5-3.全知の欠片
再生が終わる。心を染め抜かれるような回想が過ぎ、意識が現在へと差し戻される。
“願い”と共に生き延び、身勝手の代償すら修繕されつつある直衛佑の身体に、原体験を知った精神が帰ってくる。
「――逸路にも“
ぽつりと、つぶやくように悠乃が言う。
その手のひらの上では、打ち砕かれたような断面を見せる、幾つかの鉱物片らしきものが淡い光を放っていた。
一目見ただけで、ひとかたならない由来を持つものだとわかった。元はもっと大きな、恐らくは一握りほどの塊として、形を有していたのだろう。その存在、体積の大半が失われて、無惨な残骸と化した今も、その光はある種の眩しさを内包している。
外見は無機物のようなのに、どうしてか、それとは反対の印象を強く抱いた。
有機物――
「覚徒と逸路、人間と怪物。その違いを成す要素は、ひとつだけ。“これ”に出会い、そして受け入れているか、否か」
見慣れない枠にふちどられた《
「
「逸路の死体から回収できるこの物体は、叶いえない“願い”を持ったものの前にだけあらわれる一種の奇跡、その残滓だと仮定されている」
手のひらの上で、
「これを取り込んだものは、現実を基礎とする本来の在り方、その輪郭を失い、代わりに、“願い”の成就に必要な知識と力を手にする」
敵は、障害は誰か。それらはどう処せば取り除きうるか。
道は、成就へと至る過程にはどのようなものがありうるか。どんな力があればそのプロセスを踏破することができるか。
“それ”は必要とされる全てへの端緒を与え、空想の余地を生じさせる。摂取者の生まれ持った在りよう、その保証の取り上げを代償として。
「輪郭の消失は、原型記憶の不可逆な変質というかたちで問題化する。逸路となったものは、“自分が何者であったか”という記憶を、かつての同族を捕食することでしか維持できなくなる。ままならない身の
全ての個体が持つ力には限りがある。際限のない寿命、限界のない力を持ちうるのは、法則が定めた個の形を捨てた
全知の欠片は、“願い”に及ばぬ個がそれになるためのパスポートとして機能する。しかしそのはたらきには欠陥がある。
単純に、思い出せなくなるのだ。己が何ができず、何が不自由だったために“願い”を持ったのか、その感覚を取り落としてしまう。
理由を忘れた果てにあるのは“願い”それ自体の忘却、喪失。
だから求める。ヒトであったならば、法則の下で生きるヒトの心を。心が蓄えた、色鮮やかな感覚からなるままならなさの記憶、その追体験を。
“逸路は人間を捕食する”とはつまり、そういうことだ。
そして、ならば。“願い”のために、逸路を狩る、とは――。
「すべての逸路は、
はっきりと、自分の存在がぐらつくのを感じた。
“あなたが殺した”――その事実が持つ本当の意味を、今こそ理解させられたから。
俺が潰したのだ。叶わないと知ってなお諦めきれず、他の全てを捨ててまで成就を切望した人間らしさを、俺が。真っ当な、憧れる人たちのようになろうとして、それそのものであるような人たちを、その思いごと、踏みつけにした。
知らなかった、なんて言い訳は通らない。だって、俺はわかっていた。
存在は壊れる。全てのものには限りがあって、足りないものは奪うことでしか手にできない。勝ちを求めれば誰かが負けを押しつけられる。
それが嫌だから、直衛佑は欲しがることをやめたんじゃなかったのか。
世界は変わらない。世界に生きる俺たちが“どうでもいい”ものであることは変わらない。
憧れという言葉で欲望を美化して、俺は自分を正当化して、救われようとしたのだ。
そんなこと、していいような
「…………」
悠乃が灰晶の目を俺に向ける。揺れる瞳の奥の感情がどんなものであるのか、俺には察せられない。
いずれにせよ、少しの沈黙を挟んで、悠乃は言った。
「……諦められなければならない“願い”は、ある。すくなくともわたしは、そう思っている。だから、わたしは担える」
殺しを、制圧を。ある眩しさを生かすために別の眩しさを潰す、身勝手な狩猟、刈り取りを。
「この先の未来で、わたしがその選択のために殺されるとしても、わたしはそれを悔やまない。自分の死、“願い”の挫折という結果をうけいれることも、わたしのせきにんのひとつだもの」
だから、わたしにまかせて。わたしにそれを任せることを、あなたは気にやまないで。
「この先も、わたしが、わたしの選択の名において、あなたたちをまもるから」
静かに悠乃が立ち上がる。全身を覆う黒衣――死神、処刑人のたぐいであることを自認する
「……待ってくれ」
絞り出すように呼ぶ。銀髪の少女の足が止まる。
「なに」
背を向けたまま返されたのは、抑揚の薄い、情を感じさせない問い。
「…………」
その冷たさ――冷たさを装った優しさを前にして、少しだけためらう。
けれど、口にする。
「もし、……もし、お前が本当に、死ぬことを受け入れてるんだとしても。俺は、お前がそういう目に遭うのを、受け入れたくないよ」
お前がお前の“願い”を叶えたいなら、お前自身のことも、大事にしてくれ。
「……そう」
よく、おぼえておく。
短くそう言い残して、悠乃は新たに作り出したドアノブに手をかける。
「次に動くまで、できるかぎり、あなたの修繕をつづける。わたしがもどるまで、ちゃんとやすんでおいて」
扉が閉まり、辺りには静寂が訪れる。
一人残された俺は、言いつけに従うために強いて目を閉じる。枕に頭を預けると、感覚を占めるのはかすかな機械の駆動音と、全身を走る痺れの感触ばかりとなる。
「(……俺は……)」
俺は、どうすればいい?
自分に向けて胸の内で発した問いに、もちろん答えは返らない。
身体の力を抜くと、“応急処置”では癒やしきれない戦闘の消耗がすぐに意識をのみ込む。
少しでも早く十全な状態へ戻ろうとする、
§
照明が落とされ、居並ぶモニターの出力だけが光源の機能をなす室内。
そこへ踏み入り、後ろ手でゆっくりと、しかし間違いがないよう注意して扉を閉めきると、少女は細く息を吐いた。
同時、小柄なその身体が力を失い、倒れ込むような頼りなさで扉に背をぶつける。
その場でくずおれてしまわず、体重を預けるだけに留まったのは矜持ゆえ。天井を仰ぎ目を閉じた横顔には消耗の色が覗いている。
一度、時間をかけて呼吸する。その間、白く細い指は黒衣の内に隠れた二つのよすが、小立方とガラス玉をすがるように握っている。
やがて動悸が収まり、薄く開かれた灰晶の目に意思の光が戻る頃、いたわるような声が彼女に向けて発された。
『勘付かれてしまったね。君の体運びににじんだ、わずかなぎこちなさを見てとったか』
声の発生源――モニター前で器用に機器を操作する小動物、その首元の水晶玉。
「……確信はしていないはず。まだ」
息を浅く吸って、少女が答えた。
「感覚の大部分が抑制された状態で、わたしの不具合をかんぺきに見抜けたとはかんがえられない。機会がなければ、うたがいはうたがいのまま」
『あるいは発覚したとして、割り込む余地を与えなければ……か』
汚れ役を買って出てまで彼に真実を伝えたのは、土壇場で彼が迷うことを期待したからというわけだ。
小さな手でキーボードを叩きながら、小動物が思案顔で言う。
『そこまでしてでも、彼を戦わせたくないのだね。自分が力尽きて消えるその瞬間まで、彼に無傷でいてほしいのか』
「犠牲が“預言”されている以上、それが最善手なのはわかりきっているもの」
『…………』
モニターの一つに向けられた視線が、既に何度も見たその文言を確かめるように辿る。
“一つ消え、一つ浮かぶ”
『君の介入の結果を預言する言葉。一人の死と引き換えに、一人が生きながらえる』
少年には伝えられていない、預言の本当の意味。無慈悲で残酷、しかしそれゆえに公正な、ある変転の余地を語る簡潔な素描。
運命はしばしば交換を要求する。未来に別の分岐を辿らせるための選択肢は、実のところそう多くはない。死すべき定めの存在があれば、それを救う手立てには往々にして代理の用立てが含まれる。
「負荷が一人に集中すれば、犠牲の運命は自然とその一点へ集約される」
わたしがそうなれば、誰かは死なずに済む。彼にとってかけがえがない誰か――あるいは彼自身が有する死の運命を、取り除いてやることができる。
少年の善性を、少女は知っている。降りかかる災厄を払うことができれば、彼は己の力だけで幸福に至れる。少女が願った通りの未来に、きっとたどり着いてくれる。
だから。
「わたしはぜんぶをやる。できることは、ぜんぶ。たとえのぞまれなくても、一時の傷になるとしても。そう決めたからこそ、わたしはここにいる」
『そしてそのゆえに、潰せる懸念は潰しておきたい……か』
わかったよ、我が娘。
言いながら、小動物はモニターの一つを操作し、分析画面を開いてみせる。
『あの場で何が起きたか。状況証拠から空想規模を算出し、可能性を絞った。おおむね危惧した通りの答えが出たよ。たった一撃であれだけの破壊をもたらすことは、今の彼のままでは不可能だ。効率をつかさどる要素……例えば、
「――《
ぽつりと少女がつぶやく。小動物の頷きが返る。
『君が彼について先の方針を貫くつもりなら、危険は少ないかもしれない。だが最初に言った通り、君の“願い”が叶う可能性は高くない。これはその具体的な現れと言っていいだろう。予測を超える事態の発生も考慮しておくべきだ』
「……うん」
頷く少女の横顔を、育て親である男は静かに見上げる。
『――僕らも少し休むとしよう。肝心な場面で思ったように動けなければ、運命の選択はままならない』
勧めに従い、小動物を肩に乗せ、少女はベッドへと向かう。
モニターが消え、完全な暗闇が訪れる直前、灰晶の瞳がもう一度だけその文面を見やる。
“一つ消え、一つ浮かぶ”
「(……たとえ、のぞんだとおりの未来がおとずれなくても)」
それでも、わたしは。
決意が胸の奥で熱を放つ。目を覚ませばその先、もはや確かめる間もないかもしれないその暖かさを抱きしめながら、悠乃七彩は最後の休息へと、静かにその身を浸した。
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