エミーリア
日が落ちる頃、ラルフは2人と別れて都市へと戻った。高い塀に囲まれた要塞都市で、門番はラルフを見ると何も言わずに彼を通す。
闇さえも塗りつぶしてしまいそうなラルフの黒い髪と目は、良くも悪くも目立った。
父方の祖母の血筋らしいことを、以前酒に酔った母が愚痴半分に語っていたことを、よく覚えている。
ラルフは寮へ帰らず、そのまま裏通りを通った先にある教会を目指した。
年季の入った壁と開ける度に軋む扉。
ラルフが幼少の頃はここでよく聖書の読み聞かせから信者の集会などが行われていたが、昨年に新しい教会が建てられ、ここの神父たちも通う信者も皆そちらへと移った。
あれだけ細かく掃除していたはずのイスやステンドグラスは、今は当然のようにクモの巣とほこりや虫の死骸が溜まっている。
「新しい像があるからって、古い像まで置いていくことないだろうがよ…」
広間の奥にはかつて聖歌を奏でたオルガンと、神の偶像がある。精巧に掘られた優しげな表情は、来る度にラルフの心も穏やかにしてくれていた。
服が汚れるのも構わず膝まづき、服の下にしまっているペンダントを両手で包んで祈る。
(…神よ。本当に、エリックとマキラが使う魔法は悪魔の技術なのでしょうか)
マキラが作る薬。エリックの使う魔法。
ラルフの誕生日に、2人で魔法を使い花火を上げてくれた。バレないように小さく、昼間に。森の中でぱちぱちと色とりどりの火花が弾けた。
あれほどまでに美しい贈り物をラルフは他に知らない。ご機嫌取りの為に集められた宝石や調度品などより、よっぽど価値あるものだとラルフは思っている。
(…貴方の声が聞こえないのは、私が迷っているからなのですか)
神父は語っていた。死後、神の国へと誘われるものは生前に神の声を聞いていると。
そして、神父はその声を聞いたことがあると。
魔法は、やはり悪魔の技術なのだろうか。そうでなければ、2人が迫害を受ける意味が分からない。善性を煮詰めてそのまま心に詰めたような2人が。
(…石を投げられる理由は、何なのですか
産まれが罪なのですか。自分で選んだわけではない罪をなぜ背負わなければならないのですか)
心の中で、ラルフは何度も何度も神に問う。
声に出したこともあった。叫んだことさえあった。
それでも目の前の石像は微塵も答えを返しては来ない。
ドス黒い嫌な苦い思いが喉につっかえて気分が悪くなる。こんな神聖な場所で、こんな気持ちを持つのはやはり自分が未熟なのだろうか。
(俺は、最後まで抗いたい)
祈って、祈って、縋って、願い、足掻く。
エリックとマキラ。2人が悪であるなど、そんな事は決してないのだから、と。
◆◆◆◆◆
「───勝手に入ってすまない。案内の者とはぐれてしまったんだ」
廃教会で祈っていたラルフの元に、唐突に彼女は現れた。
重そうな鎧を悠々と着こなし、白銀の剣を腰に下げ、長い赤毛を後ろで結んで。美しい顔だが、鋭い目付きは見る者を威圧する意志が見える。
そして、鎧に刻まれているのは教会の紋章にラルフはすぐに思い至った。
(聖騎士か...!)
聖騎士は信者を守護する存在として教皇に認められた者がなれる役職で、優れた信仰心と体躯が必要不可欠。
神父になるより難しいとも言われている、神と神に仕える信者のための剣。
ラルフと歳が近そうな目の前の女性が、自らの目指す地位にたどり着いていると知るとどうにも複雑な気分にラルフはなった。
「君は...」
「申し訳ございません。新しい教会で祈るべきとは知りつつ、こちらには前々から通っていたので…」
少々苦しい言い訳だが、女騎士は少しだけ考えてから静かに首を振った。
「名も名乗らずに失礼した。私はエミーリア。聖騎士だ。」
「初めまして、エミーリア様。俺はラルフです。」
家名は名乗らなかった。教会でも、ラルフの身分を知るのは神父だけだ。信者同士の軋轢を避けるために、ラルフがそうして欲しいと頼んでいた。
「そ、うか。ラルフ。すまないが、新しい教会まで案内してもらえないだろうか?」
少しだけ、エミーリアが言い淀んだようにラルフには見えた。
だが、その不信を隠しながらラルフは笑顔でうなずき、快くエミーリアを新しい教会まで送ることになった。
◆◆◆◆◆
神父は大袈裟なぐらいにラルフを褒め、エミーリアにラルフが聖騎士を志していることも話してくれた。
礼をしたいと言うエミーリアと待ち合わせの約束をし、その日は解散となった。
帰り際、神父がラルフを呼び止める。
「ラルフ。来週、エミーリア様との用事が終わった後、少し手伝いを頼めますか?」
「はい。では、エミーリア様と教会に戻った際にお声をかけます」
「よろしく、頼みます」
長い付き合いになる神父も、ラルフほどでは無いがそこそこ良家の貴族で、妻と子どもに全てを譲り、身一つで教会の神父となったという。
そんな経緯もあってか、この教会に集まる人々の身分や人種は多岐に渡る。ラルフの知る限り、高名な貴族の末弟や都市で指折りの商人などもいた。
だが、この教会内では神の名の元にみんなが平等で、穏やかに笑い合える。
(世界がそうなれば…エリックとマキラも…)
寮の窓から見える都市の祭り。平民たちが友人や家族と店を回り、広場で踊る。それなのに、そこにマキラとエリックが入ることは無い。
壁の向こうから、鞭の音が聞こえる。
エミーリアと逸れた案内の信者が、鞭で打たれているのだろう。
祈りで清められた鞭を打ち、そうして悪魔を祓う。人の恐れも、迷いも、全ては悪魔の言に心を惑わされたからだと神父は語っていた。
『人に罪はありません。全ての罪は悪魔の手引きによるものですから』
(神が真に全能で、善性であるなら。
なぜ神は、悪魔の存在を許す)
廊下に飾られた信者が書いた神の絵。
時間を掛けて書いたのであろう繊細に重ねられた絵の具を見て、ラルフは小さく舌打ちをした。
◆◆◆◆◆
2人とラルフが広場で会う日はなにか約束をしている訳ではない。だが、ラルフが森に行く日には必ずマキラとエリックはあの広場に現れる。
エリック曰く、「何となく。ラルフが来る日が分かるんだ」との事らしい。
ラルフが来ることを察したエリックがマキラに声をかけ、2人でラルフが来そうな時間帯に広場へ来るという感じだ。怪我をしているかどうかさえもエリックには分かるのだとか。
(魔法の才ゆえなんだろうか)
魔法が使えない自分には分からないが、マキラの反応を見るに、エリックはそういうことができるらしい。天気なども何となくわかるのだとか。
風の音に顔を上げる。星の煌めく暗い空。
今ごろはエリックとマキラも同じ空を見上げているのだろうか?
寮の門は固く閉ざされている。裏口へと回り、馴染みの守衛に声をかけて中へ。
庭の木を登って3階にある自室へ窓から入ると、メイドのシャノンが部屋の掃除をしながら帰りを待っていた。
「おかえりなさいませ、坊っちゃん」
齢はもう60に近いが、すらりと伸びた背筋と堂々とした姿はそれを感じさせない。ヘンダーソン家に昔から仕えていたが、都市に住むラルフのために共に都市へ来てくれた、ラルフにとっては数少ない信用のおける人物だ。
都市に来てから雇ったメイドがラルフの私物を盗んで売っていたことが分かってからは、部屋にシャノン以外の入室をラルフは許さなくなった。
「怪我はもうよろしいようですね」
「ああ。明日は授業に出る」
「ええ。支度は済んでおります
それから、坊っちゃん宛にお手紙が届いておりますよ」
書物机に置かれた手紙を取り、中身を確認する。内容は領民からの相談や、ヘンダーソン家の執事からの財政についての報告だ。
両親が不正を行っていないか、それをラルフは常に監視してた。
「くく…」
思い出し、目元のガーゼに触れたラルフからは思わず笑みがこぼれた。
あの両親は、ラルフが現ヘンダーソン家当主の父が行った犯罪行為をいくつも証拠と共に抑えている。黙っていて欲しければ領地の運営は自分にやらせろと脅迫したあの瞬間、親子の関係は完全に破綻したとラルフは考えていた。
それにしても、暴力が原因でラルフが気を変え、告発を行うとは考えていないのだろうか。
「…低能のサルどもめ」
◆◆◆◆◆
部屋の風呂で汗を流し、寝間着に着替えてベットに体を投げ出す。
ふかふかの柔らかい布団からはリラックス効果のある花の香り。安定した、何不自由無い生活。
それでも、貴族でさえ無ければ。と思うことは何度もある。失踪か家出でも装って森に住みたい、と。
(だが、貴族で無ければ。
森の奥に行くことは多分無かった)
まだ都市に来て間もない頃、慣れない土地での不安からどうしようも無く遠くへ行きたくなった。
都市を飛び出して、平原を抜けて走って。いっそ死んでしまいたくて森へと入り、ひたすら奥へ奥へ。
────そして、その先でマキラとエリックに会った。
(…2人に会わなければ、俺も2人を蔑んでいたのだろうか)
目を閉じ、考えに頭をめぐらせる。
(聖騎士エミーリア…彼女なら、おそらくは…)
◆◆◆◆◆
◆◆◆
「『我らが大いなる父は空を裂き、太陽と月を生み出した』ですか?」
「ああ。そうだ!まさか聖書全て頭に入っているのか?」
エミーリアはラルフに惜しみない賞賛を贈った。
昼を過ぎた喫茶店には人が少なく、屋外のテラス席はラルフとエミーリアの2人だけだった。
先日の鎧姿とは違い、私服姿のエミーリアは騎士にはとても見えない。力強い瞳は変わらないが、今はいい所のお嬢様といった様子だ。
「完璧ではありません。ですが序章は特に何度も読み返していましたから」
これは嘘だ。現在発行されている聖書の全編、一言一句違わずラルフは頭に入っていた。
「さすがだ!神父殿が推すだけはあるな!」
「はは、それに────」
会話はもっぱら聖書と聖騎士についてだ。
特に隠し立てすることは無いとエミーリアが聖騎士になったきっかけやそれからの事を話してくれた。
両親を早くに失い、教会に拾われ。貧しくはあるが、神の教えの元で皆で助け合って生きてきたらしい。そんな中、エミーリアは神託を受け、聖騎士を志したのだとか。
「神託、ですか」
「ああ。私は大いなる父の声より剣の才を授かった。
これは人々を護る騎士になれという意思に違いないと教皇様もおっしゃられていた」
「教皇様にお会いしたことがあるんですか」
これにはラルフも驚いた。
教皇は普段はここから西にある王都の大聖堂に居て、ほとんど人と会うことは無いと聞いていた。
「ああ。聖騎士に任命された時にお会いした。素晴らしい方だった」
ラルフは頭を巡らせる。これまでに話した内容からある程度のエミーリアの人物像は見えていた。
「…エミーリア様は、もしかして聖書の原典を読まれたことがあるんですか?」
「!」
少しだけ声を潜め、おそるおそるラルフは尋ねた。
一般に入手ができる聖書は何度か書き直しがされていた。古い言葉で書かれた原典はそのままでは読みずらく、理解が困難とされているためだ。
大聖堂にはその原典が保管されており、原典には神の語った言葉がそのまま書かれているとされている。?
「…正確には原典そのままでは無い。原典を書き起こした物だ。君の慧眼には驚かされるな」
「聖書の内容以上にエミーリア様には深い理解がある様に思えたので。すいません。カマ掛けをしました」
「まるで探偵のようだ」
そこで話を切って、エミーリアはカップの紅茶に口をつける。少しの静寂の後、ラルフは尋ねる。
「…気分を害されましたか?」
「いいや。君のそれは教えの理解のためだろう?
なら、それを咎めることはしない。それに今は聖騎士としてではなくただのエミーリアとしてここにいる。」
「ありがとうございます」
それらしく、申し訳なさそうな顔をしながら。
エミーリアが気分を害することは無い、そうラルフは確信していた。
この程度の腹の探り合いは、貴族社会では日常茶飯事だ。学院ですら、頭の回るものは既に政治にも高い関心がある。だから宰相の息子や王族に近いラルフに声をかけてくるのだから。
コーヒーを啜って胸やけを無理やり飲み込む。エミーリアは純粋に民を思い、神の信仰を信じ、研鑽を詰んできた騎士の鏡のような女性だった。
僅かな時間の会話だが、ラルフはそれを理解し、それを利用しようとしている自分に吐き気を覚えた。
「…可能なら俺も読んでみたいものです」
それでもラルフは全てを飲み込み、爽やかな笑みを浮かべる。
エミーリアは小さく首を傾げた。
「公開されたものとそう変わらないと思っていたが…なにか気になることでもあるのか?」
「…聖書の中で、魔法は悪魔の技術だとされていました
それは、原典でも変わらないのでしょうか」
「…………なぜ、それが気になるんだ?」
少しだけエミーリアの目に疑念が宿る。
人は人の身のまま生まれ落ち、神の国へ至るために試練へと挑む。
魔法の類は簡潔に言ってしまえば楽をするためのもので、堕落を産む悪魔の技術と記された。
世間には様々な英雄譚や架空の物語があるが、魔法使いが良く書かれているものは1冊もない。魔法使いはいつでも悪の側にある。
ラルフは1枚の銅貨を取り出す。どこにでもある。普通のものだ。
表裏をエミーリアに見せてから手に握り込み、手を開く。
ラルフの手の中で、銅貨は2枚に増えていた。
再び手を握り、軽く振ってから開くと銅貨は3枚になっている。ただの子供だましだ。エミーリアならタネが見えていただろう。
「旅の手品師に教えてもらいました。
エミーリア様。これは悪魔の技術でしょうか」
「違うな。ただのマジックだ。」
ラルフは喫茶店の外に目を向ける。そこには小さな診療所がある。
「医師、と言うよりは薬師は薬草を混ぜ、薬を作ります。
それもただの技術と知識です」
同意を求めてエミーリアに目を向ければ小さく頷く。
「北の国には、異教徒の蛮族がいます。
エミーリア様は彼らを人間だと思いますか?」
「もちろんだ。私の剣の守る範囲には居ないだけだ」
カップを手に取り、1口。
僅かにコーヒーに映る自分の顔が、未だにポーカーフェイスを保てていることに気づく。
(ああ、俺はどこまでも)
改めて中身を飲み干してテーブルに戻す。
白いカップの中にはうっすらとコーヒーの跡が残っている。
「エミーリア様。森に住む彼らをどう思っていますか?」
「魔女の一族だ。悪魔に魂を売った者たちだ」
エミーリアの眉間に僅かにシワが寄る。聖騎士ならば当然とも言える反応だ。
「エミーリア様。改めてお答えください。
聖書の原典。その中で、彼らは本当に『魔女は全て悪魔の手先である』と、そう記されていたんですか?」
ラルフも、実は原典には『魔女が悪魔と何の関係もない』と書いてあるとまでは思っていない。
実際にマキラの薬学には毒に関する知識があるし、エリックが魔法で何でもやっているのを目にしている。魔法を持っていない知らない人間から見れば、楽をしているように見えるだろう。恐ろしくも見えるだろう。
だが、それはただのナイフだって同じだ。人を傷つけることができる。特に職人が作ったナイフは切れ味が良いから、楽に使える。全ては使う人間側の問題だ。
聖書は理解しやすいように書かれている。ならば、その中で曖昧な表現が塗り潰されていたとしたら?
良い人間と悪い人間がいる。マキラたちの様に良い魔女がいるなら、きっと本当に聖書やおとぎ話にある様な悪しき魔女もいるのだろう。
見分けがつかない以上は全てを悪と定義しているのかもしれない。そうラルフは考えていた。
「…少し違うな。『悪魔に魅入られた魔女は人々を惑わせ命を吸う』とされていた」
「!!なら!」
悪魔に魅入られていないならと声を上げようとしたラルフをエミーリアが手で制す。
「ラルフ。この話はここで終わりだ」
「エミーリア様、ですが、」
「ラルフ!」
静かに。しかし強く声を荒らげたエミーリアに、ラルフは閉口する。
次に口を開いたエミーリアは「ケーキが美味しいな」などと脈絡の無い話を始めた。その視線はカフェの店内へと向けられている。
ラルフも慎重にそちらに目を向けた。そこには教会のペンダントを下げた男2人が、じっとこちらを見つめていた。
「ラルフ、君はこの店によく来るのか?」
「ええ、たまに」
エミーリアに話を合わせる。見張られていたことに気づかなかった迂闊さに無意識に歯を食いしばった。
「少し、話過ぎたな。そろそろ戻ろうか」
「...はい。」
◆◆◆◆◆
ラルフは席を立ち、肩に乗った髪を後ろへ払う。服を直す振りをして自然に見張りの居る席を見る。にこりと笑いかければ彼らは慌てて目を逸らした。ちょっとした意趣返しだ。
「?....エミーリア様?」
座ったままのエミーリアに声をかける。
その表情には見覚えがある。
あの夜に教会で出会ったエミーリアが、同じような顔をしていた。ぼうとラルフを見上げていたエミーリアは、ぽつりと呟く。
「君は、変わらないな」
「?」
首を傾げたラルフに、エミーリアは少し困った様な顔をして笑う。
小さく頷いてから立ち上がり、エミーリアはそっとラルフの耳に口を寄せて囁いた。
「ラルフ、私はなにがあっても君の味方だ」
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