記憶と自我

2023年12月25日


目を開けて、そのまま動かず世界を見る。


シュランゲは自分が頭を置く枕の形や、そこからベッドやその先、部屋の中の家具の配置や形を事細かに観察する。

目を閉じて30秒ほど考え、それからようやく体を起こした。


一糸まとわぬ肌は病的なまでに白く、肉のあまりついていない体は華奢な印象がある。光を灯さない黒い双眸が虚ろに自身の黒髪を映す。

ベッド脇に置かれた手鏡を手に取る。20半ばぐらいの、表情の無い顔を見て、頬に張り付いた髪を1本1本丁寧に取って払った。


それが終われば今度は手鏡と共に置かれていた、小さな銀製のベルを手に取り、数度振る。

小鳥が鳴くような可愛らしい音が静かな部屋に響き、きっかり5秒後に部屋の端のドアが開かれた。入ってくるのは20歳前後の右目に眼帯をした青年。次に、彼と瓜二つの顔をした左目に眼帯をした青年がカップやポットを乗せた盆を手に部屋に入ってくる。

「おはようございます、シュランゲ様」

「お目覚めですか、シュランゲ様」


それぞれが同じ声と同じ抑揚で話す。2人がそれぞれ話しているというよりは、片方はただの腹話術なんじゃないかと思うぐらいに、2人は全く同じ声で話をする。

双子の片割れはベッドの上に座ったままのシュランゲの長い髪に櫛を通し、もう片割れはカップにコーヒーを注いで差し出す。

「リンクス。今日は何月何日ですか」

シュランゲが尋ねる。

「2023年の12月5日です」

左目に眼帯をした方が答える。

「レイヒツ。最近の出来事は」

「特段、お耳に入れるようなことはなにも」

右目に眼帯をした方が答える。

シュランゲは差し出されたコーヒーを半分ほど飲んで、カップを返す。盆の上には焼きたてらしく湯気を立てたマフィンが置かれているが、そちらには目を向けることすら無い。


「マキラは?」

ほんの一瞬だけ2人の双子の手が止まり、またすぐに動き出す。

「塔の上です」

「変わらず、塔の上です」

リンクスとレイヒツがそれぞれ答えると、シュランゲは窓の外の塔に目をやる。

山の上に建つ、この屋敷の庭にはレンガ造りの3階分ぐらいの高さの塔が立っている。

かつては貴族が人目に触れさせたくない家族を隔離するための塔で、シュランゲ自身は屋敷を買った時から中に足を運んだことは無い。

「そうですか」

シュランゲは短く答え、ベットからその身を降ろした。


双子に手伝われながら黒いスーツを身に纏い、寝室から出ればそこは執務室になっている。部屋の中はアンティーク調のブランド物の家具が1式揃い、来客用のソファも設けられていたが、どれも新品の様に美しく手入れされていた。


中央の仕事机の前に腰を下ろし、並べられた書類から何枚かを手に取って読んで、いくつかにボールペンで文字を書き込んだり、判を押してレイヒツへと渡す。

受け取れば特に何も聞かずにレイヒツは部屋から出ていき、リンクスは黙ってシュランゲの様子を見ている。

書類の下にあったノートパソコンを開いて電源を入れ、迷いなく文字を打ち込む。ただそれをじっとレイヒツは見ていた。見ていることでさえ自分の役目だと言わんばかりに。


「リンクス、庭の花に水を」

「かしこまりました。シュランゲ様」

レイヒツが頭を下げる。名前を間違ったことなど微塵も気に留めず、むしろ当然の様に。

双子が部屋から居なくなり、部屋にはタイピングの音だけが義務的に鳴っていた。


1時間ほどすると、シュランゲは手を止めてパソコンを閉じる。ぐっと伸びをしてから机の横に置かれたカレンダーを手に取った。

簡素な線だけが引かれた実用的なカレンダーに予定は書かれておらずほぼ真っ白だが、12月25日だけにはボールペンで丸がつけられていた。

「あと、20日ですか」

シュランゲは乾いたインクを撫でる。万が一にでも爪がひっかかって傷が付かないように、指先がインクの溝を出ないように、丁寧に、丁寧に。


来るべき日に思いを馳せながら、カレンダーの代わりに書類の横からスマートフォンを取り、手早く操作して電話をかける。


「もしもし。ツェツィーリア。…ええ。私です

全員を呼んでくれませんか?…ええ。20日以内に、全員です。」




◆◆◆◆◆




シュランゲの呼吸は乱れ、ある程度の段階を超えると喉が冷えだす。


必死に肩で、あるいは全身で呼吸をしながら、庭の塔の硬いレンガの壁に手を付き、また1段階段を登る。

吸う量に反して吐く空気が少なく感じた。

足や肺が痛んで苦痛を訴えてくる。暖かく保たれた屋敷と違い、塔の中はほぼ外と変わらない。体の表面は冷え、逆に芯は熱くなってきた。


肺の中まで凍ったような思いで登りれば、そこには古い金属製の扉が1つ。この塔にはこの先の部屋以外は、今しがたシュランゲが登ってきた階段しかない。

頂上の部屋の鉄扉にかつてあった鍵は今や無い。誰も閉じ込めてなどいないから。或いは鍵程度では閉じ込めておけないから。

扉を開けようとする前に気づき、手を止める。金属製の扉は冷たく凍りつき、触れれば張り付いてしまいそうだった。


「マキラ、開けてくれます?」

少しして、扉が開く。部屋の奥には10代ぐらいの女の子が1人、座っている。



◆◆◆◆◆◆



シュランゲが部屋に入ると、マキラは部屋の中央のストーブに薪をくべて火をつけた。それからペットボトルの水をケトルに入れて火にかける。

その表情に感情はなく、無機質な印象が強い。見た目は少女だが顔の左側半分を赤茶色の髪で隠し、残った緑の瞳の右目には相応の無邪気さが無い。


「めずらしいわね、貴方がわざわざ登ってくるなんて」

ストーブの傍の椅子に青い顔で腰掛けるシュランゲを見て、マキラが尋ねるとシュランゲは薄い笑みを浮かべる。

まだその息は荒く、まだ話せないと判断するとマキラは茶を容れる作業に戻る。安物だがよく手入れされたカップを1つ取り出し、慣れた手つきで作業を進める。


部屋が温まった頃、マキラはカップに紅茶とミルクを注ぐ。完成したミルクティーをシュランゲに手渡せば、静かに口をつけた。

「うん。不味いですね」

「じゃあ飲まなきゃいいでしょ」

マキラが鋭く言うが、シュランゲはむしろ満面の笑みでさらに言葉を並べた。

「お湯の温度が高すぎて香りが飛んでいる。私はダージリンは好きじゃないですし、ミルクティーにするならロイヤルミルクティーにしてください」

目を細めて笑うシュランゲの顔色が戻っていることが分かると、マキラは肩をすくめて椅子に座り直す。

カップの中身が無くなると、役目を終えたカップをシュランゲはそれをそのまま床へと置き、ハンカチで口元を拭う。


「そうだマキラ。クリスマスになにか予定はありますか?」

「あるわけないでしょ」

マキラはそっけなく答える。

「では、クリスマスパーティをしましょう」

初めてマキラの表情が変わる。ほんの少しだけ右目が見開かれ、それからまた僅かに眉間にシワがよる。

少しの表情変化ではあったが、シュランゲには充分な変化だ。


「3人で、最高のクリスマスにしましょう。ドゥ=マキラ」



◆◆◆◆◆


◆◆◆◆



2023年、クリスマスの夜。


古い塔はまるでクリスマスツリーの様に飾り付けられ、屋敷にも電飾でできたサンタクロースや星が散りばめられた。

明かりの少ない山の中ではLEDの光はよく映え、山の下の街から屋敷を見上げる人々も楽しげな雰囲気に頬をほころばせる。屋敷までの山道は一本道にも、点々と街灯が光っていた。


だが、その道の脇には血溜まりに沈む人間が1人。2人、3人、4人。黒いスーツを身にまとい、胸や首から血を流しながら。道の脇に文字通り転がっていた。


「お腹、空いた」

「お腹、空いたねえ」

リンクスとレイヒツは四肢を失い、辛うじて声の届く距離にそれぞれ散らばっていた。腹の当たりを執拗に切り裂かれ、すでに痛みを感じないのか安らかな顔をして。

「ああ、ぼく」

「ねえ、ぼく」

「「もっと、たべたかった、ね」」

ゆっくりと2人に雪が落ちてくる。それと当時にどろりと2人の体は煙を上げながら溶けていく。赤黒い粘土質の物へと変わり、やがてただの腐った肉片へ。シューシューとガスを拭きながら肉片は更にとけ、流れて2つは混ざる。

最後には、ヤギの死体が1つだけ残った。




◆◆◆◆◆



「あら、あらあらあらあらあらぁ?」


塔の下で甘ったるい声で女は笑う。夜風の冷たい中だというのに、電飾で照らされた女は肌を大きく露出した薄手の服を着ていた。

レースなどで飾られた扇情的な体は娼婦を思わせる。派手な赤毛を高い位置で結い、目の前の青年が手にする物を見てまた「あらあら」と嘲笑う。


「そんな時代遅れの産物、どこで見つけたのかしら」

青年の手には細身の剣。現代となっては博物館でしかお目にかかれないような細かな装飾のされた儀式剣のようなそれは血に染まり、それを握る青年もまた血に濡れていた。


乾いた血は赤黒く、服は泥にも塗れていたが青年の金髪は明かりを受けて輝き、神々しさすらある。

「いやぁねえ、その光。汚らしくていけないわぁ」

「マキラはどこだ」

青年が呟く。その碧眼は目の前の女を映しては居なかった。

「あらあらいやねぇ、私と遊んで行きましょう?」




◆◆◆◆◆





「ああ、ダメ!!いや!!!」


必死になって液体を集めるマキラを見下ろす。血をすくって汚れた手をシュランゲの腹に押し付けては嫌だと喚く。

シュランゲはそれが自分の血で、自分の腹から流れていると認識していた。そして、今しがた自分を刺した男を見上げる。

整った顔をゆがめ、金髪の青年は悲痛な顔で剣を鞘へと収める。


「どうして、どうしてこんな事をしたんだ」

「嫌よ、嫌よ。貴方が居なくなったら、私、私どうしたら!!」

声を出そうとして、口から血を吐き出して咳き込んだ。もう、話すことはできないらしい。壁に背を預け、そのままシュランゲは全てを諦めた。


「なんで、何でなんだよ…!ラルフ!!」

「エリック!!彼は、彼はシュランゲよシュランゲなの。私の、私のっ」


しゃっくり上げながら叫ぶマキラを見て、エリックはハッとしてマキラの前に膝を着いた。まるで涙が出ているようにエリックはマキラの頬を拭い、隠れていた顔の左半分を外に晒す。



────そこに、顔の左半分は無かった。



左目が本来ある部分は、額にかけてえぐり取らたかのように荒い傷跡と共にごっそりと無くなっている。


そして、代わりの中身があった。

少女の脳、その中には太さの様々な、血管の浮き出たうねうねとした触手が、うごめていたのだ。



こふり、と小さな音を立てて押し出されるようにシュランゲの口から血の塊が零れる。

掠れゆく視界で、エリックがマキラになにかを言っている。

それを見て、シュランゲは最後の力を振り絞って呟いた。



「きもち、わるい」




◆◆◆◆◆


◆◆◆◆


◆◆




目を開けて、そのまま動かず世界を見る。


シュランゲは自分が頭を置く枕の形や、そこからベッドやその先、部屋の中の家具の配置や形を事細かに観察する。目を閉じて30秒ほど考え、それからようやく体を起こした。


一糸まとわぬ肌は白く、肉のあまりついていない未発達の体には僅かに肋骨が浮いている。光を灯さない黒い双眸が、くすんだ黒髪を映す。

ベッド脇に置かれた手鏡を手に取る。10歳ぐらいの、表情の無い顔を見て、頬に張り付いた髪を1本1本丁寧に取って払う。


木の軋む音と共に勢いよく部屋の隅の扉が開かれた。バタバタと埃を立てながら、同じ顔の少年がガチャガチャと盆を揺らしながら駆け込んできた。

盆の上で乱暴に扱われたらしきカップは端が欠け、持ってきた湯はほとんどが零れていた。

「レイヒツ、リンクス」

少年の声でシュランゲは2人を呼ぶ。楽しそうに笑いながら同時に双子は振り返った。それぞれの片目には、痛々しく包帯を巻いている。


「食事を、持ってきてください」

空腹を訴える胃をさすりながら、シュランゲは双子に笑いかけた。



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