3.思い出したなら、と君は華を背に笑い

3-1.なくした記憶

 それからの日々は、本当にあっという間に過ぎていった。

『ワン、ツー、ステップ、ターン、指先まで動き意識! ポーズ揃えたらしっかり止まってー、動かない!』

『――できた』

『うっわすごいじゃん! ここの動き、うちらもやれるようになるまで結構かかったのに』

『あたしなんて今でもたまに失敗しますよ!?』

外見ルックスよし、運動神経よし、声もグッド。うっかり者のヒカリと交代、実際アリでは?』

『ひいいん、練習しますう!』

『どやあ』

 レッスンの合間、おもむろにジャージを着て現れた悠乃が体験参加で場を引っかき回したり。

『許可もらってきたよー! 給湯室、ちゃんと片付けするなら何作って食べてもいいって』

『ついにヨメさんのお手製料理をあたしたちも堪能できる時が……!』

『本当にやるのかよ……。いや、確かにフライパンとかは持ってきたけど』

『ここで何をつくるかはあまりにもじゅうよう』

『好感度選択肢きたぜきたぜ。どうしますヨメ氏』

『食材買ってきたー。で、落としてたまごのパック割った』

『ほぼ全滅してんじゃねーかオムライス一択だ!』

 手作業での殻取り除きからの巨大オムライス作成ミッションをやる羽目になったり。

『――この一戦で、しろくろはっきりつける』

『望むところ。これで勝った方がアイス総取りね』

『なさけむよう。のるかそるか、おーる・おあ・なっしんぐ』

『いやもう寝ろって。というかお前ら、一時間くらい前にもそんな会話してなかったか?』

『たたかいは終わらない。佑は何もわかっていない』

『実力が同じくらいの相手とやる時が一番楽しいよね、対戦ゲーム。もういっかい』

『俺は寝るからな。明日は絶対に自力で起きろよ二人とも』

『はなまる』

『ういー』

 というやり取りを経て翌朝、案の定勃発した二度寝耐久チキンレースの収拾に追われたり。

 勿論これらの出来事のかたわらで本来の過密スケジュールも進行していく。小枝さんが分けてくれる仕事はことごとくが激務だったし、預言者の座学も悠乃の訓練も俺の疲れなどお構いなしで実施される。

 朝昼晩と休む暇もなく動き回り、夜は泥のように眠る。そんな毎日を送る内、気付けば十日間の日程は折り返しを過ぎていた。

 そして現在。

 昼までの予定を終えた俺は一人バスに乗り、姉がいる自宅へと久々に戻ってきていた。

 悠乃と預言者が言っていた俺の中の“記憶”、その手がかりを探すためだ。

「あったー? 佑ちゃん」

「多分。よ、っと」

 荷物置きと化している一室に篭もること数十分、苦労して見つけ出した品々を抱え運び、リビングのテーブルへと積み上げると、俺は額の汗をタオルでぬぐった。

 年季物のデジタルカメラ、ケースにしまわれた記憶端末、固い表紙に守られた物理アルバム。

「実習の途中で帰ってきたと思ったら、いきなり昔の写真が見たいだなんて。どしたの?」

「うん、ちょっと」

 氷入りの麦茶を受け取りつつ、カメラを充電器に繋ぎ、古びたページをめくる。

 大まかに年代別で並んでいると思しい写真群。俺が物心つく歳となったのは、全体の半分を過ぎた辺りのようだ。

 目星を付けた後、一枚一枚を順に確認していく。セーラー服を着た姉さんと一緒に俺が映っているものもある。

「うわー、なつかしい」

 脇から覗く姉さんが、かき氷の棒アイスをかじりつつ感慨深げに呟く。

「お父さんたちがあの事故で死んじゃってからずっと忙しくて見てなかったけど、なんかグッとくるねえ。この頃とか、私まだ学生だったんだなー」

 のんびりと紡がれる言葉に、何とも言えない感情が湧く。

 両親が交通事故で死んだのは俺が小学校高学年になったばかりの時期だ。俺と姉さんは歳がかなり離れているけれど、それでも当時、姉さんはまだ大学を出るには至っていなかった。

 肉親ではない人の世話になるというのは、どうあっても肩身が狭い経験だ。俺を伴いつつ働くことを選んだのは、幼い弟にそういう思いをさせまいとしたせいもあっただろう。

「佑ちゃんこの頃は今より素直でね、お姉ちゃんが『お風呂はいろ!』って言うと一緒に入ってくれてたんだー。一緒のふとんで寝るとすっごくいい匂いがするの。洗いたての佑ちゃん吸いながら毎日眠れるのはほんと最高だったなあ……。ねね、また今度やらない? 一回だけでいいから!」

「絶対嫌です」

 前言、やや撤回。世間的に問題がありそうな行動をいい思い出として語らないで欲しい。

 と、そう心の中で突っ込んだところで、ふと引っかかるものを感じる。

「……姉さんさ。聞きたいんだけど、それって俺がいくつの時の話?」

「えーっと、お姉ちゃんが働き始めてちょっとくらいの時期だから、五年生とかじゃないかな」

「小五……十歳?」

 答えを聞いた俺の頭の中は、いよいよ疑問符だらけになる。

 年頃から言えばあって当然なはずの“その時期”の記憶を、姉さんが今しがた話したことも含めて、ただの一つも思い出せなかったからだ。

 アルバムの記録は折しも、白紙に繋がる最後のページ、主な撮影者だった父さんと母さんが死んだ日の空白へと辿り着いている。

「あー、そっか。ここまでなんだね」

 一枚も写真が挿されていない次のページを覗いて、姉さんが残念そうな顔をする。

 そして、独りごちる。

「てことは、ここからはか。佑ちゃんの」

「……え?」

 今度こそ、驚きが声に出た。

「病院、って、何の?」

「うん? あれ、覚えてないの? ……あ、でもそっか、そういえば……」

 怪訝そうに首を傾げた後、姉さんは一人考え込むと、やがて納得した様子で何度か頷く。

「……何」

 その一言を口にするまでに、主観では随分の時間を要した。

 予感のようなものがあったのかもしれない。知りたい、知るべきだという思いと、今すぐこの部屋から逃げ出して聞かなかったことにしたいという衝動が同時に顔をもたげて、思考がひどくぐらついた。

 しかし答えはあっさりと返った。姉さんは俺を見返すと、さらりとした口調で告げた。

「いや、あのね。佑ちゃんあの時、? その時お医者さんが言ってたんだけど、後々記憶とかに若干の影響が出る可能性がある、って……」

 ……佑ちゃん?

 気遣わしげに表情を曇らせて、姉さんが俺の横顔を覗き込む。

 答える代わりに視線を伏せた。大丈夫、と返したところで、説得力などないことは自分でもわかっていた。ひどい顔色をしているに違いない。

 つとめて深く呼吸して、噴出した感情を整理しようとする。

 父さんたちが死んだ時、俺も同じ場所にいた?

 そんな話、俺は知らない。

 確かに、自分の親がどう死んだかなんて、必要がなければ話題に上せたりはするまい。

 でも、だからって忘れるなんて――なんてことがあるか?

 視線が落ち着きどころを探してさまよい、机上のカメラへと向く。最低限の充電が完了し、自動起動していたデジタルカメラは、カメラロールを表示し始めている。

 そこに映っていたのは確かに直衛佑だった。覚えのない病院の中庭で、覚えのない傷に包帯を巻いて、今と同じような焦点のぼやけた目で、画面の外の青ざめた自分を見つめ返している。

 その眼差しを見る内に、鍵の開くような感覚を覚える。

 意識の底から、四角い棟の輪郭で区切られた、空に続く中庭の吹き抜け空間の感覚が、手触りと広がりが甦ってくる。

 ――そうだ。いつかの時、俺は“ここ”にいた。

 どれくらいかわからない日々を、俺は“ここ”で過ごした。

 俺はここで“俺”になった。事故で開いた穴を塞いで、なくしたものを別のもので埋めて、自分を作り直したんだ。

 そこまで思い出すと、ようやく動悸が収まり始める。感覚のぐらつきが薄れ、視界がはっきりと像を結ぶようになる。

「……ごめん、もう良くなった。多分、水分摂らなすぎたんだと思う」

 ゆっくりと顔を上げ、今や心配一色の表情をしている姉さんに言い聞かせるように呟いて、テーブルの麦茶を飲み干した。

 そして立ち上がった。ふらつくかと思ったが、目まいの一つもなく席から離れる。

「ちょっと外の空気吸って、そのままあっち戻るよ。夕方から由祈たちと約束あってさ」

 告げると、不安げな声が背に返る。

「で、でも佑ちゃん、それならなおさらここで休んでったほうが……」

「ごめん。そうさせて」

 ちょっと一人で考えたりしたい。

 そう言うと、予想通り姉さんは押し黙った。

 長く一緒に過ごした家族が相手だ。どう言えば何と反応するかはわかっている。

 半分以上は本音。罪悪感は隠しきれるレベル。

「きつい時はちゃんと連絡するから。お茶、ありがと」

 言い残して玄関を出、扉を静かに閉めてから、湿気た夏の外気を肺に入れた。

 約束の時刻、日が傾く頃まではまだ若干の間がある。その時までにもう少し気分を落ち着けておきたかった。

 空は一面曇り模様。直射日光を遮るその覆いは、あの日の病院の中庭、長方形の囲いの内から見上げた白と同じ色をしていた。

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