嫉妬の魔女
◆◆◆◆◆
「なんの騒ぎですか?」
「!」
マキラは声の方を振り返る。エミーリアの時とは違う。それは聞き慣れた声で、会いたかった声だ。
そこでは闇に溶け込むような黒い瞳がじっとこちらを見ていた。
「ラ────。」
言いかけて、マキラはすぐに口をつぐむ。もし、エミーリアに自分との存在が知れれば不味いかもしれない、と。
「ラルフ。侵入者のようだ。すぐに人を」
エミーリアの指示に、ラルフは静かにエリックとマキラを見る。
それから小さく首を振り、エミーリアに申し訳なさそうに言う。
「申し訳ありません、エミーリア様。二人は俺の知り合いです」
ラルフは二人の横を抜け、エミーリアとの間に立つ。
「知り合い?こんな夜半にか?」
「はい。スラムの住人で、ちょっとした仕事を頼んでいたんです。
学院の塀を越えさせたのは俺の伝達ミスです。普段はメイドに対応させていたもので…」
エミーリアはしばらくラルフとエリックとマキラを見ていたが、やがて剣から手を離す。
「学院のルールを破るのは、あまり関心しないな。ラルフ。」
「家を通してでは、彼らに支援ができないですから。
エミーリア様。俺は罰を受けます。ですが彼らは罰では済みません。だからどうか今夜のことは忘れていただけませんか?」
ラルフは胸に手を当て、頭を下げる。
少しだけ動揺しながらも、エリックとマキラも同じように頭を下げた。
しばらくして、エミーリアはラルフの肩に手を置いた。そして、頭を下げたままのラルフに尋ねる。
「ラルフ、二人の身の潔白を、我らが神に、誓えるか?」
マキラは頭を下げたまま、スカートの裾をつかむ。ラルフがこれから何と言うのか、マキラはよく知っていた。
「(ごめんなさい、ごめんなさい。ラルフ)」
「はい。もちろんです」
一切の淀み無くそう答えたラルフに、マキラはじっと唇を噛んだ。
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
ラルフの案内で二人は窓からラルフの部屋へと入った。友人になって長いが、こうしてエリックとマキラがラルフの部屋に来たのは初めてのことだ。
部屋に入ってすぐにラルフは窓とカーテンを閉め、ロウソクの灯りを付ける。
それからベッド脇のテーブルのピッチャーから乱暴に水を注ぎ、一気に飲んだ。
「…あの、ラルフ…」
「こんな所で何をしているんだ、二人とも!」
マキラの言葉を遮り、ラルフが怒鳴る。
肩を震わせたマキラに、はっとしてラルフは静かにコップを置いた。
「ごめんね、ラルフ。でも君にどうしても会いたかったんだ」
「…いやいいんだ。怒鳴ってすまなかった。」
深くため息をつき、ラルフはベッドに腰掛ける。それを見てエリックはラルフの隣に座り、マキラはベッド脇の椅子に座った。
「それで、二人はなんでここに?」
「それが…」
◆◆◆◆◆
「…そうか、あいつが。」
「知り合い?」
「まあ、そんな所だ。
それより、村長の同意が得られなかったのが問題だな。」
「村長さえ納得してくれれば、みんなを逃がせるんだけど」
全ての話を聞いたところで、ラルフはじっと考える。
ラルフは、村の人間を見捨てるつもりだった。
森の討伐隊に参加し、マキラとエリックの二人だけを逃がすつもりだったのだ。逃走後のことを考えなるたけ嵩張らない金品や周辺の地図、関所を通る証文をシャノンと共に用意して。
(二人を説き伏せるのは簡単だ。こうして村から離れてきたなら、余計に。)
最善と最良を取るなら、今ここで二人を逃がすべきだ。それを理解しながらも、どうしてもラルフは迷ってしまう。
失いたくない。手放したくない。
そんな想いが胸の内にはある。
グレッグか二人に会いに行くのも、村長の説得が失敗することさえ、ラルフには分かっていた。
感情を殺す。表情を整える。
ここへ二人が来たことだけが計算外だった。
(だが、明日やろうとしていたことが、今日になっただけだ。)
ラルフはベッドの下から革製のリュックを引き出す。古着屋でたまたま見つけたそれは、やや古くはあるが、元が良いのか穴やほつれが無くかつ頑丈なものだった。
中身は集めた貴金属や地図だ。それから同じように前々から少しずつ集めていた外套や靴などを取り出していく。
「ラルフ?」
「二人とも、すぐに着替えてくれ。
エリック、魔法はまだ使えるか?」
「ああ、もちろん」
エリックが頷くと、ラルフはすぐに地図をベッドに広げた。重し代わりにランタンを置くと、二人が覗きこむ。昔から、ラルフがなにかを広げるとエリックが右に、マキラが左に来るのが常だ。
「良いか?今居るのがこの学院だ。
ここから東に行くと、古い地下道がある。都市を作る際、地下水道を通す計画があったのが、無くなった時の物だ。立入禁止で見張りが常にいるが、そこはマキラの魔法で誤魔化そう」
地図をなぞり、そのまま壁外へ。
「外側は壁外の遺跡に繋がっている。ここだ。
出てすぐに大きな川があるから、そのまま川を下っていけ。運が良ければ釣り人の船があるから、それを使うと良いだろう」
「…?森には迂回して戻れば良いの?」
マキラが首を傾げる。
東側には平野があり、村は都市の北側だ。川はあの森には通じていないから、どこかで降りなければならないはずだ。
川をずっと下っていけば、その先は海に繋がっている。海辺の集落にはまだ教会も拠点を置けておらず、漁を生業とする人々の信仰は海に強く向けられているから、強い信仰を持つ信徒は限りなく少ない。
「ラルフ?」
エリックが心配そうにラルフの顔を見る。マキラは不安そうにラルフの手に自分の手を重ねた。
ラルフは地図を指していた手をエリックの肩に回し、マキラの手をそっと握る。
「…二人は、二人はこの国を出ろ。
もう、ここには帰ってくるな。」
◆◆◆◆◆
◆◆◆
ラルフの両手には、確かに宝物があった。
金髪は薄暗いこの部屋でも透き通るように上品に光り、2つの碧眼がラルフを捉えている。
赤茶色の髪が視界の端で揺れ、草原のように優しげな薄緑色の目がラルフを見上げていた。
部屋の窓から、エリックとマキラの存在を見たときは卒倒してしまいそうだった。
大急ぎで部屋を出て、庭に居る二人のそばにエミーリアが居たときは、生きた心地がしなかった。
ここに来るまでの話を聞きながら、騒ぎになっていない幸運を静かに神に感謝した。
◆◆◆◆◆
ラルフは驚く二人を離し、手早く地図をリュックにしまってエリックに渡す。疑問に思いながらもエリックは受け取ってくれた。
「これを持って、2人で逃げろ」
「2人で、って。それに、国を?」
「村の人間は、諦めるんだ」
かつて聞いた話では村にいるのはマキラとエリックを含めて合計28人。老人が3分の1ほど。マキラの親世代が残りの半分。他子どもが数名。全員が逃げるのは、もう不可能だ。
「っダメ!みんなを置いてなんて!」
マキラが声を上げる。その目には涙が滲んでいた。
エリックが肩を抱き、困ったようにラルフを見る。
「ごめん、ラルフ。それには僕も同意見だ。」
(だろうな)
ラルフが顔をしかめる。2人がそうするはずが無いと分かっていた。目を閉じる。ここに来るまでにどうするかは決めていた。
「なら、俺は教会で2人の無実を証言する。
それで、神の敵になろうともな」
「?!」
魔女の裁判に弁護人はいない。あるのはでっち上げの断罪。悪魔に惑わされ、崇拝のために子どもを殺したということになるだろう。
ラルフは全てを失っても構わないと考えていた。自分の立場も命も。
──そして。
(2人との、友情も)
自分を人質に、家族や故郷を捨てろ。
これは、そういう脅しだ。
「選べ。俺も含め全員で死ぬか。
2人で、生きるか」
「それしか、無いの?」
しばらくの沈黙の後、縋るようにマキラは言う。
いつも困った事があれば、マキラとエリックにラルフは知恵を貸してきた。
「ああ、無い。」
「…そう。分かったわ、私、逃げる」
ラルフが断言すると、マキラは震えながら頷く。ラルフはありとあらゆる手を考え、そしてこれを選んだのだろう。それを、理解していたから。
「お前もそれで良いな、エリック。マキラを守れるのはお前だけだ」
「うん、分かってる。マキラを一人にしたりはしない。…くやしいけど、僕にもどうしようもない。だから、僕も逃げるよ」
◆◆◆◆◆
ラルフの用意した服は、この辺りの旅人がよく身に着けているズボンやシャツだ。森の魔女たちが好むとんがり帽子や長く暗い色のスカートや、男の魔女の長いローブは、見られればすぐに魔女だとバレてしまう。
着替えを済ませた二人は外套を着て、上から元から着ていた黒いマントを身につける。都市を出るまではこのマントで身を隠すのだ。
「ラルフ、君はどうするんだい?」
「地下道まで見送ったら、何食わぬ顔で部屋に戻るさ。これでもしょっちゅう抜け出してるんだ、今更怪しまれない」
「一緒には、やっぱり来ないのかい?」
「ああ、お別れだ」
髪をまとめるマキラの手が自然と震えだす。ほんの少し前まで、たわいの無い話に花を咲かせて、何気ない日常を過ごしていたというのに。
そんなささやかな幸せは一瞬で泡のように消えてしまった。マキラがラルフとエリックの手を握る。その目には涙が浮かんでいた。
ラルフはエリックとマキラの顔を交互に見て、笑う。2人の前では繕わなくて良かった。心の底から笑えた。十分すぎるほどの夢も見せてもらった。
「エリック、マキラ。お前たちは何も悪くない。
二人に生きて欲しいのは、俺のエゴで俺のワガママだ。」
「決めたのは、僕たちだよ。ラルフ」
嗚咽をこらえるマキラの代わりにエリックが言い、マキラは頷く。
マキラは教会を恐れたことも、恨んだこともあった。それでも、ラルフを嫌いになったことなど、一度も無かったのだから。
「エリック、マキラ、聞いてくれ。
俺は必ず、国を変える。
それは何年後か、何十年後か分からない。でも、必ず、必ず二人が普通に笑って都市を歩ける国にする。
今は、今、…二人の、家族を、俺は救えないっ…」
段々と悲痛になるラルフの言葉に、マキラの目から大粒の涙が零れる。エリックは歯を食いしばり、二人を抱きしめた。
ラルフが小さく嗚咽を漏らすと、マキラとエリックも耐え切れずに泣いた。声を必死に殺し、薄暗い部屋で互いの背を抱いて自分の無力さを嘆いた。
服の袖で乱暴に顔を拭い、いつものように冷静になったラルフが照れ臭そうに笑う。偽りでは無い、笑顔で。
だから、エリックは言う。最後だろうから。勘違いの無いように。
「ラルフ、君がなにを選んだとしても、僕らはずっと友だちだ。会えないのが寂しいよ、親友」
「…ああ、そうだな。エリック」
エリックが片手の拳を上げ、ラルフもそれに応えた。
マキラも何度も涙を拭い、必死に伝える。
「ラルフ!あの、あのね、体っだいじにしてねっ?!それから、私、私も、ずっと友だちだからっ、だからっ」
「ああ、分かっている、分かっているよ。マキラ。ありがとう」
マキラをラルフは改めて抱きしめた。
(ずっと、好きだった。だから、どうか幸せに
君が居たから。君とエリックが居たから俺は、ただ光を信じられる)
ラルフは想いに蓋をする。マキラの幸せを願うからこそ、エリックを信じているからこそ。
◆◆◆◆◆
地下道の見張りにラルフが声をかけ、後ろにいたマキラが顔に手をかざす。薄紫色の淡い光の後、目の焦点の合わなくなった見張りをそっと壁際へ誘導した。
放置された地下道は思っていたよりも頑強で、少なくとも崩れる心配はなさそうだ。
「よし、二人とも急いで行くんだ。万一の時は派手にやっていい」
「分かった。」
別れは済ませた。必要以上に言葉を交わすのは、余計なリスクを産む。
だから、ただ見送ろうと思っていた。
足早な鎧の音を聞くまでは。
「?!二人とも、急げ!」
「え?」
「誰か来る!」
「待って、ラルフは?!」
「俺はどうにでもできる。だから、はやく行け!」
ラルフはマキラとエリックの背を押すが、待ち構えていたかのような集団はあっという間に三人を取り囲んだ。
統率の取れた軍団。そして、掲げるのは教会の紋。
「エミーリアっ!」
中心にいるのは教会の騎士、エミーリア。
◆◆◆◆◆
「ラルフ。魔女の誘導ご苦労だった。
さあ、こちらへ来い」
冷ややかに見下ろすエミーリアを、三人は階下から見上げる。地下通路へこのまま逃げ込むことは可能だが、塀の外の出口にも騎士はいるだろう。
「お優しいことだな騎士エミーリア。今なら俺をかばってくれると?」
「そうだ。ここに居るのは私の直属で口も固い。
さあ、私の手を取れ。今ならまだ神はお許しになる」
そう言って、聖母のような笑みを浮かべるエミーリアに、ラルフは内心惑っていた。
先日に会話したエミーリアには、まだグレッグの様に場合によっては魔女の味方をするだけの善性があったはずだ。
「二人をどうするつもりだ」
「もちろん、火刑だ。そいつらは悪魔に与した異常者。神の敵、そうだろ?」
目にうっとりと色を帯び、恍惚と話すエミーリア。小さな心当たりとしてはマキラが昏倒させた兵士の目に近い。
(魔法による洗脳状態…?
いや、なら、誰が)
「ラルフ」
不安げにマキラがラルフの袖を引く。目線だけでそちらを見て先を促す。
「魔力を感じるの、あの女の人から」
「たぶん、村長だね」
「なんだと?」
足りなかった情報が埋まる。ラルフの思考と経験が最悪の結果を叩き出す。
人間の汚さを、醜悪さを嫌というほど理解してきたラルフだからこその答えを。
やりたくもない答え合わせのための質問のために口を開く。後ろの二人の体温を感じながら、獲物を狙う騎士たちの目から少しでも隠すように立ちふさがった。
「エミーリア、森の魔女たちはどうした?」
「森の魔女たち?」
エミーリアは少しだけ首を傾げる。
「そうだ。この騎士たちは魔女の討伐のために来たんだろう?なら、こんな所でたった二人のためにここで油を売る暇なんてあるのか?」
「ああ!なんだそんなことか!
村長殿とは話がついているんだ。」
その時、ラルフの全身に鳥肌が立つ。
唐突にエミーリアの顔から、表情が消えたのだ。
◆◆◆◆◆
「『そこの二人を差し出す代わりに村の者を見逃せ、とな』」
エミーリアの喉から、しわがれた老人の声が出ている。歳も性別も、声から滲むゆがんだ性根も似合わない声が。
エミーリアが整った顔に似合わない気味の悪い粘ついた笑みを浮かべるから、その豹変ぶりにラルフも思わず後ずさりそうになった。
「『エリック。マキラ。今聞いた通りだ。
わしらのために、死ね』」
「村長、」
「まさかその子を操って?!」
エリックとマキラの驚愕に、ラルフは小さく舌打ちをする。村長が二人をあっさりと見捨てたことにひどく苛立ちを覚えた。
ぴたりと動かない周りの騎士も含め、あっさり魔女に操られた騎士たちの無能さにもはらわたが煮える思いで。
だから、少しだけ振り返って問う。
◆◆◆◆◆
「───エリック、やれるか?」
「!もちろん」
多くの言葉は必要無い。ラルフが横に手を伸ばすと、その手にエリックの魔法で光の剣が生み出される。村長がエミーリアの顔をしかめ、少し下がった。一気に階段を駆け上がり、ラルフは立ちふさがる騎士に剣を振るう。
「どけ!!」
操られた状態だからか動きは鈍く、簡単に気絶させることができた。
「危ない!」
「えい!」
ラルフの背後を狙う騎士を、今度はエリックが倒す。マキラは階下で魔法の光を飛ばし、兵士の目をくらませる。
「後ろは任せて」
「ああ!」
エリックとラルフが背中を預けて戦うのは、当然のようにこれが初めてだ。
だが、お互いのクセも戦い方も誰よりも知っている。だからこそ、連携に言葉は必要ない。
ラルフは剣先で地面を叩き、再び構える。こんな状況だが、その顔には少しの笑みを浮かべていた。
「突破するぞエリック」
「分かった」
◆◆◆◆◆
数では圧倒的に多かったはずの騎士は、またたく間に減っていった。村長の操る彼らは数任せで統率も何も無いどころか、足を引っ張りあっている。
マキラを庇いながらも三人は階段を上がり、前へと進んだ。
「もうすぐだ。ここを抜けたら右の路地へ入るぞ」
小声でラルフは二人へ告げる。路地に入ればそこは入り組んだ道になっているから、騎士を撒いて体制を立て直すことも可能だろう。
エミーリア(村長)は前に出るつもりが無いのか、後ろからこちらを睨むばかりだ。
(なら、今は放っておいて…)
そう考えたラルフだが、その足を止めたのは他ならぬ村長自身だった。
「『エリック!マキラ!貴様ら、村を裏切る気か!!お前の母親も!!』」
裏切り、そして母。その言葉に一瞬マキラはたじろぐ。一度は捨てる決意をしても、村も家族もマキラにとっては大事な存在だから。
「黙れ老害が!!」
乱雑な言葉でラルフは怒鳴る。
ずっと、村長の言葉はどれもこれもが癪に触っていた。後ろにこそこそと隠れていることも、優しさを利用することも。
もし、二人がここへ来ずに村で住人たちに囲まれ同じように死ぬことを強要されていたら。
僅かにそう考えるだけで、全身の血が沸騰してしまいそうだった。
エミーリアの皮を被っていることなど忘れ、感情のままに剣を振るい、壁の騎士をなぎ倒す。
「『な、なんだ!?』」
「その口、二度と効けなくしてやろう」
慌ててエミーリア(村長)が剣を抜き、ラルフの剣を受け止める。
だが騎士と同じくその動きはあまりに鈍い。防がれた剣を流し、叩きつけるように横薙ぎに振った。鎧が無ければはらわたがこぼれて居ただろう剣筋は、村長に恐怖を与えたようで。ひぃと悲鳴を上げ、尻もちを付くエミーリア(村長)をラルフは見下す。
(彼女を殺すことに、意味は無い
それどころか、マイナスが大きいだろう)
怒りながらもラルフは冷静に算段を立てていた。村長に好き勝手に動かされた聖騎士と教会。それに加え聖騎士エミーリアが死ねば、それを悲劇的に信者に告げて魔女を殺せと叫ぶだろう。
逆にエミーリアが生き残れば、村長から助けたと恩を売り、二人を逃がす協力者として使えるかもしれない。
(ああ、吐き気がする)
村長を老害などと罵った反面、ここにはこうして淡々とエミーリアを利用することを考えている。その事実をラルフは強く嫌悪した。
良い人間であろう。正義を成そうとしながらも、思いつくのは一般的に『汚い手』だと言われるものばかり。高潔な精神なぞそこには無く、ラルフはまっとうな正義を最初から諦めている怠け者。
騎士を殺したほうが都合が良ければ、ためらいなくそうした。
◆◆◆◆◆
エミーリアの内心は決して穏やかでは無かった。
都市での巡回中、怪しげな光により精神を乗っ取られた。それがあの魔女の村の村長と分かってからは、ただ自分の無能さを怒った。
好き勝手に体を動かされ、他の聖騎士を誘導させられ、さらには魔法という邪法により操られた。
全ては自分の失態であり、神に顔向けできないと泣いた。
精神の世界では自刃も叶わず、体を動かすこともできない。仮想の地面を殴っても、壁に頭を打ち付けても痛みすら感じないのだ。
だが、そんなことはどうでも良くなった。
「誰だ、誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ!!
誰だあれは!!!」
あの2人が笑うとラルフが笑う。
あの2人への侮辱に感情的になる。
エミーリアは気づく。ラルフが離反者となるリスクを犯してまで自分へ魔女をかばうようなことを言ったのか。
「虫けらへの同情ではないのか!!それは!!」
数多くの魔女を捕らえてきたエミーリアは知っている。魔女たちが人間と変わらぬ生活を送り、家族を持ち、同じ感情を持って生きていると。
それでも、罪は罪だと飲み込んできた。魔法を使わなければ人間に溶け込めるのに、そうしない魔女たちのプライドを、バカだと蔑むことで自分を納得させていた。
だから、ラルフが魔女を庇うのは、ひとえにその優しさだと思っていた。思っていたのに。
「なぜだ!なぜだなぜだなせだ!!」
多くの魔女では無く、ラルフが救いたかったのはたった2人だけ。
「私が、私のほうが先だったんだ!!私が先に!!」
まだエミーリアが貴族だった頃、幼いながらに柔らかな笑みに確かな圧をもたせる表情を作れてる、真っ黒な少年。
大ッキライな赤い髪をきれいだと言ってくれた彼。
没落したときにはもう会えないだろうと諦めていた。でも、神の言葉に従うことで再び、しかも今度は聖騎士として隣に並ぶ未来まで。
「がんばったのに、私が、私、がんばったんだ」
魔法なんてものに頼り、平穏に生きる信者を脅かす魔女。横からかすめ取られたような気分でエミーリアは膝をつく。
「ア、いや、嫌だ。なんで、なんで」
殺される。
ラルフは、エミーリアが生きようが死のうがどうでもよいのだと気づく。
利用価値があるから、生かされただけだ。
ラルフにあの2人を、あの2人だけを助ける利点なんてないはずだ。なのに、なのに助ける理由をエミーリアは知っている。
「私だって、君がそうならそうした」
2人の位置に、ラルフが居て。
ラルフが自分なら、そうした。
だからこそ、身を焦がすほどに胸が痛んだ。
手を伸ばす。
どうせ動かないから、思うだけだから。
でも、今そうしないと、私は、私は。
「ごめんなさい」
ラルフは油断していた。
「ラルフ、怪我はない?」
戦意を失っていたエミーリア(村長)が項垂れると、マキラがそっとラルフの服の袖を引いた。
「ああ、かすり傷だ。エミーリアにかけられた魔法は解けるか?」
「ええ、任せて」
「じゃあ少し待機だね」
エミーリアの前にマキラが膝をつき、頬に手を添える。エリックがふうと息をついてから、魔法で騎士たちを壁に座らせ始めた。
律儀なやつだと肩をすくめ、ラルフは辺りを見回す。幸い、聖騎士が人払いをしていたのか野次馬が集まる気配はない。
かちゃり。
僅かな金属音にラルフは目を見開いて振り返る。
集中し、目を閉じるマキラは気づいていない。エミーリアの手に、弾き飛ばした剣のうち一本がいつの間にか握られていることに。
「マ────」
◆◆◆◆◆
「ごめんなさい」
マキラの背から、血に濡れた刃が突き出した。
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