7.天の日

7-1.白い庭で

 大きな天蓋のついた豪奢な寝台の上で、悠乃七彩は意識を取り戻した。

 シーツ、ベッドカバー、いずれも高級品で柔らかく、横たわるものを包み守るかのよう。その感触は寝所というよりも、赤子のための揺りかごをどこか思わせる。

 その所感をかたわらに、悠乃はほとんど反射的に自分の状態を確認した。傷は癒えていたが、消耗はいまだ深く身体の芯までを侵していた。気怠さを極大化したような動きづらさの中で意識を巡らせると、部屋の隅、扉の向こうから何かが砕ける音が断続的に聞こえてくる。

 ぱりんっ、がしゃんっ。ぱんっ、がたんっ。

 ぱんっ、りんっ。り、じゃり、じゃりっ――。

 陶器、ガラス。食器やインテリア、それくらいの大きさと脆さの何かが壊されている。

 混じって聞こえる身動きの音、声にならない悲鳴のような発音の断片。

 それらが想像させる光景は――。

「ごめんね。うるさくて」

 響いた声の発生源に目を向ける。仰木由祈がそこにいた。

 寝台から少し離れた、日の当たる小机に肘をつき、直衛佑の作ったオーナメントをじっと眺めている。

「時々ああやって荒れるんだな、私の母さん。家の空想を作ると必ずどっかに出てきて、で、ああなる。ないかな、消す方法」

 数秒の沈黙の後、悠乃は答える。

「……あなたがほんとうに消したいと思っているなら、もうそうなっているはず」

「――そっか」

 少し嬉しそうに笑うと、少女はオーナメントから視線を外し、向き直った。

「怪我は治しといた。キオクリツだっけ? そっちは私にはわからないからいじってないけど。見た感じ、死ぬほど具合悪いまではいってなさそうだね」

「…………。どうして、わたしをたすけたの」

 静かに問えば、返ってくるのは澄んだまなざしと、より深い笑み。

「トモダチだから。あと、恋敵コイガタキだから」

 そうなんでしょ? 悠乃ちゃんも。

 悠乃は瞳に万色をあらわにし、しばらくの間由祈を見つめていたが、ややあって得心したというようにまばたくと、灰晶のそれへと揺らぐ色彩を収めた。

「……そういうことなのね。あなたがいたから、わたしに出番がまわってきた。あなたに呼ばれたから、わたしはここにいる」

「どうもそうみたい」

 あっけらかんと答える由祈。

「まあなんで、サシで話しといた方がいいかなって。済ませときたい“お願い”もあるし」

 首から提げたオーナメントを振り子のように揺らしながら、由祈が言う。

「おねがい」

「うん。まあ、どっちかっていうと命令メイレイなんだけど。勝者の」

 今んとこ私が勝ち越してるじゃん、対戦。

「……さいごは佑のじゃまが入った。だからのーかうんと」

「勝ちは勝ちだって。あはは」

 まあいっか。じゃあお互い一個ずつ、交換ってことで。

 ジト目で食い下がる悠乃に破顔して、手を差し出す由祈。

「私が手伝うのはでいい?」

「ええ」

 うなずくと、指先から指先へ“頼み事”が渡る。そしてそれは由祈の空想で光の粒に変わると、音もなく部屋の外へと消えていく。

「……どう動くかなー、佑は。悠乃ちゃんはどう思う?」

 光の去った先、窓の外を見つめながら由祈がつぶやいた。

 同じ方へ目を向け、悠乃は答える。

「……たぶん、あなたといっしょのけつろん」

「かー。まあ、そうか。馬鹿だもんね、あいつ」

 真面目くさった無表情のうなずき、肯定。

「じゃ、今度は私の番ね。悠乃ちゃんがそう思ってるんなら、話は早いや」

 そう言うと、由祈は自分の“お願い”を語りはじめた。浮かべた表情は、現実の雑談の時となんら変わらない明るいもの。

 悠乃もまた、たわいない会話を紡ぐ時のようなおもてでそれを聞いた。

 お互いにこれが最後だとわかっているそのやり取りはしかし、そんなふうにして終わりまで、当たり前のように気さくに、そしてどこか楽しげな弾みすら含んで、交わされていった。


 §


 降り注ぐ白光びゃっこうが肌を焼く。

 直衛佑の礎である感覚を、感覚からなる世界を、染め抜き、焼き焦がす。

 それは一つの季節を作る。草木に過剰なほどの生気を与え、露出しているコンクリートを熱し、ひりつくほどの温度に仕立て、むせかえるほどの活発さで一帯を満たす。ある過去、過ぎ去った夏という記憶の中の小世界を、識域の中に実体化させる。

 見上げる空を高く切り抜く、病棟の内壁――それが四方を囲むことによって作り上げている、無機質な中庭。

 かつて事故後の時を過ごしたその場所で、俺は一人、目を覚ました。

 まぶたを持ち上げながら身を起こす。文字通り、とうの昔に感覚し慣れたその空間は、視覚で追って確かめるまでもなく、変わらぬ姿で俺を取り囲んでいる。

 変わったのは体格体積、伸びた背丈、それだけ。成長による少しの違和感が、かえって一帯の在りようを鮮明に知覚させる。

 記憶を裏打ちするその光景に、甦ったばかりの思い出が補強されていくのを感じた。

 立ち上がり息を吸うと、強烈な渇きの感触が胸を突いた。白く虚ろな陽射しにあぶられて、自分という存在の内側がすべて干上がってしまったかのよう。

 中庭の隅に水道が通っていることは覚えていた。けれど、

「(――それじゃ、だめなんだろうな)」

 胸を掴むように押さえる。

 思考に反応して、伏せた視線の先に状態表示ステータスが姿を見せる。

 原型記憶率の残量を表すゲージは半分を切り、主観に異常が生じはじめる“準支障イエロー”のゾーンへと差し掛かっている。

 が恐らくそうなのだ。己を忘れかかった魂、その内圧低下が引き起こす存在の苦しみ。

 回復の手段はごく限られる。少なくとも、この場で試みられる方法はほとんどない。

 呼吸を繰り返す。慣れようと努めながら渇きに向き合う内、ここに来る直前までのできごとが少しずつ思い出されてくる。

 葬送者。悠乃。由祈。記憶。衝動。約束。ためらい。――そして。

「…………」

 左手に握ったままのボイスレコーダーを握りしめる。

 その手ごたえが、すべてを“本当に起きたこと”……真実だと知らせてくる。

 空に目を向けると、曇天を裂いて幾条、眩く光る何かが空に伸びているのが目に入った。

 それは流星の群れだった。昼の陽射しの中でなおはっきりとまたたく、疾駆する明星。

 尾を引く光の色彩には覚えと、そして馴染みがある。

 由祈。あれは、あいつの空想だ。

『――対象空想の分析が完了しました。等級:EX。規模、強度、共に規格外です』

 俺の意思を汲んで作動したコギトの声が告げる。

「あれが落ちたらどうなる?」

『落着した地点を中心に甚大な破壊が発生し、近接するすべての識域へと波及します。生じた被害は現実の法則整合性にも影響を及ぼし、結果、著しい改変作用をもたらすと考えられます。この改変には物理法則の乱れ、長期視野における惑星生態系バランスの変化が極めて高い確率で含まれます』

「つまり、俺たちにとっての世界が終わる、ってことでいいか」

『はい。なお、落着予定時刻は約一時間後と考えられます。これを取り除くには、空想の発生源である逸路の殺処理が最適解になると考えられます』

 機械音声は淡々と答えた。

 “もうちょっと考えまとめたら、私のとこ来てよ。それで改めて、答え聞かせて”

 “私を殺すか、私に殺されるか”

 去り際の言葉が脳裏にひるがえる。

 ――由祈は、本気だ。

 本気でこの世界を壊そうとしている。跡形もなく葬ってしまおうとしている。

 自分自身の命を賭けて、直衛佑がためらった破壊を、“願い”の成就を、代わりに地上へもたらそうとしている。

 円卓の増援は恐らく間に合わない。“全知の欠片”が情報を与えているなら、余計な邪魔が入るすきをきっと由祈は作らない。すべてを読みきった上で刻限リミットは設定されている。

 だから、もし、世界を壊さないなら――今の世界を維持しようとするなら、俺が殺さなければならないのだ。

 仰木由祈を。人を救う眩しさに溢れた星を。俺の、世界にたった一人しかいない、大切な幼なじみを。

「…………」

 渇きを煽り立てる陽射しの下、手の中のボイスレコーダーの感触を確かめる。

 誰もいない庭を行き、無人のベンチに腰を降ろし、イヤホンを耳にす。

 電源を入れ、記録データの一覧を呼び出す。

 日時が刻まれているだけの無機質なファイル名が並ぶ中をスクロールし、あるだろうと踏んでいた目的のファイルを探し当て、再生ボタンを押し込む。

 一瞬の間を置いて画面が切り替わり、再生が始まる。

 秒数表示の上、少し大きなフォントで改めて表示されたデータタイトルには、短くこう書かれていた。

『佑へ』

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