7-8.蒼穹、入道雲の下、星を撃つ

 ごっ、おうっっっっっっ!!

 閃光。

 入り混じる二つの光が激しい炸裂を起こし、大気が絶後の爆発をほとばしらせた。

 吹き飛んだ影もまた二つ。両者は荒れ果てた高層ビルの屋上に別々に落着し――長く短い沈黙を挟んで、一方だけが立ち上がった。

 俺――直衛佑を鋳直した、虚白色の駆体を持つ異形だけが。

 損傷はいちじるしい。攻撃に使った右腕は跡形もなく砕け、ちぎれ落ち、肩口から下がまるごと失われている。

 その傷を押さえる左腕もぼろぼろで、これ以上の傷をわずかでも負えば、右腕同様にあっけなく失われるだろう。

 そうした痛手を修復するだけの記憶率も既にない。この状態で元の身体に戻ったとして、回復の余地があるかも疑わしい。

 そしてそこまでの代償を支払っても、断言されたとおり、直衛佑は仰木由祈を殺せてはいなかった。

《……その言いぐさは、違うでしょ》

 腹部を完全に打ち抜かれ、支障を来している発音で、横たわったままの俺の幼なじみがつっこむ。

《手加減して、殺さなかったのは……。殺せなかったのとは、違うでしょ。イヤミか……バカ》

 あれほどの速度で結ばれた一合の詳細を、この期に及んで正確に把握しているとは恐れ入った。

 いや、本気だ。本気で言ってる。

 全力必死で相手とぶつかりながら、一方で冷静に状況を観測して記憶に残すなんて器用なまね、普通できるか?

 いや、できない。できたら恐すぎる。

 どうなるか予測して仕掛けた俺でさえ、交錯の瞬間の記憶はないんだぞ。

 だがそれができてしまうのが仰木由祈という生き物だ。なんともはや。

《いちお、聞くけど……。、狙ってやったわけ?》

《ぶっつけ、だったけどな》

 全身の痛みをこらえ、空を見ようとしつつ答える。

 ……由祈が再び切り札を起動した後、俺は二回、伏せ札を使った。

 超振動を回避した直後に一回。それと、最後の一撃をぶつける時に一回。

 何をしたか? 仕組みはあくまで簡単だ。

 俺の真理は破壊に特化している。起動宣告を経たことで、燃費が改善されただけでなく、及ぼせる対象や及ぼし方にも少し融通を利かせられるようになった。そこにつけ込んで、今まで一度も手を付けていなかったものを“ぐらつかせ”た。それだけ。

 そんな単純な手で由祈の意表を突けたのは、半分は運。もう半分は……、

《……いや、そっちも運か……?》

 きしむ首を少しだけ傾げる。

 別の言い方をしていいなら、“もう半分”とは自信、だ。

 俺が壊したのは、由祈の奇跡の大元である

 ハーモニーといってもいいし、メロディといってもいい。周期性を持った音の波で構成される振動の群れ――それに干渉し、霧散させることで空想そのものを分解し、力を削いだのだ。

 もちろん、利口なやり口とはいえない。リズムに併せて形を変え続ける歌の響き、その一音一音に対応するなんていうのは、どう見積もっても曲芸、大道芸の域に分類される行動だろう。

 けれど、やれるだろうという自信が俺にはあった。相手が仰木由祈、他でもない俺の幼なじみが紡ぐ歌であったからだ。

《小さい頃から、ずっと聞いてきたからな。お前のくせ、いいとこ悪いとこ、全部を肌が覚えてる。だから、いけると思った》

《……信じらんない》

《つったってな》

 実際やれたわけだから、その自信は間違いではなかったわけで。

《そんなの採用する時点で、バカだけど……。それでその上、手加減までしたわけ……?》

《手加減じゃないぞ。知恵と気力を振り絞った、俺なりの全力だ》

改鋳リキャストを部分解除して、素手で私を殴りに来ることが?》

 ああ、そうだとも。

 これに関してはまったく自信を持ってうなずける。

 最後の一瞬、俺は右腕部位に限定して改鋳を解き、代わりに《身体強化フィジカルブースト》の空想を起こして由祈を攻撃した。

 理由はこれも単純、鋳直したままの右腕で仕掛けたら、由祈を殺してしまうと思ったからだ。

 由祈の言葉は完全に正しい。直衛佑は、仰木由祈を殺せない。

 仰木由祈に生きていてほしい。それが、直衛佑の持つ譲れない“願い”の一つだからだ。

 しかしそうであるにも関わらず、由祈は今回、絶対に降参してくれない。

 少なくともちょっとやそっと追い詰めたくらいじゃだめだ。どうしても退かせたいなら、言い訳のしようがないほど完璧に俺が勝つ必要がある。

 だからこうした。結果、右腕は跡形もなく消し飛んだが、由祈を生かしたまま動けなくすることには成功したし、万々歳の上出来ではあるまいか。

 そんな思いの下に由祈に視線をくれると、

《ド級のバカじゃん》

 とのお言葉を頂いた。ええー。

《……まあ、なんとでも言ってくれ》

 勝者の余裕、というわけでもないが、俺はさっぱりとした気分でそう言った。

 “願い”を胸に実際に戦ってみて、あらためて実感したからだ。

 ――願う、というのは、馬鹿みたいな自分勝手をやることだ。

 身の丈に合わないだとか、可能性がなさすぎるだとか、そういう考えは成就のためには必要だけれど、“願い”を抱く段階にあってはむしろ、切り捨てて無視するくらいがちょうどいい。

《それを俺に教えてくれたのは、お前だよ》

 仰木由祈。俺の幼なじみは、今まで幾つのひとの夢を、叶えたり、後押ししたりしてきたのだろう。

 そうあるために、由祈は文字通り死力を尽くして“アイドル”を担い続けてきた。そして実際に、ひとが願いを託す明星であり続けた。

 そんな軌跡を歩む前に目標とうたったところで、誰も成就を見込んだりはすまい。一笑に付すか、ばかにするのがせいぜいのところ。

 そんな極大の大口おおぐちを現実のものにしたのが俺の幼なじみなのだ。なら、それに感化された俺が、嘘みたいに都合のいい“願い”を抱きたくなるのは自然なことだろう。

《……あきれた》

 負けたわ。

 くすぐったくなるような思いでその言葉を聞く。いいもんだな、ばかをやる、っていうのは。

 ――こんなふうなら、ここでやりきるのも悪くない。まったく。

 “殺さない”選択の代償……大空のど真ん中、いまだ確かな輪郭を保ってせ来る破壊の光群を見上げ、噛みしめる。

 次はあれをどうにかしなきゃならない。

《じゃあ、行く》

 視線を彼方に据え置いたまま、それだけ言った。

《ん。行っちまえ、大バカ》

 飛び立ったのは、その一言を聞いたのとほぼ同時。

 目指す先は蒼穹の只中ただなか、入道雲のふもと――俺のもう一つの“願い”を叶えることができる場所。

 その地点――降ってくるものを撃ち墜とすのにもっとも適した迎撃座標に向けて、流星の群れはすさまじい力量と速度をたずさえ迫る。

 刻限リミットまではあと少し。それでも焦りはなかった。

 はじめて掲げた“願い”のために――できる限りの全力を尽くす覚悟は、できていたから。

《……あーあ。結局、こうなっちゃったか》

 数秒後、去った俺を彼方に見上げて、由祈はつぶやく。

 なんとも残念といいたげに。そのくせひどく嬉しげに。

《ま、いっか。これはこれで。私にしても、やれることはやったわけだし。やりたいように》

 あとは頼むよ、悠乃ちゃん。

 そう言い残すと、荒れたビルの屋上には歌声が響くばかりとなった。

 鋳直しのために歪んだ喉、それでもあらゆるひとが聞き惚れるだろう美しさを秘めた、静かな口ずさみ――透き通る、上機嫌のハミングが。


 §


 きいいいっ――!

 風を切り裂き、一直線に俺は飛ぶ。

 最終迎撃ポイント、コギトが導き出した絶対防衛ラインは眼下数百メートルの後方。

 その高度を下回ると、俺の余力ではどうやっても流星を無力化できなくなる。

 撃墜を試みるならばなるべく高度に余裕のある地点がいい。

 視界の端に表示された接近までの秒数を見つつ、高く、高く、俺は昇っていく。

《……この辺が限界か》

 背部の吸気孔から放つ推力を調整しつつ、残された左腕一本に意思を託す。

 ――かっっっっっっっっ!!

 撃ち放った渾身の空想、虚白の極閃光が空を染め、天を駆ける。

 彼我の距離を火線はまたたく間に詰めきり、秘めた莫大な熱量、その激しい切っ先を流星一条の眉間に激突させる。

 直後、力量エネルギーを放出する左腕に衝撃。

 物理的な反動のたぐいとは違う。空想と空想、対立する非現実の想念どうしがぶつかり合うことで起きる相互反発現象。

《ぐっ、う、……おおおおおおっ!!》

 背部推進の出力を上げ、押し切られまいと踏ん張りながら熱量を放つ。

 三秒、五秒、八秒……。十四秒に達そうかとした瞬間に、ようやく重すぎる手応えが消滅する。

 仰ぐ空の彼方からは炸裂の振動、風圧が時間差で降り、ぼろぼろの駆体を激しく揺さぶる。

《まずは――一つ!》

 視界に示される次の一条の最適迎撃座標へと移動しながら、己を叱咤するための声を張り上げる。

 かっっっっ!

 狙いを定め、放ち、焼き切り終えるまでの秒数を押し合い、耐える。

 息吐く間もなく、一秒一刻を惜しんで駆け巡り、迫り来る破壊に挑み、空の塵へと変えていく。

『迎撃進捗、現在四十%。予定ペースより十秒弱の遅れが生じています。迅速に行動して下さい』

《わかっちゃいたが、普通にきついな――!》

 ペースの遅れもさることながら、記憶率と駆体の消耗度合いも限界まっただ中だ。

 由祈との戦いで無茶をしすぎたつけが回ってきている。この分だと半分を撃墜した時点で力尽きて、長距離落下のあげく地面の染みになりそうだ。

『生命維持を優先した対処プランに変更しますか?』

《しない! 計算続けてくれ!》

了解コピー

 おおかた“他の誰かに任せて自分は即刻撤退”とかそんな感じのものだろう。

 ひとに頼るプランに興味はない。だいたい、これは俺の“願い”だ。俺が自分の手で叶えることに意味がある。

《それに、そもそもな――》

 塵芥を吸気、変換。

 何度目になるかわからない存在崩壊の光を放ちながら、頭の中身をそのまま口に上せて叫ぶ。

を焼くなんて最低な真似、簡単に誰かになんて任せられるかよ!》

 ――どうっ!!

 再び腕にかかった重み。そのあまりに覚えのありすぎる手触りを前に、歯を食いしばる。

 “――――”

 “――たい”

 “終わらせ、たい”

 “もう、頑張れ、ない”

 伝わってくる一念。放つ眩さとは正反対なようでいて、その実どこまでも近しく、深く繋がっている想念、感情。

 諦観ていかん――“諦め”の念。

 挑むことは苦しい。戦うことは苦しい。

 自分は弱い。誰しもが知っているのに、けれど誰にも気付いてはもらえないこと。

 限界などいつだって訪れている。でも、それで苦しむことを誰にも許してもらえないから、そんな権利は自分にはないのだと言い聞かせて歩み続ける。

 そしていつか、ふと思う。はじめは“願い”と共にあったはずの日々に対して、こう思う。

 “終わってほしい”

 自らこの道を去ることはできない。そうするだけの勇気はない。

 だから望む。だから祈る。背負ったこの苦痛が消えてなくなり、自分ごとすべて塵へ還る、負の奇跡の到来する未来を。

 降る星、またたく一つ一つが、そうした“願い”の結晶だ。

 その“願い”があるから、昏い欲望を落ちる星として切り離し、心にしまいこんでおけるから、正の“願い”が輝く。これは在らねばならない星、もう一つの明星。

 それをひねり潰す――踏みにじって「生きろ」と残酷に宣告する権利なんて、誰も持ち得ない。そんなまねをしていいのは、当人から救いを委任された、思いを託された特別な一人一人だけだ。

 もちろん、俺はそんな人間じゃない。

《けど、やる! 権利がなくても――俺が、それを心の底から願うから!! 仰木由祈あいつ空想しわざで世界が壊れないことを、誰にも負けないくらい望むから!!》

 “五十三回目”

 ここに至る直前の世界線――最後の周回を記録したレコーダーの音声を、俺は聞かなかった。

 記録の、少なくとも結末部分がまったく信用ならないフェイクでできているだろうことが、最初からわかりきっていたからだ。

 俺を殺した世界を壊す。それが最終周での目的だと、由祈は言った。

 本人に確かめるまでもなくはっきりしている。“そんなふざけた選択、真っ赤な嘘以外の何物でもない”と。

 仰木由祈は諦めない。最後の最後まで、未踏の未来に見切りをつけたりしない。

 直衛佑を生き延びさせることが目的なら、たとえ何十何百、何千回失敗した後の“最後の一回”だろうと、その目的を果たすため全力を尽くす。

 それが俺の知っている、俺が憧れてやまない仰木由祈というひとの本質だ。

 だから少なくとも俺には、由祈がレコーダーに残した“世界を壊すことにした”という言葉は、計算づくの嘘八百であるようにしか聞こえない。

 では、なぜ? どうして由祈はそんな嘘を、わざわざ俺に伝えてよこしたのか?

 そもそもの目的を踏まえれば、答えは明白だ。

 

 由祈は言った。私ではもう、佑を助けられないことを知っている、と。

 こうも言った。予想外の誰かが最後の周回に現れるようだ、と。

 “予想外の誰か”とは誰か? これが事実関係を把握するための鍵だ。

 あわせての発言から、それが葬送者ネーニアである可能性はまず除外される。あれが現れ、由祈を狙うことは恐らく運命として定まっているのだ。

 そして同じく、それが運命だとされていることがらを直衛佑は知っている。

 預言者がた未来――“直衛佑は戦場に立つ”。

 このどちらもが避けられないとすれば、“夏の終わり”に何が起きたのか、その事実に対する推測は自然と成立する。

 “直衛佑は葬送者と戦う”。そして――“その果てで、死に至る”。

 理由は幾らでも思いつく。なにしろ自分自身のことだ。

 もっとも可能性が高いのは敗死か、それか――、

《(――自死。いわゆる自殺、ってやつだろうな)》

 あの白い庭で、渇きに苛まれた俺が真っ先に考えた選択肢がそれだった。

 “きっと、いつか。直衛佑は、世界を壊す道を選んでしまう”

 誰かの挫折に堪えられないのは俺の弱さだ。そんな身勝手で世界を壊されるなんて、他の誰かからすればたまったものじゃない。

 だからこの苦痛から逃れるために、直衛佑がっていい選択は一つしかない。

 世界を壊してしまう前に、自分を壊すのだ。

 ここまで来れば、答えを導き出すのはそう難しくない。

 俺は星を追いかけることを、馬鹿みたいな“願い”を抱き、それを叶えにかかる道を選んだ。

 その分岐を、直衛佑に選択させたのは何だったか? 誰だったか?

 それが答え。仰木由祈が最後の周回で試みた賭け、その結果。

《人を気安く、馬鹿呼ばわりしやがって――》

 記憶率の枯渇を叫ぶ赤一色のゲージを無視し、俺は星を焼き、殺し、とし続ける。

 あと四つ。

《本当の大馬鹿はどっちだよ。なあ、由祈!》

 “最後の周回に現れた誰か、とは、覚徒――逸路の敵たる狩人、悠乃七彩である”

 “葬送者は本来なら隠密裏に儀式を実行できるはずだった。そうであったために、直衛佑が単独で戦場に立つ余地が生まれ、死の運命が定まった”

 “五十三度の周回で、仰木由祈は、自身と葬送者、そして直衛佑の三者だけでは運命を変えられないという仮説を持つに至った”

 “故に外部要因に解決を託した。“欠片”の知識を逆用し、演算し、直衛佑の味方が現れるよう、行動目標を変更した”

《俺なんかをどうにかするだけのために! 世界なんてものを敵に回して!》

 あと三つ。

《助かるかどうかだってわからないのに! 憎まれ口きいて体まで張って!》

 あと、二つ。

《あげく、自分は死ぬ気で俺と殺し合いをするとか――ちょっとは自分が報われる道を選べよ! お前ほどのやつを殺してまで、俺を生かす道を採ろうとすんじゃねえよ!!》

 あと――一つ。

 意識がかすむ。己が薄れる。

 これ以上踏み込めば、直衛佑は正真正銘のからっぽになって、この世界から消滅するだろう。

 だが構わない。どうあっても、俺はこのみちを走り切って、あいつに知らせてやらなきゃいけない。

《俺の……直衛佑おれの、本当の“願い”は!》

 吸気、空想。感覚で触れ、取り込み、ぐらつかせた塵芥――存在の幾片を、力量に変換。

《お前みたいなやつが! 星が! 眩しさが! 報われてはじめて叶うんだってことを!!》

 降る星の光と、天を仰ぐ光が拮抗する。限界をとっくに越えている左腕に亀裂が入り、今にも砕け散りそうになる。

 負けてたまるか。

《まだだ! まだ、まだ、まだ、まだ――!》

 青空を覆い尽くす渇きの幻覚、ホロウ・ホワイトの曙光に向けて手を伸ばし、叫ぶ。

 胸に燃える虚白の灯、さかる心臓のに己を叩きくべながら咆える。

 撃墜完了までの予想秒数が十を切る。果てしなく遠い刹那の時間にすべてをぶつけ続ける。

 あと少しだ。もうあと一手、一駆、一馳せできればいい。それさえ、それだけのほんの僅か、てば――。

 ――ぱきっ!

《!?》

 不意に、すべての力が体から失われるのを感じた。

 俺を、鋳直しの直衛佑を、支え、動かす、意思。

 その結実である空想がかたちを失う。識域に現象することをやめ、ただの、俺一人の頭にただよう無力な想像へと立ち戻る。

《なん、》

 でだよ!

 始まる自由落下――巻き立つ高空の強風が感覚をまたたく間に覆い尽くし、俺はなすすべもなくちていく。

 体が巻き戻る。かたちが巻き戻る。俺はただの、ちっぽけな男子高校生の直衛佑になる。

 星を遠くに仰ぐしかない、ありきたりの真っ当以下として空に放り出される。

 出力不足――こんなところで。

 もう少しで“願い”が叶う――世界も由祈も救えるって時に、俺は終わるのか。

 望んだ結末みらいを掴めずに、ここで力尽きるのか。

《そうだね。……そういう言い方も、まあできなくはないけどね》

「!」

 広い、広い空に、澄んだ歌うような声が響き渡る。

「由祈――!」

 傷だらけで、しかし鋳直しの体をなお保った、仰木由祈がそこにいた。

 推力を放ち、空を去ろうとする俺と入れ違いになるように、地上から猛烈な勢いで上昇してくる。

《でもさ。こうも考えられない?》

 遠く声を俺へと届けながら、上機嫌といった口調で由祈は言う。

《つまりね。“勝負はまだ終わってない”――最後の最後でやりたいことを通した方が、真の勝者って考え方!》

「お前……! 自分で“負けた”っつっただろ!」

《バカには殴り合いじゃ勝てんって言ったの! でも“これ”なら話は別!》

 追い抜きざま、装甲化した掌が俺の背中を叩き、空想を付与していく。

 落下速度が目に見えて減少し、全身をむしばんでいた低温と風圧があっさりと消え去る。

《元々さ! 全部うまくいったら、尻ぬぐいはしなきゃって思ってたんだよね!》

 佑が生きてくれるんだったら、世界はなくちゃ困るし! 私は後悔してないけど、だからって後始末を人に押しつけるのはポリシーと違うから!

 そんなふうに声を張り上げながら、由祈は飛んでいく。他の誰とも違う眩さ、星火銀スターリー・シルバーの光条を後にいて、流星に向けて、まっすぐに。

《聞いたぞ! 私、佑の本気の“願い”、すぐそばで!》

 真夏の陽射しの只中でもまたたく銀光は、高く遠く俺から離れても、言葉を俺に届かせる。

《いいと思う! スーパーアイドルに啖呵きった以上、曲げたり捨てたり簡単にはすんなよ! 死ぬまで抱えて、最後の瞬間まで“叶えよう”ってあがいてよ!》

 やめろ――やめろ。

 やめてくれ。そんなことを言われる覚悟はできてない。

 自分が飛ぶ覚悟はしていても、飛ぶお前を見送る覚悟なんてしちゃいない。

 そう伝えようと、必死に手を伸ばす。声を上げようとする。

 どちらも上手くいかない。もう力が残っていないのだ。

《あとね! 一個、言う前に佑が行っちゃったから聞かせられなかったけど!》

 よーく聞け、と念押しする言葉すら受けとめる余裕がない。

 なのに、声は注ぐ。天から降る祝詞のように。果てしない道行きを照らす祝福のように。

《恋するオトメのワガママパワー、なめんなよ! ただかっこよくて好かれただけの男の子が、簡単に勝てると思うな!》

 それが最後の言葉だった。

 墜ちていく俺が見上げる、蒼穹、天のど真ん中で――、

 輝く二つの星と星は重なり、一つになり、そして、

 ――きぃんっ!!

 世界そのものを焼くような激しい光を放って、欠片も残さず、まっさらに、消えた。

 その後のことは、もはや観測することさえままならなかった。

 渇きがもたらす幻の白――その虚ろすら吹き飛ばす閃光の中で、直衛佑は、残された最後の力を使い果たして、意識と共に、空の底へ落ちていった。


 §


 消えていく。消えていく。

 かんかん照りの陽射し、抜けるような青空の下。がっぷり四つでぶつかった、星と私が消えていく。

 これが五十四周目、私がたどり着いた最後のゴール。

 未練は――まあ、ないではない。どこまでだって欲深いのが私という人間だ。

 星を求めた。星に出会えた。それだけじゃ満足できなくて、星の特別になろうとした。

 逸路になった流れだってそうだ。知らないところで私を守って、命をかけて。あげく私に一言もいわず、世界から消えた佑を諦めたくなかった。

 しかし、まあその辺を考えると――こういう結果をつかみ取れたのは、なかなか幸運と言っていいかもしれない。

 なんたって佑は生きている。呪いもかけたことだ、もう少なくとも、自分で自分を殺そうとすることはないだろう。

 そして、この呪いはそのまま青春セイシュンの傷だ。恋人の座は悠乃ちゃんがるかもしれないけど、あの頑固バカの心の片隅は、これで私のもの。確定しちゃった過去だから、ちょっとやそっと策を巡らしたくらいでは消し去れないに違いない。どうだうらやましいだろ悠乃ちゃん、はっはっは。

《……死ぬなよ、佑》

 大事なことなんで、死にかけだけど声に出していった。

 今ごろどうせ気絶してるだろうけど、なに、構いませんよ。やるだけやっとくのが私のポリシーだし――もしかしたら奇跡が起きて、これも届くかもしれないですし?

 なので声を張り上げる。消えていくのも構わず、大きく息を吸って、腹から声を響かせる。

 歌うように。祈るように。

《聞こえるかー、大バカー! 応援してんぞー! この先の人生ジンセー!》

 生きろ。生きろ。直衛佑。私の大好きな最高の星。

 あの夏、あの庭で、私が抱えてた泣きたい気持ちに触れてくれたひと。

 ありがと。おかげでここまで来れた。

 さよなら。ぎりぎりまで、達者でやって。

 ばいばい。ばいばい、ばいばい。

 私、こうやって終われて――本当の本当に、報われてたよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る