくれ」


 エリックの手を取り、靴に仕込んでいた短刀を握らせる。ラルフは罰がほしかった。誰よりも、マキラを想っていたはずの友から。

 首に刃を添える。冷たい刃にじくりと体温が移るのを感じた。

「ラルフ、約束して。

 来世で会ったら、その時は僕を置いていかないって

 一人で、戦わないと誓って」


 来世。ラルフは驚き、それから「ああ」と頷く。

 考えたこともなかった。死後は地獄へ送られ、罰を受けることしか。その先なんて考えていなかった。

(あるのだろうか。生まれ変わり、またやり直すことが叶うのだろうか)

 ラルフの脳裏にはあの森の広場での穏やかな日々がある。

 もし、やり直せるなら。またあの時のように。


「マキラと、お前と、三人で」

「!うん、またね。ラルフ」

「ああ、またな。エリック」

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