3-3.約束だよ

「射的!」

「いちげきひっちゅう」

「金魚すくい!」

「もなか五枚がさね」

「かたぬき!」

「かじるとおいしい。まろやかでおくぶかい」

 おじさん、もういちまい。

 無表情で咀嚼、流れるように再挑戦おかわりを宣言した悠乃の動きに耐えられず、風原、日向、水瀬の三名はみたび腹を抱えて爆笑した。

「かたぬきの型って食べれたんですか!?」

「や、いけそうな感じではある、けどっ……! そんな真顔で、食べっ……!」

「ぱくって! ちっちゃいクラッカーつまむみたいに、ぱくって!!」

 あはははははははは。

「完全に出来あがってんな……。あ、もうこれで行きますんで。すみません」

 俺はと言うと、その脇でひたすらフォローに徹している。かたぬき屋の親父に料金を渡して謝罪しつつ、味を確かめたそうに身を乗り出す由祈をブロック。残る左腕では悠乃がりに獲りまくった射的景品の山を抱えている。

 合流の完了からおよそ一時間。この場に辿り着くまでに悠乃が披露した様々な奇行により、面々のテンションはトップギアに達していた。由祈は謎の対抗心を燃やし、三名は早々に笑い上戸と化し、繰り広げられる迷勝負の数々が行く場行く場を混沌の渦へと突き落とす。

 盛り上がりすぎて素性がバレやしないかとひやひやしているのは俺だけ。トップアイドル四名、肝がわりすぎである。悠乃も少しは自重しろ。

「はー笑ったー。喉もーからっから」

「飲み物買ってきたから、ちょっと落ち着け」

「悠乃ちゃんラムネ早飲み勝負やろ」

「うけてたつ。炭酸のあつかいでわたしの右にでるものはいない」

「食べ物で遊ぶんじゃありません」

 つっこみつつ境内の石段へと退散。腰を下ろし、余りものの缶入り烏龍茶をすする。

 火照った身体が内側から冷やされて心地よい。俺の経済感覚からするとちょっと贅沢な買い物だが、こういう時くらいはいいだろう。

 思えば、こんな風に人と賑やかに過ごすのはずいぶん久しぶりだ。

 友人知人と言われて思い浮かぶ顔はもちろんある。けれど高校生の身分で金も時間もないとなると、校外でつるむ回数は必然減る。毎度気を遣わせるのも悪いと思い断り続けた結果、今では遊びに誘われること自体がなくなった。

 学校では普通に仲良くやれているし、普段は気にも留めないのだけれど――昼の件と、本当に楽しそうにしている五人に影響されたか、今日は少しだけそのことが感慨深い。

「(……俺が昔のままだったら、違ったのかな)」

 もっと沢山、こんな時間を。心底から笑いながら、過ごしていたのだろうか。

 俺が、もっとちゃんと――真っ当、だったら。

 経済状況とか、家庭環境とかの話じゃない。俺という個人の中身の話だ。

 ――記憶の欠落に気付いたことで、新たに一つ、自覚出来るようになったものがある。

 意識を内に向け、途切れた記録ログの空白を見つめ続けることで、は感覚される。

 何も浮かび上がってこない虚無。その真っ白な暗がりを満たしている、空疎で薄ら寒い感触の記憶。

 “からっぽ”。

 しいて名前を付けるならそうとしか呼びようのない、無の感覚。

 壊れた直衛佑の中にったもの。壊れる前の直衛佑の中には、もしかしたらなかったもの。

 “俺”――今の直衛佑のり方を、根本から曲げているかもしれない、感触もの

 存在ものは壊れる。いつかきっとそうなる、という。いつも、何をしていても。

 だから“要らない”という思いが湧く。どこにでもつきまとい、考えや選択を違うものにしてしまう。

 “そんなんだと、つまんないやつになっちゃうぞ”

「…………」

 “それ”が、もし生まれつきのものでないのなら――例えば記憶を取り戻して折り合いを付けたら潰せる、そういうものなのだったら、俺も変われるかもしれない。

 自分だけの“願い”を持って、誰に望まれなくても生きて、動く。そういういいもの、眩しいものに、なれはせずとも近づけるかもしれない。

 それは俺にとって、なんて、

 “――だよ”

 その時、不意に脳裏に声が蘇り、巡っていた思考を遮って、一つの記憶を意識の真ん中へと差し込んだ。

 棟に四角く切り取られた曇り空。晴れることのない虚ろのおおい、永遠の白に包まれた中庭。

 そこに立つ俺に、顔の見えない誰かが言う。すがるように、祈るように。

 “約束だよ”

 幼い声色。けれど覚えがあった。

 俺はこの声の主を知っている、と思った。

 そうだ。よく、とてもよく、知っている――。

「おうい」

「うおっ!?」

 耳元で物理的に音がした衝撃で、今度こそ俺の思考は完全中断とあいなった。

 振り向いた先、すぐ隣には、手でメガホンを作って半身を乗り出す幼馴染み氏の姿がある。

「由祈か……。なんだ、どうした」

「えー。なんだも何も、さっきからずっと呼んでたんですけど」

 ばくばく言っている心臓を押さえながら問うと、こいつめ、という顔をされる。

「本当か。すまん」

 そう言えば缶を持つ右の掌がぬるい。見れば足元にはしたたり落ちた結露けつろの跡がにじんでいる。

 いつの間にかうたた寝半分となっていたらしい。最近ずっと限界ぎりぎりの生活をしてたからな……。

「まあ、それはいいんだけど。あちらをご覧ください」

「はい」

 示された方を見るも、何もない。

 方角がズレたかと少し左右にも視線を振ってみたが、やはり何の気配もない。がらんとした境内の暗がりに伸びているのは、俺と由祈の濃く黒い影だけである。

 ……うん? あれ?

「悠乃と風原たちは?」

「行っちゃった。もうちょい遊ぶって」

「いつ? どこに?」

「さっき。どこ行くかは聞いたけど、忘れた」

「ええ……」

 今度は俺があきれる番だった。

「実質はぐれたのと一緒だろ、それじゃ」

 端末を取り出して一番画面を見ていそうな水瀬にかけてみたが、出る気配はない。

 やつが駄目なら他三人にはなおのこと繋がるまい。あの混雑の中では、振動にせよ着信音にせよ小さすぎてかき消されてしまう。

 心配だ。しっかり者の風原がいるし、放っといてもトラブルの類は起きないかもしれないが、

「笑いの沸点が真っ先に限界化してたのも風原だったからな……」

 普段からグループの引率役として気を回しているというし、こういう時くらい楽をさせてやりたいという思いもある。

「行きそうなとこ絞って追いかけるか。今から出ればまだ――」

 苦労しないはず、と腰を浮かせたところで、止まる。

 何せ動けない。シャツの背中を五本の指でがっしりと鷲づかみにされているからだ。

「……あの、由祈さん?」

 なんじゃいな、と振り返ると、思いのほか真面目な顔で見つめられた。

「まあ、待ちなよ」

 呑気な口調に反して、握力は容赦なく――そして眼差しは、物言いたげ。

 返す言葉が見当たらず、向き直る。

 すると言われた。

「にぶちんだな、佑は」

「?」

「発想がマジメ過ぎってこと。まあ、いいとこでもあるんだけど」

 褒められてるのかけなされてるのか、もう一つぴんとこない。

 意図を掴みかねていると、「予定」と短く補足された。

「夜から花火って言ってたでしょ。もうすぐ始まるし、それ終わったらそろそろってなって連絡来るよ、きっと」

「む」

 そう言えばそんな話もあったな。

 合流とフォローのことしか頭になかったから忘れていたけれど、世間的にはむしろそっちが祭りの本題かもしれない。

 始まればまず気付くし、注意も向く。何処にいても見逃すことはないだろうし、終了後に解散の流れになるのも自然。

 なるほど、それならにぶいと言われるのももっともだ。ちょっと考えればわかることである。

「わかったならよし。じゃあ、はい」

 座ったままの格好で両手を広げてくる由祈。どういうことだ。

「おぶって、花火よく見えるとこまで連れてって。甘やかせ」

「ああ、そういう――」

 ――いや、どういう?

 俺自身と由祈に向けて、理性が冷静なつっこみを飛ばす。

 それは声にはならずとも何とも言えない俺の表情筋に現れていたはずだが、先方は動じない。

「ん」

 完全に絶句している俺を真っ向見返すと、職業:スーパーアイドルであらせられるところの幼馴染みどのは、いっそ堂々と言えるほどの開き直った風情と共に、短く促しの声をお上げなさったのだった。

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