4-1(-2).プリズム

 わたしの名前には、由来がある。

 祝福とも祈りとも違う、由来。贈られたものではなく、自分でそうと定めた、記憶が。

 それとむすびつくまでは、ナナセという名前はたんなる記号、わたしとわたしでない誰かを区別するために他人が使う、響きの集まりにすぎなかった。

 わたしには親にあたるひとがいない。いわゆる、孤児。

 数は多くないけれど、識域にもそういう存在はいる。死や遺棄いきは識域でだって起こりうる。

 その中でもわたしは変わり種だった。

 わたしは“河”の生まれだった。

 “河”――またの名を、死者の河。

 現実に根付けなかった生命のかけらが識域に流れて、ひとつの脈をかたちづくったもの。

 そこからはたまに、出自のわからない存在が生まれる。わたしは、そのひとり。

 そして“河”の生まれには、ふつうとは違う特徴がまじることがある。

「わたしの、め」

 言いながら、悠乃は俺を見上げてきた。

「なにいろにみえる?」

 見つめ返すと、灰晶色プリズム・グレーの瞳は音もなく虹の精彩を帯びる。

 視覚にうとい俺でも、その美しさはわかる。呼吸、意識、鼓動の揺らぎにあわせ有り様をたえまなく変えながら、しかし調和だけは失うことがないまたたき、無縫むほうの万色。

 しかし、悠乃は淡々とした口調でぐ。

「これは、識域でもと見なされるもの。ってはいけない、ふきつのひとみ」

 まばたきと共に色彩を収めると、どうしてかわかるか、と問うように首がかしぐ。

 はじめて“瞳”に向き合った時のことを思い出すと、答えはすぐに弾き出された。

 感情が言葉にすることをためらわせ、言葉とはならなかったが、細かな機微きびも文字通り見て取る悠乃には、それで十分伝わったようだ。

 銀の髪の少女は小さくうなずいて、俺の推測を肯定する。

「“万象の瞳ヴィジョン”。わたしの視覚は、空想があふれる識域にあって、あらゆる存在ものの“ほんとう”をあばる」

 実物にあっては正体を、虚物にあっては“お前など本当はいない”という真実を。

 空想で全てを成り立たせている識域の存在にとって、それは致命的な一瞥だ。

『感覚すること――“そうでしかない”と五感で認識することは、それ自体強力な空想として作用する。しかし感覚こそは、知性体にとって最も制御が難しい情報処理行動だ』

 ぽつりと預言者が口にする。

「小さいころのわたしはそれをコントロールできなかった。だから、

 名前は記号。音の響き。かなめの感覚をふさがれていたわたしに、実感リアリティのない世界、わたし以外のひとには感覚されている摂理せかいを押しつけてくるもの。

 ものごころついてからも、記憶はあってないようなものだった。あのころ認識したことのほとんどはくらやみと紐付いている。

 わたしはそれに適応することができなかった。だからわたしは、逃げるようにして覚徒の道へところがりこんだ。

「それでも楽にはならなかった。“瞳”は打ち消す空想をえらべない。いつ死を告げてくるかしれない味方とくみたがる人間はいない」

 識域を離れ、現実に降りた時だけ、おおいをはずすことを許された。

 視覚で感じる世界はひたすら眩しかった。そこはもちろんわたしのいていい場所ではなくて、いるべきくらやみの息苦しさを育てるだけの残酷な天国だった。

 だから、わたしは世界をうらんだ。うらやんだ分だけ、うらんだ。

 居場所のない世界をきらった。りたいと思えない自分の不出来を、感覚を、きらった。

「――でも、わたしは。そのひとにった」

 わたしと同じくらいのとしごろ、子ども。

 へんてつのない、当然のように眩しい、現実にいきている男の子。

「そのひとはわたしを、自分の世界にいれてくれた。たいせつな思い出のひとつに、かぞえてくれた。自分のたいせつなものを切り分けて、どこともしれない場所へ消えてしまうわたしのめをみて、名前をよんで……。わたしをずっとおぼえている、と言ってくれた」

「……それは」

 悠乃七彩がうなずく。灰晶の目がたたえる柔らかななぎが、結末を惜しんでいるわけではないのだ、と答える。

「“いていい”といわれたこと、それがわたしの原体験オリジン。わたしは真理を得て、眩しい世界をるすべを身につけた」

 《あまねくは屈さぬすべを持つアダマス》。その力は悠乃七彩という意志持つ存在をも対象に含める。抗う、思考と連想の機能を強化することで一切の視覚情報を制御、た世界を己の心に留め、扱える存在とする。

 攻撃行動の対極。確かと感じた真実を、他の存在に強制しない存在になること。それをもって“屈しない”。

 己をそのようなものと定義することで、悠乃は眼をりっすることに成功したのだ。

「わたしはいま、いきている。とてもしあわせに、世界のなかに存在している」

 虹の瞳を秘めた少女が言った。

「だからわたしは、このまぶしさをくれたひとが、わたしよりも、わたしが死んだあともしあわせであることを、願うの」

「悠乃……」

 結ばれた言葉越しに、悠乃という存在の芯に触れた、と思った。

 そこには脈があり、鼓動があり、暖かな血流がかよっていた。感覚することをためらうような生の熱の手触りがあった。

 それはたった今、悠乃が語った通りのものだった。悠乃は、かつて自分が外側からあおいでいたという、生きた眩しさの中にいた。

 由祈の光と、それは似ているけれど、違う。あいつのまばゆさを道しるべと呼ぶなら、悠乃の熱は昼のを受けとめてとどめた結晶粒プリズムのようだった。

 ふと、いつかの悠乃と同じような思いが湧く。俺はこんなひとと同じ場所にいていいのだろうかと。

 その疑念を灰晶の眼差しが打ち消す。いいのだと声もなく告げていく。

 それは一つの救いだった。自分が真っ当だと一瞬でも誤認できる優しい解答だった。

「いいはなしをしたので対価をもとめる。しはらいめいれい」

「お前なあ」

 おかげでどのくらいぶりかわからないような笑いが漏れる。

 コギト、と声をかけて空想を起動、《携帯収納インベントリ》に預けていた代物を一つ取り出し、渡す。ちょうど、おあつらえ向きのものがあったのだ。

 それを見た悠乃の目が、驚いたように揺れる。

「……これ」

「元からあげるつもりだったものだけど、一品物いっぴんものってとこに免じて、許してくれ」

 形のいい手のひらの上で光っているのは、球形、ハンドメイドのガラス製オーナメントだった。内部には幾重に層をなしたひび割れが散っていて、それが降る明かりを屈折させ、澄んだ七色模様を描き出している。

 ……といっても、世間で値が付くようなものではまったくない。どちらかというと、小学生の図画工作の産物として目にするような物体だ。

 材料はビー玉一つに座金ざがねひも、接着剤代わりにもなる透明樹脂レジン。火でビー玉全体を熱してから水冷してひび入れ、全体を樹脂で補強し、座金と紐を付ければ出来上がり。慣れていればさして時間も手間もかからない。

 きっかけは夏祭りだ。合流して帰ろうという時に「締めの一杯」と買い付けられ、捨てる場所もなく俺が持ち帰ることになったラムネの空き瓶。きっちり人数分、ふたの内側で光っているガラス玉の粒を見て考えついた。

「縁を深めるのが重要だ、って言ってただろ。何かできないかと思って」

 些細な代物だけれど、思い出に形があると感覚にも情報が残り、忘れにくくなる。……“普通は捨てられるのが当たり前”なものを使えば“なかったこと”にはならないのではないか、と考えたのも理由の一つだが、そういうのは言わぬが花だ。

『器用なものだねえ。よくできてるよ』

 悠乃の肩に登った預言者が鼻をひくつかせながら品評する。

 一方の悠乃はというと、

「われそう」

 と、ばっさり。

「たたかう、おとす、ふむ、ひっかける。えりーとな日常は危険がいっぱい。あいどるも割れものの怪我はごはっと」

「む」

 正論ではある。樹脂と大きめの座金で強度を上げてはあるが、ひびが生じている分、無傷の状態より割れやすくなっているのはそれはそうだ。普通に扱うだけならまず大丈夫だろうが、悠乃や由祈の行動力をもってすれば危険ということもあるかもしれない。甘かった。

 疲れで判断が鈍っていたか、と反省していると、しかし「でも」と再び小さな唇が動いた。

「心がこもっているから、いい。はなまる。ひゃくまんねん後でも壊れないように、保護する」

「百万年て」

 また雑な規模の話を、と思うが、悠乃は大真面目のようだ。

「えりーと嘘つかない。ざこに足が生えたよわさの佑にはわからない」

「いちおう成長した扱いになってるのが現在地を正確に表しに来ててつらいな」

 そこの預言者先生、味わい深い顔であおらないで下さい。

 にゅるにゅる舞う預言者を追いかける俺の脇で、たたずむ悠乃が小さく何かをつぶやいた気がした。

「“かわらないもの”をもらえた気持ちは、わからない」

 そう聞こえたように思ったが、意味するところはつかめなかった。

 俺がそれを理解するのは、今のこのひとときの平穏から遠く離れた、別の地点での出来事になる。

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