3-2.夕べ、夏祭り

 一駅分ほどの距離を歩いてから乗った電車は、着飾った姿の人たちでごった返していた。目的地に近づくほど車内の人口密度は上がっていき、一駅前には相当な人数へと到達。そして想像通り、ことごとくが俺と同じ駅で下車した。

 スムーズに動けているのはごく一部で、大体は足取りに迷いの素振りがある。目的ありきで馴染みのない場所に来た人に特有の振る舞いだ。

 歩調を合わせつつ地下から出ると西日の陽射しに迎えられる。この一、二時間で雲は風に流されたらしく、街並みは夕焼け色に染まっていた。

「(俺も切り替えなきゃな)」

 交差点で息を一つ吸って、胸にわだかまっていたぐらつきの名残を吐き出す。

 時間をかけて歩いたことで、降って湧いた感情と感覚の整理は何とか片づいた。

 青信号、動き出す流れと共に再び歩き始めながら、改めてそれを反芻する。

 ――俺、直衛佑には一定時期の記憶がない。

 期間は一年前後。両親と一緒に交通事故に遭ったのが契機。

 その瞬間と、入院中のことはほとんど記憶にない。ただ、自分が一度大事なものをなくして、けれどどうにかしてに戻ったことだけは覚えている。

 言葉にしづらいし、はっきりとは思い出せないけれど――直衛佑という人間はその時多分、壊れていたのだ。

 その俺が一年をどう過ごし、何によって“戻った”のか。それがこの記憶の知るべき核だと感じる。

 そのためにはどうすればいいか?

 まだわからない。ただ、機械的に記録を辿るだけでは駄目だ、という直感があった。

 もう少し自分で探ってから悠乃たちに報告するのがいいだろう。単なる勘違いか、何か理由があっての感覚なのか、はっきりさせてからの方が話は前に進むはずだ。

「ん」

 そこまで確かめたところで、入って来た刺激にふと思考が途切れた。

 前方、空間が開け、人の密度が下がる感触。

 顔を上げると、祭事に特有の提灯をぶら下げ、ずらりと軒を並べた屋台の列が目に入った。

「すごいもんだな……」

 思わず独り言が漏れる。

 約束、というのはこれだった。都内某所で開催される夏祭り。

 話にたまに聞く程度で、実際に出向いたのは今回が初めてだ。想像していた以上の開催規模と賑わいに、少し圧倒される。

 人気アイドル四人が徒党を組んで祭りに行くと聞き、いいのか? と心配していたのだけれど、これなら大丈夫かもしれない。この混みようでは、どうしたって個人の識別は困難を極めるだろう。

「あ、いたいた! おーい、ヨメくーん」

 指定の場所に辿り着き、待ち合わせの時刻を十分ほど過ぎて、ようやく背に声が降った。

 人波の中から顔を出しているキレのある美貌、対照的に気さくな口調と笑顔――風原だ。

 どうやらその高身長でもっていち早く俺を見つけたらしい。こちらに向けて振る手に、かじりかけの焼きとうもろこしを握っている。

「おつかれさまでーす! お先に楽しんでます!」

 次いで現れたのは日向。その後ろに水瀬、悠乃と続く。

「食べてよし、遊んでよし、それを脇から撮ってよし。薄い端末がアツくなるやつ」

「ふぉふぉがふぉがふ」

 チョコバナナ、袋入りの綿飴、そしてパック入りの焼きそばをそれぞれ装備している。そのどれもが食いかけ――いや、前二つはいいとしても、最後はちょっと無理があるだろ。

「出来たてが一番おいしい。すぐ食べるのが最適解、人類に課せられたぎむ」

「綺麗に食べてたよねー。転ばないしこぼさないしぶつかんないし」

「食い意地の権化か」

「はなまる」

 ちなみにこれでもう二杯目らしい。満喫しすぎでは?

「それよりそれより! 私たち見て、何か言うことありませんか、ヨメさん!」

 チョコスプレーに彩られたチョコバナナを持ったまま、日向がぐっと身を乗り出してこちらを見上げてきた。

 流石は現役人気アイドル、破壊力が最大発揮されるアングルとポージングが自然かつ完璧に決まっている。ファンならずとも、男女問わずノックアウトされる手合いは多そうだ。

「言うことか」

「ですです!」

「お?」

「おー?」

「ごくん」

 じー。

 間断なく動いていた悠乃の箸が停止。風原、水瀬と目配せを交わすと、揃って興味ありげな眼差しを向けてくる。

 言うこと。うん、あるな。

 せっかく振ってくれたことだ、順番に行こう。

 俺は肩にかけていた大きめのショルダーバッグの口を開け、まずはと聞いた。

「預かり確認だ。持ち歩きに邪魔な荷物があったら一括でしまっとく。小銭だけ入れる用のがま口もあるから、財布預けたいやつは使ってくれ」

「へ?」

 まったく予想していない方向から返事がきた、という顔で日向が変な声を出す。

 この反応パターンには慣れているので、手を動かしつつ進める。

 あれこれ詰められるようスペースを空けておいたバッグからがま口を一つ掴み、会計に一番気を遣ってそうな風原にパス。

「これ、小枝さんから。頑張った分のおこづかいだと。俺の方にも半分あって基本はそこから払うけど、二人で持ってると融通効くだろ。自前の財布やつは不安なら入れとくけど、どうする?」

「あっ……うん」

 意図をようやくのみ込んだらしく、風原は首を振って、手提げから窮屈そうに顔を覗かせていた長財布を取り出した。普段はそんなことはないのだろうが、おつりの硬貨が大量に収められた今は可哀想なくらいに膨らんでいる。

「ちょっと落としそうで恐かったから、お願いしたいかも」

「わかった」

 残りの三人にも確認し、収納の様子を見守りつつ預かり一覧を脳内作成。ざっくり記憶する。

「水瀬は充電まだあるか」

「えっ。や、あんまりないですけど」

「容量少なめだけど充電器あるぞ。要る時言え」

本当ガチですか!?」

 食いつきすごいな。つけっぱなしの勢いで使い倒してたか。

 バッグのサイドポケットから一つ抜いて、残量が心許なくなっていたらしい水瀬のは預かり。

 で、次は、

「靴ずれ対応の絆創膏」

「ひゃいっ!」

 取り出しながら振り向くと、「もしかしたら言われるかもしれないと思ってました」という顔の日向と目が合う。

「……要りそうだな」

「じつはちょっとヒリヒリしはじめてましてぇ……」

 眉毛を八の字にしてしょぼついている姿はどことなく小型犬を思わせる。

 さすがに俺が貼るのはためらわれるから、風原にやってもらってな。

「……あのう、聞いてもいいでしょか」

「おお」

 最後、悠乃の口元についた焼きそばソースをウェットティッシュで拭ってやっていると、恐る恐るといった様子の水瀬から質問が飛んできた。

「前世は執事とか貴族のお世話係とかだったんです? それか家事の妖精」

「妖精て」

 つっこむかたわら、それが聞きたかった、という様子で言葉もなく頷く風原・日向の気配を感知。そういえば、こいつら相手に直接こういう動きをするのは初めてか。

「前世も何も、お前らだってちょくちょく苦労させられてるだろ。由祈に」

 御年十六歳、八月で十七にならんとする我が幼馴染みの笑顔が脳裏にありありと浮かぶ。

 大体のファンには好ましい体験だろうが、長年フォローに追われ続けた俺としては、むしろつらい現象に分類される。

 あいつの引き起こすありとあらゆるトラブルを経験させられてきた結果、今では姿を思い浮かべるだけで問題行動を連想、危惧とストレスを感じる体質になってしまったからだ。

「あれでもましになった方なんだ。昔は小枝さんと俺の二交代制だった」

 監視の目をあの手この手でかいくぐられ、次は何をしでかすかと肝を冷やしながら駆け回った日々が走馬灯のごとく甦る。

 思えば運動の基礎技術はこの辺で身についた気がする。あいつ小さい頃から馬鹿みたいに活動的だったからな……。

「ぶっちゃけ引いたところもあると思うが、トラウマってことで許してくれ。あと、最後に言うのもなんだけど、四人とも綺麗だと思う」

 いや、本当に。被害や危険、心配も気苦労もなく眺めていられる花は、世の宝、人の癒しだ。まったくそう感じる、心の底から……。

「ういーす。あれ、なんでお通夜みたいになってんの」

「来たか由祈。遅いぞ」

 噂のグループリーダーどの、何故か俺の背後から出現。

 一人だけ当然のようにはぐれた上での遅刻である。林檎飴を賞味しつつ練り歩いていたようで、うっすら紅色が残るばかりになった割り箸をがじがじと囓っておられる。

「よこせ、捨てといてやるから。あと荷物」

「ほい」

 歯形のついた割り箸を取り上げ、全ての持ち物を当然のようにバッグへ放り込むのを確認してから、ウェットティッシュをくれてやる。

「拭いて」

「取って使えばいいところまでお膳立てしてるだろうが手動かせ」

「いいじゃん」

 だめです。口を尖らせる前に大事なメンバー三人がどういう顔してるか確認しなさい。

 あと悠乃、今どうして青のりをほっぺに貼った。きょうだいと張り合う駄々っ子か。二回目からはセルフだぞ。

 メンタル幼児二名を捌きつつ「行こう」と三人に声をかけると、若干の沈黙の後にやっと動き出す。

 これで移動開始できるな。

「腹の埋まり具合は? 飴の他に何食った」

「わすれた。けどしょっぱいのなら全然いける。フランクフルトとか食べたい」

「あっちの方に店あったな。右の道から迂回するぞ。歩きやすい割に人が少なかった」

「佑、わたしもごみ持たれたい。これ」

「今ビニール袋出すからちょっと待て。押しつけんな」

 幼児が二人に増えると手間は更に倍、つまり四倍だ。

 忙しく対応する中、背後のトップアイドル三名から畏敬といたわりの念を感じた気がした。

「なんか……」

「これはさすがに……」

「うん。……ヨメ氏、乙」

 以降も別に三人の態度は変わらなかったが、冗談ノリで“ヨメ”呼ばわりされる回数は露骨に減少した。

 そのことを喜ぶべきかどうか、俺の中ではしばらく脳内会議が行われた。

 だが結論は出なかった。幼女×二の世話に気を取られる状況では考えなど進むはずもなく、そうこうする内に優先事項の山に埋め立てられてしまったからである。

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