3-4.思い出したなら

 ざく、ざく。

 遠い喧噪を背に、砂利を踏み進むスニーカーが音を鳴らす。

 植え込みで表から隔てられた石畳の小道を、俺は増えた背の荷物と共に歩いていく。

 祭り会場を満たしていた照明の数々はここまでは届かず、辺りは少し薄暗い。行く人も少なく、目的地への移動にせわしそうで、たまにすれ違ってもさして関心を向けられることもない。

 背負っているのが浴衣姿の少女だというせいもあるだろう。慣れないお洒落でちょっとした失敗、あり得ることだ。

 その少女というのが全国のお茶の間を賑わせているトップアイドルである、という実情は、普通にあり得なさ過ぎるが。

 あまりにあんまりな確率のため、ただ並んで歩くよりも気付かれにくくなってすらいそうである。

「結果オーライだな」

 周囲の様子――特に端末操作の気配に注意を払いながらも、安堵した俺が呟く。

 背中から返る声はドヤり気味。

「言ったでしょ。多分大丈夫だって」

「考えて喋ってたのか?」

 つっこむと「いや別に」とのうのうと仰るトップアイドル。だろうと思ったよ。

 一人の時より少し遅いぐらいのペースで、ゆるやかに歩く。急ぐとかえって目立つから、これが実質の最高速度。

「けど、意外だった」

 軽口が途切れたタイミングで、由祈がこぼす。

「何が」

「佑がおぶってくれたのが」

「ああ」

 ざく、ざく。

 刻まれていく足音に寄りかかるようなテンポで、言葉をやり取りする。

「いつもだったらやってくんないでしょ、どう言っても」

「まあな」

 何千人、何万人を相手にパフォーマンスするプロと違って、こちらの胆力は一般人並みだ。多くの人の仕事や生活そのものが託されているアイドル、そのキャリアをふいにしかねない暴挙スキャンダルを気軽に引き受ける心臓など、俺は持ち合わせていない。

「じゃあ、なんで?」

 代謝の早い肌から俺の背中へ、結構な量の熱を放ちながら、呟きがほうられる。

他人ヒトを傷つけるの嫌なのに、なんで今はそれ、やってくれてるの」

 意地の悪い聞き方をしてくる。

 つつかれた“共犯”の罪悪感を小さな溜息と共に吐き出してから、答える。

「そういう俺に、お前が頼んできたからに決まってるだろ」

 もしこいつが機微にうとく、関わった人たちへの影響や責任を解していないような人間だったなら、こんなことはしていない。

 こいつは全部をわかっている。俺よりも深くはっきりと、俺がその重さに気付くよりずっと前から、全てのことを理解し、背負い続けている。

 世間には知られていないけれど、仰木由祈は芸能のサラブレッドだ。

 父親は名の売れた劇作家、母親は早逝の名女優。結果主義の下、物心つく前からしつけを施され、現場の波にさらされ、望まれたあらゆるものになれるよう鍛えられてきた。

 そばでむちを振るう役だった母親が病で世を去っていなければ、小学校すらまともに通えていたか怪しい。そんな風に言って笑った横顔を見たのは、中学に上がったばかりの頃だ。

 片親となって以来、親父さんとは疎遠。俺も数えるほどしか会ったことがない。

 実の娘が今本来の住まいを離れていることも、たぶん親父さんは知らない。結果以外のこと、娘がどこでどう生きているかには関心がないのだ。

 両親のことをおぼろげにしか覚えていない俺でも、それがつらいことだというのはわかる。持って生まれたものは確かに多い。けれど、与えられなかったものも同じくらい多い。曲がったり歪んだりしたとして、それは誰かが責められるようなことじゃない。

 なのに、仰木由祈という人間は“真っ当”だ。何を押し隠したりもせず、真っ直ぐ、自らの意志で、望んだ道を歩んでいる。

 傷つかなかったわけでも、苦しまなかったわけでも、そのきつさから目をらせるほど鈍感でいられたわけでもないのに、乗り越えた。自分どころか他人すら救えるような明星みょうじょうへと己を育て上げ、しかるべき高みでまたたきを放つまでに至った。

 存在ものに価値がないこの空の下に、そういう生命ものが生きているという事実が、同じようにありたい多くの人をどれだけ支え、勇気づけていることだろう?

 そんなやつが「手を貸せ」と――俺のような、ただ付き合いが長いだけの真っ当じゃないぼんくらに、危険な片棒を引っかけさせてくれと頼んでいるのだ。

 断る理由はない。信条に反しかねなくとも、手伝ったせいでどういう目に遭うとしても、それくらいはどうってことない。

 だから、俺はさっきの返事に加えて、こう付け足す。

「望むとこだよ、何でも言え。聞くし、それがお前の役に立つなら、やるから」

 そばにいるだけで意味があるならそうする。話し相手、頼る相手に選んでくれるなら、いつだって付き合う。

 それがお前の――皆を助ける星の眩しさの足しになるなら。俺みたいなものでも、その力になれるのなら。

「……そっか」

「おう」

 やがて石畳の道が途切れ、足を止めた。幾つかの遊具が置かれた小さな広場。

 いわくここが、知る人ぞ知る秘密の観覧スポットであるらしい。

 確かにいいかもしれない、と思った。会場から大分離れてはいるものの、光源も少なく開けており、何より人がいない。女子だけで来るのは防犯上危険かもしれないが、そうでないなら花火を見るにはうってつけだ。

「ありがと。ぶっちゃけちょっとしんどかったから、助かった」

「過労か。お前にしちゃ珍しいな」

 気付かなかった。感覚に引っかかるような物理的な変調はなかったように思うから、してみると精神面の消耗、気疲れということになる。いよいよレアケースだ。

 ペース配分も仕事の内。基本的には小枝さんが担う領分ではあるものの、本人も危険な一線はわきまえていて近づかない。多忙を極めるトップアイドルとしての活動を何とか学業と両立出来ているのは、この辺の調整を二人がかりでやっているからだ。

「最近軽く人間やめるレベルで駆けずり回ってたからなー」

「倒れる前に周りに相談しろよ?」

 あーとかはいとか言いながら格好を直しているが、聞いているのかいないのか。

「お、始まった」

 器用にあげていた片足を戻し、由祈が顔を上げる。

 俺もならおうとして――しかし、出来ずに終わった。

 見計らったかのように、空に新たな光が咲いた。消えかけていた、浴衣に流れる花模様と涼しげな横顔が、暗がりの中に再び淡く照らし出された。

「よく見えるね。いいとこじゃん、かなり」

 呟いた口元には微笑み、視線の先には幾つもの華。次々現れては消える、一瞬の眩しさのまたたきが、澄んだ瞳に映し出されている。

 返事をするのも忘れていた。

 それくらい、目の前の光景に惹き付けられていた。

 星が空を背負っていた。夜空に満ちる光を浴びて、透き通るように綺麗に、咲いていた。

 胸の奥でやましい思いが不意に顔をもたげる。それで、自分が今までその感情をごまかしていたことに気付く。

 “足しになれればいい”

 そう感じているのは本当だ。

 でも、力になれさえすればそれだけでいい、というのは、嘘だ。

 星の輝きはだ。

 人は誰かとの関わりで磨かれる。得た縁の一つ一つを力に変えることで、星へと近づく。

 だから星は。ただ与えるのではなく、“これはあなたから受け取った、あなたの中にあった光だ”と、返ししらせる。自分独りでは完成しない、不完全でか細い存在ものだからこそ、それが出来て――ゆえに人は、太陽でも月でもなく星に、自らの“願い”を寄せる。

 だから、ある星の“足し”になりたいと思う、とは、つまり、そういうことだ。

 他では嫌だ。俺が俺として足しにならないのも、嫌だ。

 俺は、こいつを。こいつのことを――。

「――言ってよ」

 かけられた言葉に、我に返ると同時に不格好をさらしそうになった。

 心の中を読まれたような気がしたからだ。

「……省くなよ、主語」

 何のことかわからんだろ。

 いつの間にかこちらを見ていた幼馴染みに、辛うじてそう言い返しつつ、目を逸らす。

 けれどそうしたところで、感覚がさわる。光の下、すぐそばにそいつがいるという事実を、無視しようもない形で俺の意識に差し込んでくる。

格好カッコとかの話。悠乃ちゃんと、ひびきたちには言葉にして伝えてたでしょ。で、私にはまだ」

「……いつも言ってるだろ、ちゃんと」

 一言喋るだけでも落ち着かない。自分がいつも普段どうやってこいつに向かい合っているかが思い出せなくて、おかしくなっていないかを測れない。

 そのくせ、大事なところはいつも通りだ。親し過ぎて、わかり過ぎる。

「今日も“いつも”と一緒ですか、じゃあ」

 露骨な期待がこもったあおるような尋ね方に、かえって弱気と、痛手への準備の気配を見つけてしまう。

「勘弁してくれ」

「やだ。ぜったい、やだ」

 とりどりの光の中で、身も蓋もないやり方で追い詰められて――そして、勝敗が決する。

 白状の瞬間、一際大きく爆ぜた火花の音が辺りに被さったのが、まだしもの救いだ。

「よっしゃ、一点」

 しっかり聞いたぞという顔で、満足げに目を細める由祈。

「煮るなり焼くなり好きにしろ、畜生」

 何を言っても負け惜しみにしかならないとわかっていても、つい悪態が口をつく。

「うん。ガツガツに煮て焼いて、で、ヨメにする」

「ぐっ……」

 この流れでそれこすって返すとか、人の心ないんか。

 控えめに言ってもかなりきついが、まあいいことにする。

 はからずも、二人の内に切り出そうと考えていた話題に矛先が向いたからだ。

 遊具のブランコに歩み寄り、立ち漕ぎを始める由祈の隣、鉄柵に腰掛けて尋ねる。

「……その、ヨメってやつ。俺が言ったの、病院にいた時か?」

「……思い出したの?」

「いや、逆」

 昼のことを伝えると、由祈は「ふむ」と、得心が行ったという顔をする。

 確かめるべきは、ここからのことだ。

「けどさっき、思い出した。その頃にあったことを、少しだけ」

「どんな感じに?」

 きいきいとブランコを鳴らしながら尋ねる声に、記憶の中の幼い響きが重なる。

「……“約束”。多分、お前が俺に、そう言ってたんだと思う」

「あー。それの話だよ、ヨメって」

「やっぱか」

 これで一歩進んだ。俺のなくした記憶、その少なくとも一部には由祈がいる。

 恐らくはそういう思い出のどれかが、今回の事件と関わりを持つのだろう。

 だが、

「その時のこと、詳しく聞いていいか」

「やだ」

「やだって……」

 おうい。他でもないお前の身の安全に関わるんだぞ。

「わかるけど。でも、言いたくない」

 つっこんだが、意外なほどきっぱりと由祈はそう言った。

「だって、最悪私が食われるだけなんでしょ。それならいいよ。食べられる」

 気負っている風もなく、なびく浴衣の袖からこぼれるように声が降る。

 正真正銘、心から思っていることを言うときの、何気なく、しかし揺らぎのない調子で。

「それくらい、思い出されたい。で、返事、聞きたい」

「返事?」

「そ。昔に言質げんちは取ったけど、今の佑からも聞かないと意味ないから」

 どぱん。

 後半に差し掛かったらしい花火が、大きく鳴って空を染める。一度、二度、繰り返される。

 その光の中でブランコは加速し、振幅を増していく。乗り手ごと、ただ座っているだけの俺を置き去りにしようとするかのように。

「…………」

 今この瞬間、本気になって問い詰めたら、あるいは話してくれるのかもしれない。

 どうしてか強くそう思った。

 振れる鎖を掴んで、無理にでも動きを停めて捕まえて、引き留めたら。

 けれどそれをしたら、何かが終わってしまう気がした。

 どうにかしなければならないことを全て放って、埋め立てて、片付けたことにしてしまう。そんな選択であるような気がした。

 それは決して望ましいことではないはずだ。

 俺と由祈、仮にその二人にとってだけは良くても、他の何かと、誰かにとっては。

 会場のどこかで、同じ光を見上げているはずの風原たちと、そして悠乃の――あの鋼のような“願い”を抱えた少女の面影が、胸の内を過ぎった。

 その間が、俺から機会を奪った。永遠に。

「ふっ!」

 びゅうっ。

 下駄履きのまま器用に跳び立った幼馴染みが、夜空にその輪郭シルエットをくっきりと刻んだ。勢いはものすごく、背の低い鉄柵を余裕で越えた向こうまで空を裂いて、結構な着地音を残すほど。

 ――ざくっ!

「ま、そういうことだから。期待させてよ、ちょっとだけさ」

 ほっ、と気の抜けたかけ声と共にバランスを取り、余剰加速を殺しきると、振り向かないまま由祈が言った。

「思い出せばいいんだろ」

 だから俺は立ち上がって、きっと聞こえるように、はっきりと返した。

「それで、言えばいいんだろ。約束ってやつの、返事」

「うん」

 目を細めて小さく笑んだおもてが、やっと俺を見る。

 噛み付くように重ねた。念を押すように。

「望むとこだ。――だから、待っててくれ」

 食われたりなんかしないで、それまで。

「ヨシ」

 契約成立。

 そう言って破顔した横顔を、いよいよ終わりと舞う空の光の群れが照らした。

 華を背負った立ち姿は、初めの灯りの下で見た時と何も変わらず、底抜けに眩しく、きらめいていた。

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