4.眩しい世界は残酷だから

4-1(-1).だいじなひと

 どきゅっ!

 空想が形を結ぶと同時、足下で崩壊が発生。生じた反動が利き足の踏み切りを強化し、十五メートルは離れている鍾乳洞しょうにゅうどうの天井部めがけ、俺を勢いよく打ち上げる。

 間合いを詰める接近動作と、放たれた攻撃の射線外に出る回避とを兼ねた立体機動。

 鼻先数センチの位置をかすめて過ぎた岩つぶての散弾を尻目に、俺は天地を逆にした姿勢で上部壁面へ着地。岩肌は水気をまとって濡れているが、コギト経由で起こした“摩擦制御ブレーキコントロール”の空想が未だに効果を発揮し、張り付きと次の跳躍のための十分な摩擦を確保してくれている。

 ぎゅいっ!

 反響する幾重もの震動を感覚で選り分け、薄暗い空間内の各存在の位置関係を確認。斜め前方への急降下、側壁を使った迂回変速で照準に揺さぶりをかけてから、懐をえぐるような鋭角軌道を刻み、一撃。撃破目標――敵対者を模した空想発生装置へと“ぐらつき”を打ち込んだ。

 ばぎゃっ!

『よーし、そこまで』

 ぴー、と小動物サイズのホイッスルがゆるく吹き鳴らされると、設定されていた環境空想が消滅。ワイヤーフレームに似た光の線と正方形パネルで構成された、味気ない訓練用識域の光景が戻ってくる。

成績スコア表示を行います』

 臨戦の緊張、激しい稼働で噴き出た汗を拭いつつ、コギトが空中に出力した結果へと目を向ける。

所用時間タイムよし、被弾率ダメージよし、追加目標サブターゲットのクリア状況もよし。カンペキだねえ』

「……残りの一項目さえまともなら、ですか」

『うん! いやあ、何ともひどいもんだ』

 成績画面を見上げ、はっはっは、と笑う預言者。いたって気楽な風情だけれど、俺はまったく笑う気にはなれない。

 高評価を示す緑の文字列が多く並ぶ中、難あり、を意味する赤で表示されている項目が一つ。

 もう嫌になるほど見たので、読み方もすっかり覚えてしまった。

原型記憶率げんけいきおくりつ、メモリレート、の、消費量。使い過ぎ、ですか」

『その通り。一言でいえば、“燃費がべらぼうに悪い”!』

 なかなか愉快だ、とでも言いたげに預言者がのたまう。

『何度も説明したから、いいかげん耳にタコができてるかもしれないが……原型記憶率とは己にまつわる認識情報の一式、識域における生命線だ。ゲームで例えるなら、』

「“体力HP気力MPとをセットにしたような代物”」

『うむ、そうだ。続きも言えるかい?』

「“傷を受けたり、空想を使ったりすると下がり、ゼロに近づく。ゼロになってしまうと、『自分とはどんな存在だったか』ということを完全に忘れてしまい、世界から消滅する”』

『はなまるをあげよう』

「いいです」

 出来が悪すぎて暗記に至ったことを褒められたい生徒はいない。

 何とも言えない気分で画面を操作し、記憶率消費についての詳細を確認する。予想通り、コギトを経由した空想はもちろん、真理を使った空想ですら、消費量の数値は赤色だらけだった。

 原体験の記憶がない俺にかかった能力制限。その具体的なあらわれというのがこれだった。

『原体験は“願い”と“真理”の大元おおもとだ。己の価値観を決定づけるような出来事、これに対する感情が“願い”を生み、その時味わった感覚、主観的体感が“真理”の基礎となる』

 とてん、と丸まるようにして腰を落ち着けると、預言者は器用に腕、もとい前脚を組んで俺の方を見る。

『性質上、原体験は“忘れようがない記憶”として生涯その存在につきまとうぐらいのものだ。それが何らかの理由で封鎖ロックされているとなると、まあ当然、真理の使い勝手は悪くなる。君の場合はそれがコストパフォーマンスという形で出てきているわけだ』

「今の数字だと、実戦ではどのくらい戦えそうですか」

 期待できそうにないと知りつつも、一応聞いてみる。

『もって数分、といったところか。相手の強さ次第では更に短く見積もる必要があるね。れる戦術は基本逃げ一択、みずから攻撃を仕掛けようものならもう後がない、ぐらいかな?』

 厳しすぎる。それじゃ本当に非常時の保険にもなれない。

『ちょっと動くとすぐ息切れ、ほっといても窒息して自滅するような状態だからねえ。訓練用識域ここは記憶率の消耗こそないが、使用感自体は実戦のそれと変わらないよう調整されている。“効率の悪さ”、君も感じているだろう?』

 言われ、熱を持ったままの自分の掌を見やる。

 確かにそういう感触はある。抵抗感というか……。走りランで例えるなら、スタート直後の急加速のきつさがずっと続いているような具合だ。何をやっても速度が乗らない、見えないブレーキを全身に押しつけられているかのよう。

 空想を使い慣れるまではわからなかったが、気付いてからはとにかく万事にさわっている。これさえ取り除ければ全てがになるだろうと確かに思える。

「どうにかする方法はないんですか?」

『ないねえ』

 返事はにべもない。

 記憶を取り戻す、という正攻法を避けた、一種のについて聞いているわけだから、それは当たり前の返答といえた。限界を認めて、その範囲でやれることを考えるべきなのだろう。

 でもどうしてか、諦める気になれなかった。

「…………」

 掌を見つめ、考える。……何となくだけれど、“方法はある”という気がする。

 というか、知っている。既にわかっていて、見て見ぬふりをしている。――そんな体感が厳然としてあることに不意に気が付く。

『……直衛くん?』

 預言者が、探るような気配をかすかににじませて俺を呼んだ。

 顔をあげて応えようとしたが、妙な抵抗を感じてできなかった。掴みかけている“何か”から意識をそらしたくないのだ、とわかった時には数秒が過ぎている。

『直衛くん――』

 預言者がなおも俺を呼ぶ。その声は切迫の色を帯びている。

 どうしてだろう? “これ”はそんなに悪いものなのだろうか?

 答えを知りたい、と感じる。それは必要なことだとも。

 いつしかぼやけ始めていた思考が警鐘を鳴らす。それをどこか他人事のように聞きながら、俺は胸の奥、自分の底にある“何か”に向けて、そっと意識の指先を――。

「――すきあり」

「え?」

 がしっ。

 超至近、物理的な意味ですぐそばから聞こえた声に連動して、背を悪寒が走り抜けた。

「きょりをちぢめるにはスキンシップもだいじ。れっつどきどき、さぶみっしょん」

 みしいっ!

「~~~~っ!?」

 次瞬、本能の警告を微塵も裏切らない強烈な関節技サブミッションがきた。

 武の練成に血道を上げる本職、修羅たちも満面の笑顔になりそうな、一分の隙もないパーフェクト足首固めアンクルホールドだ。

 こぼれたきめ細やかな銀の長髪が頬をこすり、いつの間にか天を仰いでいた視界にさらりと揺れる。灰晶の瞳と目が合う。悠乃だ。

 みしみしみしみしみぎっ。

 いや、やばい。これは本当にやばい。識域だから治せるとかごまかせるとかそういうレベルじゃない。

 訓練とは別種の汗が壮絶に噴き出るのを感じながら、言葉もなく“降参”の床叩きタップをする。が、めが解かれる気配は一切ない。

「かれしになる?」

 こてんと首を傾げた悠乃が不意に問うてくる。

 ならないなれない無理無理無理無理。というかこの状況でそれを聞かれる理由がまったくわからず、恐怖しか湧かない。

「ざんねん。ではここから十秒きーぷ」

「~~~~~~~~!!」

 ストレッチかよ待っていや待たないでいてストップでででででででで。

 以上の内容を気持ちの上では必死に叫んでいたつもりだったが、後で聞いたところによると『いや、あんまりにもバッチリまりすぎてほどの声も出てなかったよ』とのことだった。

 人間、本当に追い詰められている時は静かに死ぬらしい。一生使いみちのなさそうな、というか使う場面がこないでほしい知識を骨身に刻み込まれて、長すぎる十秒間は終了した。技を食らうまでそばにあった感覚は当然あとかたもなく吹っ飛んで、そのまま二度と戻っては来なかった。


 §


「さしいれを持ってきた。よわよわの佑はつつしんで感謝をのべるといい」

「ありがとうございます……」

 でーん。と強調線が入りそうな無表情で威厳を見せる上官殿に、俺はトラウマの抜けきらないぐったり姿勢で返事をする。

 差し入れというのは何とも値の張りそうなフルーツサンドであった。どっさり挟まれたみずみずしい果物からはビタミンその他がたっぷり摂取できることだろう。このところの疲労回復にもってこいだ。

「小枝さんか」

「すたじおに行ったらくれた」

 僕にもおくれよう、と飛びつく預言者を素早い動きで翻弄ほんろう、サンドを器用に防御しつつ悠乃がうなずく。

「ライブ本番まであとすこし。ちゃんとやすんでしっかりがんばり、応援がわりのふんぱつおやつ。といってた」

「あいかわらずの行き届きっぷりだな……」

 救いの手が千本あるという観音かんのんさま級の徳である。いつも一番きつい位置にいながら周りまでも気遣い、なおかつ倒れたりミスしたりを一切やらない無敵のサポーターが小枝さんなのだ。

 そんな人に隠れて休息時間に訓練をやっているというのはちょっと気が引ける。事情があるとはいえ……。

 が、悠乃の言った通り、刻限の日まではもう三日を切っている。たとえほんの少しの上達しか見込めないとしても、とてもじっとしていられない。

「捜査の方はうまく行ってるのか?」

「当たりはまだ。でも、外堀は埋めた」

 フルーツサンドをぱくつきながら、定例になってきた情報共有を進める。

「網ははりおえた。費用対効果コストパフォーマンス確率戦略リスクヘッジの観点からいって、敵はLuminaの三人かマネージャーの誰かをねらってくるはず」

 空中に展開された立体映像ホログラフが調査の進捗を映し出す。かつては灰色だった捜査対象者を表すアイコンは、今ではほぼ全てが“問題なし”を表す緑色に変化している。

 由祈たちと縁が薄い人間も含め、総ざらえで関係者の素行調査を行う。無実シロとわかった相手にはそのまま護衛を付け、襲撃の難易度を引き上げる形で疑似的な安全を付与。襲うメリットに対するリスクが釣り合わないよう仕立て、相手側の選択肢を狭めていく。それが悠乃の立てた対策方針だった。

 今回の報告は、人海戦術で進めてきたその対策が無事に完成したことを意味している。

 それは無論、喜ばしい知らせだ。けれど、

「――結局、“狼”ってやつは出てこなかったな」

 気になっていたことを口にすると、こくり、と静かに悠乃がうなずいた。

「逸路による被害じたいは何件か見つかった。でも、由祈のプライベートな動きまで掴める立場の人間は犠牲者の中には確認できなかった。予定通り、待つしかない」

 苦い思いが込み上げる。

 “狼”――敵方にこちらの情報を流している間諜スパイ。どこかにいるはずの“それ”を見つけられなかったとなると、状況はイーブンだ。相手が採ってくる手をこちらは予測できるが、仕掛けてくることそれ自体を防ぐことはできない。

 それはつまり、あの四人の内の誰かが、そして由祈が、一度は命の危険に晒されうる、ということを意味していた。

『まあ、そこまで悲観したものでもないさ』

 ぽん、と小さな手が俺の足を叩く。

『後手に回ることは避けられないが、即座に対応できる状態が整えられているのもまた事実だ。僕のる未来がまだこれと定まっていないのが、その証拠だよ』

「……そうですね」

 うなずいて答える。

 指導者として俺を教えるかたわらで、預言者はいくつかの助言を悠乃に寄せていた。

 それは小さな預言だったり、視た“条件”を前提に導いたちょっとした推理や意見だったりしたが、いずれも効果は覿面てきめんだった。多くの容疑者を短期間で調べきれたのは、この助けによるところも大きいはずだ。

『これだけ準備を充実させられることもそうはないんだぜ。がんばった七彩を“えらい!”と褒めてあげたっていいくらいだ』

 その預言者がこういうのである。であるなら、状況は間違いなく最善に近いのだろう。

「ごめん、悠乃。後ろ向きに言いすぎた」

「いい。佑のたちばなら、そう感じてとうぜんだから」

 気にしていない、と静かに首を振るその応答に、俺は何度目かになるはがねの感触を覚えた。

 人のそばに在って、人を支え、時には無二の守りとしても働くのに、自分自身は単体で完結して、何も見返りを求めない。頑健で強力、親しく近しく寄り添ってくれる、練成を経た鋼。

 鍛錬された信仰者にも似たその在り方は、どこから生まれたのだろう?

 ふとそんな疑問が湧いて、俺は尋ねた。

「……悠乃は、どうしてここまでしてくれるんだ?」

「どういうこと」

 小首を傾げた拍子、さらり、と銀の長髪がこぼれて、光の下に揺れる。

「仕事、報酬があってやってるってことは聞いたけど。でも、甲斐がなさすぎる、って感じたりしないのか? 事件が無事に片づいたら、悠乃たちの仕事はなかったことになるんだろ」

 現実の“上書き”を拒否せず受け止め、反映することをもって耐久存続する、この世界の柔軟性。それはでもあるのだと、座学で預言者から教わっていた。

 柔らかなゴムボールが元の形に戻ろうとする力をも有しているように、現実は多少の異常エラーなら“なかったこと”にして在り方の整合性を保つ性質を持っている。悠乃たち覚徒の出番があるのは、どんな“上書き”がなされても復元力だけは維持されるから――元凶が一線を越えきる前に事件を解決すれば、全てがになるからなのだと。

 元通りとは、つまりということだ。逸路の暴走を止めるために行われた全てのことを、誰もが忘れる。……今こうやって向き合い、話している俺でさえも。

 たとえ仕事と割り切っていたとしても、それは、ひどくむなしい経験ではないだろうか。

 それでも悠乃は力を尽くすことにためらいを見せない。その理由を知りたくなったのだ。

「…………」

 珍しく、悠乃は即答せずに、少し黙った。

 拒否のための沈黙ではないようだった。正しく問いに答えるために言葉を選ぶ、そのための間であるようだった。

 数秒。はたして唇が動き、理由を口にした。

「だいじなひとが、この現実にいきているから。そのひとに、しあわせに一生をまっとうしてほしいと思っているから。……そのひとが良く生きられる世界を守ることが、わたしの“願い”だから」

 告げながら、白い手が、胸元にがった金属の小立方体を包むように握りしめる。灰晶の瞳は、遠い昔の忘れ得ない景色を振り返るように細められる。

 聞くべきでないことを聞いてしまったのかもしれない、という思いが一瞬胸をよぎった。感情表現の乏しい悠乃のおもてに、束の間、何かをこらえるような気配がにじんだからだ。

 けれどそれはすぐに消え、代わりに言葉が後を継いだ。

 いつもと変わらない平淡さで、けれどどこか優しい色を帯びた口調で、悠乃七彩は静かに、自分の原体験オリジンを語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る