2-6.勝った負けたで日が暮れて

「と、いうわけで」

 ふんす。

 険の乗った無表情に若干のドヤ顔を足した風情で、仁王立ちの悠乃が口火を切った。

「結果は結果。まけた佑には、わたしの言うことを一から十までまるっと聞いてもらう」

 ばーん。

 そんな効果音が聞こえてきそうな、有無を言わさぬ沙汰さた宣言である。

 いや、うん。確かに負けたし、それは認めるんだけども。でもだな。

「言うこと聞くって、そんな約束だったっけ……?」

「ざこのいうことはきこえない」

 ばばばーん。

 控えめにつっこんでみるが、圧倒的言い切りと共に却下された。

「今からめいれいを考える。おびえてまつのがふさわしい」

 さようでございますか……。

 処置なし、もとい致し方なし。元はと言えば自分の感情にまかせて無理を通そうとした俺が悪いのだ。それぐらいは甘んじて受けるべきなのかもしれないと反省する。

 しかし……。

『いやー、派手にやられたね直衛君。わずか数分の間に五回も臨死体験をやってきた感想はどうだい? うん?』

「(預言者こっちにまでこんな煽られる筋合いあるか? 俺)」

 いやない。絶対この人がそういうの好きなだけだ。

「……まあ、けど、思い知りました」

 硬い医療用のベッドに視線を落としつつ、呟く。

 これだけハンデを貰ってこのざまでは、何を言う資格もあるまい。

 何も出来ないのは嫌だ、という感情が消えたわけではない。けれど、ものには優先順位、そして効率というものがある。

 これだけ力量差のある俺が教えを請うたところで、伸びしろはたかが知れているだろう。それなら戦闘訓練は確かに無駄だ。その時間をもっと意味のあることに使った方が役に立てるだろう。

 おごっていたところもあったのかもしれない。識域ここでなら俺は何かが出来る――大蜘蛛の怪物相手に曲がりなりにも戦えたことで、そんな風に勘違いしてしまっていたか。

 でもそれも、こうして負けたことで幸いにして吹っ飛んだ。預言者の対処は正しかったと言えるだろう。

「大人しく出来ることをやります。まずは避難のやり方から、でしたっけ」

 少しだけすっきりした思いで顔を上げ、尋ねる。と、

『ん、いや? それは宿題としてこなしてもらうよ?』

「――はい?」

 予想していなかった返しに一瞬思考がストップする。

 あ、あー。そういうことか。勝負を仕掛けて気絶して時間を消費したからスケジュールが詰まってそうなったとか、そういう話ですか。なるほど。

『違う違う。確かにちょっと押してはいるが、どうにかなる範疇さ。でも直衛君、戦闘の心得を学びたいんじゃなかったのかい?』

「そりゃ教わりたかったですけど――は?」

 待ってくれ、どういうことだ?

 疑問の答えは脇からにょっきりと顔を出した悠乃が教えてくれた。

「くんれんはやる。びしびししごく。それはそれとして、本来のやることもこなしてもらう」

 器用な無表情が厳しい鬼軍曹のオーラを漂わせる。

 え、いや――そりゃ願ったりだけど、

「何で?」

 流石に口に出る。

 すると険しさに一ミリほど眉を持ち上げながら軍曹、ご回答くださった。

強情ごうじょうなのはよくわかった。放っといたらどうせ、いざというときやりたい放題する。だから教えて首輪をつける。しつける、ぜったいふくじゅう」

 返事の前と後ろにサーイエッサーを付けろ、と言わんばかりの気迫。見つめて来るジト目に対し、視線を逸らさざるを得ない。

 何故って、図星だからだ。鍛えることに意味がなくても、最悪の事態が起こったなら出来ることはやるつもりでいた。

「だいたい、佑にはほかにやることがある。協力者としてのせきむ」

「む」

 言われて真顔になった。

「そりゃ勿論、やるよ。自分で引き受けたんだ、一番にちゃんと取り組む」

 しかし、言われてみれば何をどう協力すればいいのかということはまだ聞いていなかった。

 無茶苦茶ではあったが、なんだかんだ悠乃は社交上手だ。野山たちLuminaの三人ともすぐに馴染んだし、顔つなぎにどうしても俺が必要だったという感じでもない。なら、協力とは別の事柄を指している、と考えるのが正しかろう。

『うん。それについては今説明しようとしていた』

 疑問が顔に出ていたか、預言者が再びウインドウを招き寄せる。

 その傍らで、悠乃が俺に尋ねる。

「佑。昨日わたしがあなたに言ったこと、おぼえている?」

 昨日、昨日か。

 言うも何も、顔を合わせた後すぐに気を失ったから、大した話は――、

「――あ」

 思い出す。

「『本当の“願い”を見つけなければならない』」

「そう」

 こっくりと頷く悠乃。

「この事件を扱うにあたり、わたしはひとつ“預言”を受けた」

 情報を読み込むウインドウを灰晶の瞳で見やりながら、鈴の音が言う。

「内容はこう。“一つ消え、一つ浮かぶ。記憶が鍵を握る”」

 咄嗟に意味を掴めず、預言者の方を見る。

 小動物の首に揺れる水晶玉からはあっさりと答えが返る。

『おおむね言葉通りの意味だよ。それ以上でも、以下でもない。一方が負け、一方が勝つ。誰か、何かの記憶が、勝敗――すなわち、事件解決の鍵を握る。揃った“条件”から僕が解したのは、そこまでだ』

 “条件”。そういえば悠乃と戦う前にも、預言者はそんなことを言っていた。

『僕の預言は例えるなら、完成するまで読み解けないジグソーパズルのような代物でね。“起こる”と決まった出来事や、“明らかになる”と定まった情報……そんなものが世界に一定数現れることで初めて形を持つ。要素ピースが揃いさえすれば何でもわかるが、“その時”が来るまでは何もわからない。そういう仕組みなんだな』

 “条件”とはつまり、必要な手がかりが全て世に出ることを意味するわけだ。

「自分で集めなくても、揃いさえすればいいんですか?」

『うん。故にこそ、これは“預言”なんだ。僕は言葉を預かるものなのであって、予言者……すなわち、自らの観測結果を言葉とするものではない』

 なるほど。

「――だから、預言がいったいどういうものを指しているのか、最初ははっきりしなかった。最も重要なくだり……“鍵”についての確証が得られたのは、きのう」

 悠乃がウインドウの一つを引き寄せる。

 促されるまま表示された映像に目を向ける。そこに映っていたのは、先程の講釈で見た俺のステータス情報だ。

『あなたに接触し、コギト経由で識核から情報を採取、分析した。その結果、一つのことがわかった』

 ステータスの一部が切り抜くように拡大表示されたことで、遅れて理解する。

 幾つかの項目の内容欄に、括弧かっこくくられた全く同じ単語が並んでいる。

 項目を代表しているらしい最上段に注意が行く。そこにはこうあった。

 “ORIGIN:[blank情報なし]”

「オリジン――“原体験オリジン”?」

「そう。覚徒の中核を為す“真理”と“願い”、それらの起源となる一つののこと」

 悠乃が静かに口にする。

「通常、そこが空白ブランクであることはあり得ない。記憶は知性体の存在基盤を形作る重要な情報であり、それなくしては、意志は強度を――“願い”と呼べるような欲求を獲得できない」

 感覚に紐付く記憶なくして、覚徒は覚徒たり得ない。

 不在の記述を見つめることをやめ、灰晶の目が俺を見る。

「真理を起動できた以上、“願い”も、元になる“原体験”も、あなたの中にきっとある。でも、現れてはいない。何らかの要因が、それらの表出を阻害している」

 それは、あなたの覚徒としての力を制限リミットする障害ともなっている。その意味でも、あなたは記憶を、“本当の願い”を取り戻す必要がある。

 そう告げて、悠乃は言葉を結ぶ。

「期限は長く見積もって、約十日。仰木由祈がメンバーとライブを開始するその夕方まで」

 スケジュールの記述を思い出す。確かに“職場体験”、もとい護衛と調査の期限はその日に設定されていた。

「個人が身に宿す“願い”は、祝祭の瞬間を頂点として高まる。敵の“収穫”は、きっとその時までに行われる。相手が仕掛けてくるより早く、記憶を見つけてほしい。それが、あなたに頼みたいこと。あなたにしか、できないこと」

「……わかった」

 心がひどくざわつくのを感じながら、それでも頷く。

『まあ、そこまで思い詰めなくても大丈夫さ』

 気楽な調子で預言者が言った。

『運命、という言葉を使ってしまうと大仰だが、というのはなかなかタイムリーな代物だったりするのさ。“ベストを尽くす”と考えるとどうしてもプレッシャーが伴うけれど、結構気楽に構えていても、必要な時に必要な物事は揃ったりするものだぜ』

 そっちに考えが寄りすぎるのも困りものだがね。サボりの誘惑が増すし。

 家族たる悠乃のジト目をものともせず笑う声に、流石に少し口元がゆるむ。

「ありがとうございます」

「いいさいいさ。それにだな、ぶっちゃけてしまうと恐らくあんまり時間もないと思うんだよ」

「……え?」

 ぴんぽーん。

 預言者の不審な台詞をいぶかしんだ瞬間、チャイムの音が識域に響いた。

『ただいまー。たのもーう』

 覚えのある声と共にポップアップしてきたウインドウに、マンション下階のカメラ映像らしきものが表示される。映っているのは由祈だ。

「うむ、予見通り。お姫様のご帰還だね」

 どこからか取り出したリモコンでオートロックを開けながら、小動物が呟く。

 帰還、……帰還?

「時間がたつのははやい。そういえばおなかもすいた、佑」

 そのことに一切驚きを示さず、ぐうう、と盛大に空腹をアピールしてくる悠乃。

 いや待ってくれ、ちょっと理解が追いつかない。

「何で由祈がこっちに……一時保護は終わったんじゃなかったのか? あと悠乃、何で飯の話を俺に――」

 そこまで口にしたところで、猛烈に嫌な予感が俺を襲う。

「なあ、もしかして……部屋がやたら広くて沢山あるのは理由なのか?」

『おや。どうやらわかっちゃったようだね、直衛君』

 声ににじむ愉悦を隠そうともせず、絡んでくる預言者。

「嬉しそうな顔してないで否定して下さい。嘘ですよね?」

『何かの冗談だと言ってあげたいのはやまやまなんだけどねえ。警護に際して可能な限りで万全を期すというのは、ほら、大事なことだろう?』

「無理なく近くにいられるなら、それがべすと」

 拠点室内への扉を開き、ジェスチャーで堂々たる“GO”命令コマンドを出しながら、とどめとばかり悠乃が言う。

「事情が共有されているこの三人なら、合意のうえで一つ屋根の下に留まることが可能。十日間耐久できるだけの物資も手配ずみ。ごうりてきはんだん、ほしまーく」

『ちゃーす戻ったー。悠乃ちゃん、ご飯までゲームやろゲーム』

「一日動いておなかがへった、大盛り希望。上官のめいれいはぜったい」

「……除隊届けを書かせてくれ」

 爆笑する預言者の声を背に、どっと来た疲労を抱えて境界をくぐる。

 現実へ帰った俺が身心を酷使して“十日間合宿”の対応をしている間、悠乃と由祈は本当にずっと対戦ゲームをやっていた。ちょっとぐらい手伝ってくれてもいいだろ、なあ。

 そんな風だったから、尋ねようと思っていたほんのちょっとした疑問のことなんてすっかり忘れ去ってしまった。まして、それにまつわって預言者が何かを口にしていたことなど、全くもって知る由もなかった。


§


『……さて。これは一つ、大きな選択だったが――どう出るだろうな、果たして』

 静まりかえった識域に、柔らかな声が響く。

 傍ら、目線を向けた先。閉じずに残された最後の小ウインドウに表示されていたのは、一連の行動記録ログを元にシステムが算出した、直衛佑に関する適性評価レポート。

 戦闘適性の欄――書き込まれているのは最高評価を示す“Exellent卓越”の一語。

『七彩も随分演技が上手くなったよ。“万象の瞳ヴィジョン”を切った時点でルール違反もいいところ、反則負けだったと言うのにね』

 記憶の件もある。娘の危惧は妥当だと、預言者もまた考えていた。

 覚醒直後から空想を使いこなし、逸路と渡り合い、あまつさえ勝利してみせる。格上との戦闘で、臨死の衝撃を叩き込まれたにも関わらず一切怖じず、手がかりを集め推理し突破口を作り出す。いかに才気溢れた有望者とて、これほどの成績は残し得ない。能力の出来不出来を越えた、まさに天性の適格を示した個体のみに、“卓越”の評価は冠される。

 故に“卓越”とは、危うさを測る一種の指標でもある。

 空想は危険を本質として孕むもの。選択を誤れば、強度持つ力は大きな災厄の種となる。

 それが皮肉にも窮地においてこそ芽吹く代物であることを、預言者はよく知っていた。

『……かの者たちに、ともしびの祝福があらんことを』

 故に、彼はそう口にした。

 祈り――それこそは最も無為かつ無害たる原初の力の一つであり、なればこそ、述べつむぐ全ての言葉が力を持ちうる“彼”が贈ることの出来る、最も大きな助力であったからだ。

 呟かれたそれは、今や無限遠の平坦地平が続くばかりとなった識域の内を、減衰しながら駆け――やがて声の主すら捉えおおせない空間の虚無に染み入るように薄れ、消えた。

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