6-6(-2).今日、この光の下で、私を

《――――》

 破壊された小世界の空想、その残滓が降り落ちる舞台に着地する。

 それら一つ一つを、天から注ぐホロウ・ホワイトの幻影がまばゆく照らしている。

 胸の灯がうずく。直衛佑の底に眠っていた本当の“願い”が、衝動を叫ぶ。

 “壊せ”

 “壊せ”

 “今すぐに”

 “これ以上誰かが、この世界にすり潰されてしまう前に”

 “そのえられなさを、直衛佑がこれ以上感覚してしまう前に”

 わかってる、と答える。

 このかたちでいられる時間も長くない。識域のあるじを殺した以上、邪魔が入るのを防ぐはたらきもあとわずかしかもたないだろう。

 刻限リミットが来る前に、やらないと。

 この、どうにもできない最低の世界を、壊す。その“願い”を叶えてしまわないと。

 動き出そうとする――光の中、一歩を踏み出そうとした俺を、しかし声が呼び止める。

「佑……?」

 とても覚えのある存在の感触。振り返る。

 おりの束縛から解放された、傷だらけの少女がそこにいた。

「佑、だよね」

 ためらいがちに近寄りながら、少女が俺の名前を呼ぶ。

 その不安げな姿が、記憶の中の幼い少女のものに重なる。

《……由祈》

 歪んだ喉で呼び返すと、小さくうなずく。

 そうだ。あの時も、こいつはこんな顔をしていた。

 涙の一つも流せない張り詰めた表情で、ホロウ・ホワイトの空の下、直衛佑と向き合っていた。

 “約束だよ”

 今より幾分か高い、透き通った声が記憶の底から甦る。

 忘れ去っていた言葉の先を、遠い彼方からつれてくる。

 “約束だよ。きっとそうするって。そうしてくれるって”

 “いつか、佑が“願い”を叶えるとき。私の“願い”もいっしょに叶えて”

 “佑がみんなを楽にするとき”

 “

 “佑が、壊して。世界と、いっしょに”

「――思い出した?」

 もう答えはわかっている、と言いたげな顔で、由祈が微笑する。

《……ああ》

 うなずく。そのことを証すように、手を静かに振りかぶる。

 確かにそれは約束だった。あの日直衛佑が胸に抱いた、“願い”の構成要素の一つだった。

 大事なきみが、世界にすり潰されてしまわないように。世界より先に、きみを殺す。

 きみが楽になれば、安心できる。安心してから、世界を壊しに行ける。

 今がそのとき。約束を、果たさなければいけないとき。

 柔らかな肉の内側で鼓動する、心臓の熱を感じながら、狙いをつける。

 引き絞る。痛みも苦しみも、もう感じることがないように。

 そのために俺は、きみを――。

「……だめ……」

 硬直する。目的のために最適化された意識にノイズが走る。

 かすかな声だった。ごく小さな、けれどよく通る、鈴の音のような響きだった。

 その声の主を、直衛佑という存在はいまだ記憶していた。

 からっぽの感覚に縛られていた直衛佑に、“願い”を探せ、と告げたひと。

 鋼のような在り方を通して、直衛佑にもう一度、眩しさを認識させてくれたひと。

 忘れさられるとわかっていてなお、命を賭けて直衛佑を救おうとしてくれたひと。

 世界の精彩を捉え続けて離さない、虹の瞳の悠乃七彩が直衛佑を止めていた。憧れた星を手にかけるなと、か細い声で叫んでいた。

 直衛佑のかたちが崩れる。鋳出いだされていたかたちが戻る。

 虚白色の光が薄れ、真っ黒な天と瓦礫からなる今ここに戻ってくる。

 遅れたように動悸が来た。自分が、知らず決定的な分岐点に立っていたことを自覚させられる。

 もしここで腕を振り下ろしていたら、自分はきっと戻れなかった。存在し続けなければいけない理由をすべて置き去りにして、“願い”を叶えるためだけの凶器へと堕ちていた。

 ふらつきながら、悠乃の方へ感覚を向けようとする。大怪我を負っていたはずだ――無事を確かめなくては。

 けれどそれを、ひどくあっさりとした、独りごとのような一言が遮る。

「あー。ダメか。やっぱり」

「!」

「しゃーないな。じゃ、プランBでいきますか」

 間違いようもない由祈の声。なのにどうしてか強烈な危機感が湧きあがる。

 反射的に身をひるがえす――しかし遅い。脇腹に重い衝撃。

 受け身も取れずに吹っ飛び、地面に転がされる。

 命中箇所から全身に、痺れるような残響の感覚が走る。世界がぶれて揺らぎ、手足が思うように動かず、立ち上がれない。

「由……祈……?」

 喉からかろうじて声を絞り出す。

 だが、返ってくる答えはいたっていつも通りの、呑気なもの。

「ん、何? あー、ニセモノにやられたのか、とか思った?」

 それは一回やったでしょ、初日に。ネタかぶりはつまんないじゃん。

 つっこみを入れてくる横顔はつくりものとはとても思えない。

 なのに、言っていることは何もかもがおかしい。

 なんで、お前がそんなこと知ってる?

 なんで、お前がここでそんなことを言う?

 これじゃ、まるで――。

だって?」

 心の内を読んだかのように声が降る。言いたくない、聞きたくもないことを、全部言葉にして紡いで鳴らす。

「そうだよ。敵か味方かでいうと、まー敵、だいぶ。さっき死んだあいつ、イツロっていうんだっけ? 私も同類らしいしね。欠片カケラ、食べちゃったし」

 ざくざくと瓦礫を踏み、拍を刻むように足音を起こしながら、語りが続く。

 その一歩ごとに、状況が復元されていく。葬送者の死と共に絶えていたはずの歌声が復活し、閉じかけていた昏い空は再び彼方への唸りを響かせ、再びスポットライトに照らされた舞台ステージの中央には一人、星が立つ。

「私が佑をヨメにしたかったのはね。あの日の佑が、私のことを本当ホントの意味でわかってくれてたから。世界にうんざりしてた私と、おんなじ“願い”を共有してたから」

 そう言うとスタンドに指をかけ、マイクに唇を寄せ、息を吸う。

 今度こそはたがいなく、歌姫の歌声が空間を染める。暗闇の客席から砂粒のように小さい光が湧き上がり、渦を成して空へ昇る。

「よーし、無事成功。世界滅亡へのカウントダウン、始まったな」

 光が果てへとのぼり詰め、何もなかった空で一つの点を成したのを見ると、由祈は満足げに腰に手を当て、一つうなずく。

「――佑が世界を壊してくれるんなら、私は殺されてもよかった。むしろ、殺されたかった」

 そうしたら、私は佑の特別になれるしね。

 やらかした些細ないたずらの動機をばらすように、星は言う。

「でも、佑がやらないんなら――そしたら、私が逆をやるしかないでしょ? 佑に、私が引導インドーを渡して。そのあと、世界を壊す。簡単カンタンな話」

「そん……」

「本気だよ。私は佑のことが好きで、世界のことが嫌い。だからこうする。こういう形で、私は自分の、本当ホントの“願い”を叶える」

 追随するスポットライトに照らされながら、由祈は舞台上を渡る。

 倒れ伏している悠乃を抱え上げ、肩にかつぐと、もう一方の手で空間から何かを取りだし、こちらにほうる。

「それ聞いて、もうちょっと考えまとめてから私のとこ来て。それで改めて、答え聞かせてよ。私を殺すか、私に殺されるか」

 待ってるから。

 そう言い残して、由祈は舞台袖の奥へと消えていく。

「くそ……っ」

 追いかけようとしたが、無駄だった。

 由祈が俺にぶつけた空想の効果は減衰することなく続いていて、今や意識を手放さずにいるのがやっとの状態だ。

 立ち上がろうとし、またも倒れ込んだ時、由祈が俺に投げつけた何かのシルエットが目に入った。

 遅れてピントが合う。あいつがこの夏ずっと持ち歩いていた、傷まみれのボイスレコーダー。

 最後の力を振り絞ってそれを掴み、同時に気を失う。

 外界の刺激から切り離され、内側へと落ち込んでいく思考。

 その中で最後に再生されていたのは、やっと思い出したいつかの光景――いまだ幼いあの日の由祈の、ひどく張り詰めた横顔の記憶だった。

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