6-6(-1).虚火

 変わる、わる。直衛佑の存在が組み換わる。

 心臓はに、肺はに。魂は意志に従い、在りようは目的にこうべを垂れる。

 指先は干渉のための回路と変じ、筋骨きんこつ血管束けっかんそくは伝達機構として最適化。

 必要のままに機能部位が増設され、他方で無駄は削ぎ落とされて輪郭を整序する。

 全身ことごとくが使へと換わりきったなら、鋳型いがたはもはやうち捨てられる。

 結果あらわれたのは、尖形せんけい――鋭角のうず型にくり抜かれた肩、背、脚部を持つ鎧の装甲怪物。

 虚白色ホロウ・ホワイトを基調とする駆体くたいの中核には温度の読み解けないともしびが燃え盛り、しかるべきものがそこへくべられるのを待っている。

《――――》

 言いようがないほど単純な心境だった。

 意識には目的だけが残り、胸には澄み切った衝動だけがたけっている。欲望ねがいだけがただ一つ脳裏を占め、実現のためにられたからだが、稼働の瞬間に備え低くうなっている。

 確かにばかりを使っていたら、己では何の空想も描けないただの嵐、それか装置と化してしまうだろう。

 あるいはそのせいで、目の前のこいつはこんなにもどうしようもない存在になり果てたのか。

《な……》

 呆気に取られる、という表現がまさに適切だ。

 楽器造物のたぐいと融合した変形体の男は、起こった状況の変化をうまく認識することができず言葉を失っていた。

 渾身の意をもって指揮したはずの処刑がしかし成らず、二重三重の拘束を命じたはずの黒流スープは霧散、得物たる弱者は自由を取り戻し、不遜ふそんにもはばかりなく己へと相対あいたいしている。

 およそ望みや想像と異なる展開ではあったろう。けれど。

改鋳リキャストだと!? いや、それ以前に……貴様、今いったい何をした!?》

 男は驚愕に目を見開き、感情を吐き出すかのように言葉を紡いだ。

 対し、俺は首をほんのわずかかしがせるだけにとどまった。果たして答える必要があるのか、本気で判断にきゅうしたからだ。

 だって――見ればわかるだろう、そんなこと。

 攻撃への対処に使った俺の右手は、鋭角渦の穿穴せんけつが刻まれた掌を男に向けたままだ。

 それでわからないなら、掌の直線軌道上、男の顔横をかすめるようにして通っている射線をなぞり、後ろを振り向いてみればいい。

 そこには対処の余波で生じた十数メートル程の風穴がくらい口を開けている。コンクリートとひしゃげた網状鉄柱がのぞく風穴の断面は溶解し、どんなたぐいのできごとがそれを作り出したのかを物語っている。

 それなのに男はいまだ理解した様子を見せない。己が空想で生み出した世界、その基盤を成す黒い生命流が、何によってのか認識するそぶりを見せない。

 ……いや、

《馬鹿な……馬鹿な!! そんなことがあるわけがない!》

 男の言葉は今や叫びに近いものへと変わっている。受け入れがたい事実を遠ざけるための、必死の発話発音、否定行動に。

《どのような空想がそれを成すというのだ――我が真理が紡ぎし空想を、神秘の一片とても帯びておらぬ、によって焼き払うなどと!!》

《馬鹿にしてるのはどっちだ》

 思わず言葉が口を突いて出る。

存在ものをこれだけ使い潰しているくせに、まだそんなことにも気付けてないのか?》

 なおしの皺寄しわよせで喉が使いにくくなっている。歪んだ響き――自分で聞いていても腹が立つほど不自然、異物的。

 喋るのが億劫おっくうだ。もう一度見せた方が早い。

 きゅうううう。

 斜め上方、肥大した自我そのもののような体積を備える男の土手っ腹に狙いを付け、空想を練る。

 掌の鋭角渦の中心、きりで開けたような穿穴せんけつが吸気し、宙を舞う塵芥ちりあくたを取り込み、

 そして。

《!!》

 ――かっっっっっっっっ!!

 炸裂した虚白の閃光が空間を埋め尽くし、莫大量ばくだいりょうの灼熱一条いちじょうが顕現、ほとばしった。

 細く絞られ、指向性を持って放たれたそれは舞台の天井障壁を貫通し、矢より早く空を駆け――かろうじて身をひるがえした特権奏者、絶対指揮者の肩口をかすめ、食いちぎったのちに消滅する。

《ぐ、あっ……!》

 ぶしゅっ!

 残留した熱により血液が時間差沸騰、焼き潰した血管断裂部を破り血煙を噴き、男を苦悶させた。

 そうなるのも当然だ。ほんのわずかの質量しか持たないちりの一握りでも、存在を壊せば相応規模の熱量エネルギーとなるのだから。

 あらゆる物体、存在は、世界にただ“在る”だけのために莫大な力を消費している。《ヴァシレイツ》を使って対象をぐらつかせ、完全に存在を崩してしまえば、それは消失し、秘めていた力量エネルギーを余剰物として世界に放出する。壊し方に手を加えれば方向性を獲得し、火として狙った的を焼くことが可能になる。

 つまり、俺がやっていることは最初から何も変わっていない。こいつは俺が真理を使うところを既に見ている。少し頭を使えば簡単に察しが付くはずなのだ。

 それができない理由は一つきり。

《お前にとって、存在は何の重みも価値もない代物なんだ》

 そしてこう思っている。

《重みがない、軽んじていい。価値がない、どう用いてもいい》

 だから“悲劇を収集する”なんて真似ができる。苦しみもがきながらひとが終わっていくさまを幾つ目にしても、何も感じず平気なままでいられる。

 そんなやつが願う弱者の救済が、本当の救いになるわけがない。

《この世界は最低だ。でもそれ以上に、お前は、醜悪だ》

 こんなものがのさばり続けている今を――直衛佑オレは、壊さずにはいられない。

《ぐ――》

 空想を注ぎ、欠損した自身の存在を編み直しながら、男が表情を歪める。

 湧き上がる怒りに身を任せ、暴君としての権能を振るおうとする。

《ほざけ、愚か者がっ!! たまさか牙剥く手段を与えられた程度で調子づきおって!》

 舞台の底から影の激流が湧き上がる。蓄えていたありったけを引き出したと見え、それはもはや海、波濤、うねる荒波の様相を呈している。

《世界はかくのごとくある!! 存在は弱者と強者に分かれ! 強者の導きと用立てあってこそ弱者の生は意義を持つのだ! 屈せよ――摂理に膝を屈せよ! 力ふさわしからぬ狂獣がっ!!》

 狂獣。確かにそうかもしれない。

 怒濤、殺意に指揮された大激流の接近を感覚しながら、ぼんやりとそんなことを思う。

 俺は自分の欲ひとつのためにこんなかたちにまでなったけだものだ。感情に大義なんてあるわけもないし、人間らしい真っ当さなんて欠片も持ち合わせちゃいない。

《(でも)》

 だからといって、大人しく踏みにじられてやる義理なんてない。

 ましてや――、

《(摂理に)》

 存在おれたちをかえりみない世界が、存在おれたちをすり潰しながら宣告してきた摂理ルールなんてものに、従ってやる気になんてなれない――なれるわけがない。

 そんなもの、根から芯からぐらついて、壊れ砕けて消えてしまえばいい。

 大波が直衛佑をのみ込む。あらゆる絶望を、苦痛を、音色が命じるまま注ぎ込み、直衛佑という在りようを挫折させようとする。

 その必死さに男の原体験オリジンを見たような心地がして、ほんの少しだけ共感の情が湧いた。

 しかしそれを、目的のために鋳直された精神と肉体が振り棄てた。

 “壊せ”

 黒く濁った敗退死の溶液スープを光が切り裂く。直衛佑を覆い殺すために球形を成していたそれに、致命の亀裂線が駆け巡る。

 ばしゃああああああっ!

 次の瞬間、内部から爆ぜるかのように、臓物と血潮を炸裂させるかのごとき凄惨さと共に、海が崩壊した。

 黒液は蒸気の中で一握いちあく一滴いってきに至るまで沸騰し力を失い、元なる姿――むせび泣く亡者の涙と変じて地に降り注ぐ。

 その只中で、

 ――どっっっっっ!!

 背部の穿穴より吸気、そして干渉。

 塵芥から取り出した力量を推進力に変換し、上方へ向けて急速離陸、瞬間加速。

 行く手をはばむは、演者を永遠に舞台上へ留めおかんと再生成された不可視の障壁。

《(――舞台これは、世界だ)》

 舞台を具現化することに特化した真理。

 真理それは“そういうものだ”と使い手が確信した摂理……世界の在り方そのものだ。

 男にとって、世界とは舞台なのだ。そこには悲劇があり、悲劇を呑んで肥える力があり、すべてを統べる音色の響き、すなわち秩序ハーモニーがある。

 そうであるなら、この壁とはだ。調和ハーモニー、その崇高を解するものとそうでないものを隔てることで、音色の価値を、ひいてはそれを指揮演奏するものの価値を維持する判断機構だ。

 それゆえ、がこれを壊す。“こんなものに価値はない”と鼻で笑う思考こそが、この空想をばらばらにする。

 腕を引き絞る。舞い散る亡者の涙を――当の男がわらった無価値のひとしずくを変換する。

 がっしゃあああっ!

 肘の穿穴から推力を放出。くいのごとく撃ち出された拳が、小世界の壁を永久に打ち砕く。

 男のちっぽけな傲慢さ、塵芥にもし得ない些末なプライド、そして怒りごと。

《まっ、待てっ! 従おうっ!! 貴様の“願い”に従おうっ!》

 葬送者を僭称せんしょうする男がうろたえ、声を張り上げる。

《わかるだろう、今は絶好の機であるっ! 世界を貴様の望むように書き換えられる儀があと少しで整うのだっ! 我を殺せばその機会は失われるぞっ! いいのかっ!?》

 直衛佑は止まらない。大気をき鳴らしながら、次の一撃を構えながら、男のふところを目掛けまたたく間に迫る。

 肉薄まではわずか寸秒――だから返事を聞かせてやるのに、わざわざ大きな声を出す必要はなかった。

《どんなふうに書き換えられたところで》

 ぎゅうううっ――、

《お前みたいなのが在り続ける世界が、救いになるわけないだろう》

 どっっっっっっ!!

 拳が存在の核を貫き、完膚なきまでに粉砕する。

 蹴り飛ばしながら腕を引き抜くと、壁面に叩きつけられた残骸は音を立ててめり込み、断末魔の名残に休符を吐き出して、跡形もなくこの世界から消滅した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る