歪み
その後の二人は一言も話さず、教会への帰路へ着いた。
エミーリアと別れ、ラルフは先日の約束通り教会の奥の神父の部屋へと向かう。
ふいに、廊下の窓に目を向けた。こんな時でも神父に会うとなれば窓ガラスに映る顔はいつも通り、能面が張り付いたかのように薄い笑みを浮かべている。
分厚い扉を数回のノックをして、神父の部屋へと入る。机に向かい書き物を閉じ、神父は優しい笑顔をラルフへ向けた。
「ラルフ。おかえりなさい」
「ただいま戻りました。」
「君に少し頼みがあって呼んだんだ。さあ、座って」
神父に促されるままにラルフは向かいのイスに腰掛ける。古い椅子が軋む音と共に一瞬部屋が静寂に包まれる。教会の中でも1番奥にあるこの部屋は、外の声も教会内の音もほとんど届かない。もちろん、ここの声が外に漏れることもない。
「剣の鍛錬はどうですか?」
「毎日、続けています。」
「ええ。ビルも褒めていました。」
ビルはラルフの剣の師匠だ。元聖騎士で、もう隠居している身だが、この教会の用心棒を兼ねて雇われ騎士をしている。
「ビルがそろそろ実戦の経験が必要だろうと言っていたんです」
神父の手がラルフの肩に乗せられる。
貴族とは違い、皮膚が分厚く無骨な手だ。お世辞にも綺麗とは言えないが、シスターに混ざって炊事洗濯を進んでやる神父のこの手がラルフは好きだった。
「実戦、ですか」
「ええ。聖騎士エミーリア様も、本当はそのためにお呼びしたのです」
だが、温かいはずのその手が今は冷たく感じた。
背筋を冷や汗が伝う。自分の頭は神父が何を言いたいのかを既に理解していた。だが、心がそれを受け入れようとはしない。
「最近、子どもが1人森で行方不明になりましたね?」
「はい、知っています。」
マキラが見つけ、都市まで送り届けたというのを数日前に聞いた。だから、その子は無事なはずだ。はずなんだ。
「可哀想にね。森で死体で見つかったそうです」
「は?」
「明らかに人為的なものらしいです。ご両親の事を思うと心が痛みます。
悪魔に魅入られただけでなく、子どもにまであのような。
私の責任です。もっと早く、本部へ報告し対応するべきだったのでしょう。」
肩に置かれた手に力がこもる。
だが、その痛みよりもそれ以上に、この後の神父の言葉を聞きたくない気持ちのほうが強い。
「ラルフ。聖騎士と共に森の魔女たちに裁きを与えるのです」
人を殺せと言いながら、まるで尊いものでも見るかのような神父の顔に目眩がした。
そして、その瞳に映る自分の変わらなさに。
嫌に冷静な頭はもう誰かを切り捨てることを考える。
「犯人を、見つければ、良いのでは?」
それなら1人で済む。森の人々全て殺し尽くすことは無いと。
「いいえ。それではまた新たな悲しみを産むでしょう。
ラルフ。これは貴方へ神が与えた試練なのです。」
神父の目を穴が空くほどラルフは見つめた。
思考がプツリと途切れ、ラルフは顔に影を落とした。
(ダメだ、もう、諦めよう)
「分かりました。哀れな子どもの両親に変わり、俺が奴らに裁きを下します。」
神父は満足気に涙を流して悦んだ。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
◆◆◆
教会から寮まで、どうやって帰ったのかの記憶が無い。ただ、道中に教会の人間が後ろをぴたりと尾行していた。
(森へ、行っていたことがバレていたのか?それとも、昼間の会話か…どちらにせよ前々から怪しまれていたのか?)
ラルフが聖騎士になることは、教会にもメリットがある事だ。神に剣を捧げる聖騎士となっても、ラルフの貴族としての立場や地位が全て失われるわけではない。
家を出てしまえば親との軋轢とも解放されるが、そうするとラルフの目的にはそぐわないのだ。
貴族のまま聖騎士になる。
そうする事で政治にも教会にも口を出せる立場をラルフは得たかった。
現国王には次期国王となる王子の他にラルフと歳の近い姫がいる。彼女は博愛的で民衆からの支持も厚く、ラルフは地道ながらも長い期間の交流を続けていた。
そして聖騎士は元の役割に加えて、最近では広告塔としての効果も大きい。エミーリアと並んで年若く優秀な聖騎士は、教会には良い客寄せパンダとなるだろう。
ラルフは姫の人柄に好感を持っていたが、そこに恋慕は無い。
ラルフは神を信じてはいたが、その神を政治利用する教会を信用していない。
「神よ。どうかお間違えの無いよう」
ラルフにとって、地獄にふさわしいのはラルフだけだ。なら、二人の邪魔になる存在をなるべく道連れにしてやろう。
これは正義では無い。その事実がラルフの心を強く蝕むが、それだけだと割り切って。望んで、堕ちる道を選んだ。
◆◆◆◆◆
「坊っちゃん。夜食をお持ちしました。
それから、その。ご学友の方がどうしてもお会いしたいとお部屋の前まで」
簡素な部屋着に着替えたラルフに、シャノンが困ったように言う。
ラルフは平気で出歩いているが、寮には門限と消灯時間があり、それ以降は部屋から出てはいけないルールになっている。廊下は生徒付きのメイドか寮の管理人の往来のみが許され、許可のない外出は罰則の対処だ。
「分かった。紅茶の用意だけ頼む。その後は休んでくれ。」
「かしこまりました。」
燭台のろうそくが淡く揺れる中、深夜の客とラルフは一人がけのソファに向かい合わせに座った。
湯気の立つ紅茶を一口啜り、ラルフは目の前の人物に尋ねる。
「貴殿にはコーヒーの方が良かったか?グレッグ」
「問題無い。それに、礼儀知らずはこちらだ」
彼はグレッグ。ラルフと同じく学院に通う生徒だ。真面目が服を着て歩いている、というのがラルフの印象で、寮の規則を破ってまで訪ねてきたのがグレッグだと知った時は多少驚いた。
「それで、何の用だ?」
「…ラルフ、寮を抜け出してなにをしている?」
なぜ、今夜なのかという点を除けば、いつかこういった場ができることをラルフは予測出来ていた。
グレッグ・レストレードはこのまま順当に行けば次期王国騎士団長を襲名する。
そして、姫の幼なじみでもある彼については前々から姫から聞いていたが、実際に会うとあまりの堅物ぶりで。さすがのラルフも頭を悩ませた。
ただでさえ人を寄せ付けないグレッグは、姫の婚約者候補のラルフには特に疑念が強かったのだ。
ラルフのしつこさに最近ようやく折れたグレッグだが、それでも夜中に抜け出すラルフのことをずっと気にしていたのだろう。
(なにせ、あそこはお前の部屋の近くでもあるからな、グレッグ)
グレッグが今になってこうして問うて来たのは、彼にとって友人か、それに近いものになったということだろう。
余計なお節介は軋轢を産みかねない。それを分かっているからグレッグは人を遠ざけた。
そんな彼が今、ラルフの懐を探ろうとしている。
カップを置き、ラルフは夜食のサンドイッチを手に取る。ハムとレタスのシンプルなサンドイッチをラルフは好んでよく食べていた。
「ある程度、探りは入れていたんだろうグレッグ。」
「…当然だ。それに、その剣だこは並大抵の鍛錬でできるものでは無い。
聖騎士になって、なにをするつもりだ。ラルフ」
ラルフは内心で苦笑する。グレッグはラルフが姫の婚約者候補であることを知っている。その上に寮を抜け出し教会へ通ってしかも聖騎士を志していることも。
「少なくとも、お前のお姫様に悪いようにはしない」
姫の存在を出せばグレッグの顔が途端に険しさを増す。素直な男だとラルフは微笑む。
「あの方を利用するつもりか?」
「まあ、そうだな。場合によっては、な。」
「俺がこのまま学院に規則違反を報告するとしても?」
「好きにしろ。それは無意味だ。
理事長にはそれなりに含ませてある。まだ彼は若い愛人方と仲良くしておきたいだろうからな。」
グレッグの手が拳を握るのが見えた。
(『そんなやつだとは思っていなかった』か?)
歯を食いしばり、じっとこちらを睨む目は裏切ったのかとでも言いたげだった。
(お前が俺に『友』を求めていたなら、確かに裏切りだろうな)
紅茶に口をつける。
姫は、グレッグの影響かコーヒーが好きだ。ただ、この国では国民はコーヒーより紅茶を好んで飲む。コーヒーはほとんどが輸入に頼る状況でもあるため、姫はそれを公言せずにいた。
『グレッグとラルフ様。二人が仲良くなればとっても素敵』
そう言って笑うのは、グレッグが王国騎士、ラルフが聖騎士を志していると分かってのことだ。
教会が発言力を増す昨今、このままでは国王は飾りとなり教皇が実質的な政治の決定をすることになる。
そうなれば魔女たちは尽くを滅されるだろう。今でさえ魔女への判決はその事件の大小に関わらず、ほとんどが極刑となっているのだから。
グレッグはラルフを糾弾するつもりだろう。
だからこそ、ラルフは笑う。
ここは既に、蛇の腹の中だ。
◆◆◆◆◆
「全く、困ったやつだなグレッグ。
使われるだけの人間は哀れだから、友人のフリでもしてやろうという俺の気遣いを無為にする気か?」
片眉を吊り上げ、見下すようにラルフはグレッグを嘲笑う。一度もグレッグに見せたことのないその表情に、彼は何かを言いかけたままぴたりと静止する。
「いいかグレッグ。鍛えすぎて脳みそまでバカになりかけているお前に分かるように言ってやる。
俺の一言でこの国は…国王は終わるんだぞ?」
ラルフはカップを取り、ぬるくなった紅茶で喉を潤す。悠々と足を組んで姿勢を崩し、なおも続けた。
「教会は強い後ろ盾を欲しがっている。
今はただの一信徒。せっせと神父に媚び売っているが、我がヘンダーソン家の名を知れば、向こうから聖騎士の座を持ってくるだろうよ」
だからこそ、神父に口止めを頼んでいた。
「1年、いや半年もあれば俺の名声を広めるには充分だよ。プランならいくらでもある。
なんなら、今度の森での討伐任務でわざと正体を晒してやれば良い」
「ッ、待て!討伐任務とはなんだ!騎士団にそんな報告は無いはずだ!」
「子どもが一人、死体で上がったらしいじゃないか。魔女の贄にでもなったんだろ」
「…?なんだと?あれは、ただの転落事故の…」
(やはりか。
神父が嘘つきなのか、その上の嘘かは今は知れんが)
毒づきたくなるのをこらえ、ラルフはあくまでも余裕そうに笑う。サンドイッチを食べ、ポットから紅茶をおかわりして。いつも通りの余裕を崩さない。
「魔女関連は教会の管轄なんだ。騎士団に口を出される謂れはない」
「それはこちらがそう判断した場合だ!独断で魔女事件だとするのは越権行為だぞ!」
聖騎士の武装は、あくまでも騎士団の配下という扱いで許可をされている。そう信じているグレッグの激高はもっともだろう。
「ははは!!グレッグ!!既に形骸化したそれをまだ信じているのか?
しかも最近は聖騎士エミーリアに騎士団最強と言われた男が負けたそうじゃないか!!」
グレッグの歯が軋む音が聞こえた気がする。それほどまでにグレッグは強く歯を食いしばり、今にも殴りかかりそうな怒りを必死で抑えていた。
「貴様ら、まさか罪も無き者を裁くつもりか。」
「さあな。もはや、我ら信徒からすれば瑣末な事件が誰の仕業かなどはどうでも良い。とは言っておくか」
「それのどこが正義だ。」
「奴らの存在そのものが神にあだなす罪だ。それに、俺は正義を掲げた事は一度もない」
数秒の睨み合いの後、グレッグが何かを飲み込むようにゆっくりと目を閉じる。次にその双眸がラルフを映したとき、それは明確に『お前は敵だ』と言っていた。
姫は魔女さえも国の民だと言って愛そうとしていた。きっと、グレッグはそれを応援したいのだろう。
「失礼する。」そう短く言って、グレッグは足早に部屋を出ていった。
(討伐任務まで、あと10日か。)
神父に告げられた残り時間をどう過ごすか。ラルフにはすでに決まっていた。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
◆◆◆
「ねえ、なんでラルフは神様が好きなの?」
まだ、ラルフとエリックが出会って間もない頃。
聖書を読むラルフにエリックはそう尋ねた。
共通語で書かれた文字を隣から覗き込みつつ、エリックはとても不思議そうだ。
村から少し離れた丘は、森の広場を村の子どもたちが使う際にラルフとの密会の場所になっていた。
後にここには良質な薬草があると解り、村の者の出入りが多くなるために今のラルフは近寄らなくなった場所だ。
「好きなわけじゃない。弱きを助け強きを挫く。それを人に成せと言う神が、善であると信じているだけだ。」
頬を赤く腫らし、少し喋りづらそうにしながらもラルフは答える。
「でもその神様、魔女が嫌いなんだよね」
丘の上からは都市を守る壁が見えた。今日は天気も良く、遮るものもない。
「…俺は違うと思う。」
「…?」
「魔女が悪魔の手先だ、使いだと教会の大人たちは言うが、その実彼らは魔女を見たことがない。仮に見ていても、知ろうとしたことが無いんだ。
それに、教会の魔女への敵対心は異常過ぎる。たぶん、これからもっと酷くなるだろうし、民衆もだんだんそれを疑問に思わなくなる」
エリックは気づく。ラルフの目が遠く、都市の壁を睨みつけていることに。
「ラルフ…。」
青い瞳が不安げに友を映す。
歳に似合わず眉間にシワまで寄せていたラルフだが、都市から鐘の音が聞こえると不意に表情を緩めた。
「…学院に、少しだけおもしろいやつがいるんだ。
アイツが騎士団長になって、俺が聖騎士長になったら。ふふ。全部俺の思い通りにいくだろうな」
「ラルフの友だち?」
「いや、場合によっては、俺はアイツに嫌われなくちゃならない。
…できるなら、仲良くしたいよ。
エリックのお陰で、友だちが良いものだって分かったんだからさ」
膝を抱えたラルフは、ようやく子どもらしく見えた。痛みに耐えるようにうずくまるラルフに、エリックは静かに手を伸ばした。
「大丈夫。上手くやれるよ、親友」
顔を隠す黒髪をそっと耳にかけ、暗い瞳に明るく笑いかける。澄んだ青空のような瞳は、希望に満ちて輝いているように見えた。
「…そうだな。お前が、お前とマキラが居れば、俺はきっと何でもできるよ。」
「魔法みたいに?」
「ああ。魔法みたいに」
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