1-5(-2).起動宣告

『真理とは、ある存在がその根本から感覚し確信するに至った、己だけの真実のこと。あなたが今いる空間――識域で、空想を出力する際の柱となるもの』

「よくわからないけど、ないと困るんだな!?」

『手に入れられなければ、数分ともたずに踊り食いのうんめい』

 嫌な未来をあっさり語られる。

『心当たりをさがして。速度ペースはそのままで』

「最後さらっと言うことじゃなくないか!?」

 思わずつっこんだが、その一言で通話は終了。後には機械音声の、文言入力を求める定型台詞が繰り返されるばかりとなる。

「“知り合いを助けたい”じゃ駄目か!?」

潜航失敗エラー。異なる“願い”の入力が必要です」

「くそっ!」

 ポケットに端末を突っ込み、断片的に伝えられた情報を整理する。

 増えた手札は二枚。逃走経路を示してくれる標識マーカーと、“真理しんり”と呼ばれた何か。それがあれば状況をどうにか出来るらしい。けれど、手に入れるには本心からの“願い”の宣言が要る。

 それが問題だ。他のものならどうにか出来るかも知れないのに、よりにもよってそれとは。

 “そんなんだと――”

 地下街で由祈に言われた言葉が脳裏をよぎった。

 ここで怪物に食われて終わる。それは確かにつまらない最期だろう。

 ――でも。それはこと俺にとっては、ましな終わりとも言えるのではないか?

 ふとそんな思いが胸を突く。

 だって、俺には“願い”がない。このまま生きたところで何をするあてもない。

 ものはいつか壊れる。生命いのちはいつかは死ぬ。痛いのはごめんだけれど、ただ無駄に長らえ、無為に棺桶に入るくらいなら、他の生き物の餌になった方がまだ有意義かもしれない。

 由祈のことは気になる。けれどもし迷い込んでいるなら、俺にすら手を差し伸べる“味方”のことだ、きっと放置はしないだろう。いや、見方によっては、俺は由祈の救助を遅らせる一因にすらなっているのかもしれない。

 ならいいんじゃないのか。ここらで、もう――。

「!」

 その瞬間、標識マーカーが不意に“止まれ”を表す赤色に変わり、警報アラートが鳴り響いた。

 直感が理由をしらせる――追いかけてきているはずの、蜘蛛の走行音が

 何かをしようとしている。でも、何を?

 気付けなかった寸秒の分、推測と判断が遅れた。

 折しもタイミングは跳躍の直前。中途半端に踏み切ってしまった俺の後ろ脚を衝撃が襲った。

 ――ばしゅっ!

 燃え上がるような感触が走り、ぐらりと世界が傾く。

 感覚が辛うじて捉えたのは、立ちこめる黒雲に鈍く軌跡を残した暗絹色ダーク・シルクの光。

「(糸――!?)」

 細く、硬く絞られ、高圧で放出された蜘蛛糸の矢。

 それがかかとを射抜いたのだと理解したのは、始まった落下の最中だった。

 姿勢が崩れ減速した身体では到底向こう岸には辿り着けない。伸ばした手は空を切り、もろくなっていた廃工場の壁面に激突。突き破り、そのまま屋内へと落ち込んだ。

「うっ……!」

 意識が一瞬飛び、痛みによってすぐさま復旧する。

 辛うじて破裂を免れた肺に酸素を取り込もうと、本能が呼吸を促し――別の要因によって、やはり反射的に、ほとんど嘔吐するようにき込んだ。

 精神を芯まで侵すような濃密な血臭、腐敗臭。

 顔を上げた。すぐそばに、口蓋こうがいから上が食いちぎられた人間の死体が転がっていた。俺を濡らしている腐血は、どうやら彼女から零れ出たものらしかった。

 なぜだとわかるのか? 中学校の指定と思しい、真新しい制服を身にまとっていたからだ。

 感覚が遅れて周囲の情報を取り込む。見出す――鉄柵の後ろ、大型機械の影、出口の扉付近に転がった、遺骸、遺骸、遺骸。

 。下は十歳前後、長じていても十四、五歳がせいぜいと思われる体格、骨格。

 。食い荒らされた、というたぐいのものではない。食べたのならば、その傷は欠損として遺体に残る。けれどそれらはどれも創傷として刻まれている。ことごとくが。

 ばぎいっ!

 背後で壁が打ち砕かれ、激しく大気が震えた。

《し――き》

 現れた大蜘蛛の喉が音を鳴らす。嬉しげに。

 それは確かに喜色を表すもののように聞こえた。吐き出す曇るような呼気さえ、楽しい“遊び”に興奮しきりとなった子供が漏らす、無邪気な息づかいの産物に感じられた。

 恐らく気のせいではないだろう。今までの“追いかけっこ”は、この異形の怪物にとっての娯楽だったのだ。

 この場の状況がそれを示している。この工場群はこいつの“遊び場”。そしてここは、設けられた終着点、その一つだ。手傷を負わせた獲物を連れてきて、解き放ち、逃げ回る様子を楽しみながらもてあそんで、最後には食い殺す。一連のプロセスのゴール地点、餌の集積処分場。

 子供ばかりを選んでいるのは、その方が生きがいいからか、餌としての好みか?

 どっちでも大した違いはない。これは――。

《き、き、き、き。き?》

 蜘蛛が顎を鳴らし、首を傾げる。もう逃げないのか、と問うように。もうお前は自分にとって面白いものではなくなるのか、とでも言うように。

 息を深く吸った。今度こそ。

 恐怖と苦痛の中で息絶えた死の気配を腹の底まで感触しながら、最悪の気分で俺は言った。

「なあ、おい。“願い”っていうのは、本気ならどういう馬鹿なやつでもいいのか」

 ポケットから落ち、血溜まりの中で罅割れた端末が答える。

『問題ありません。入力を行いますか?』

「ああ」

 立ち上がる。まだしびれている腕で、少女の遺骸がすがっていたと思しい鉄パイプを拾う。

 瞬間、蜘蛛が動いた。無拍子での突進――足の怪我がなくても、身をひるがえすだけで精一杯の代物。食らえば骨の一本や二本は余裕でへし折れるだろう。相手もそれをわかって繰り出している。そうして選択を迫っている。

 構うものか。

 ――ずぐっ!

《ぎ、いぃぃぃぃっ!?》

 逃げるという選択肢を放棄し、代わりに眼前の怪物の身体部位を精密感覚。無事な右足を軸に一点集中の重心移動を噛み合わせ、黒く光る眼球目掛けて鉄パイプを突き込んだ。

「ぐっ!!」

 当然、俺も無事では済まない。巨壁に正面衝突したような衝撃が襲い、吹き飛ばされる。

 やられたのは腕。どうなっているか見たくもない。事前に息を吐ききった肺はどうやら無事、喉も潰れていない。ならいい。

 体液を噴き、うめく蜘蛛の身体から、やがて激しい熱――怒気の立ち上る感触。

「……は」

 壁に背を当てて起き上がりながら、これでおあいこだ、と笑ってやった。

 そうだ、俺は怒っている。これまでの人生で一番というくらいにいらついている。

「ものは……壊れる。生き物は……すぐ死ぬ。当たり前だ。それは……そういう、もんだよ。だけど、なあ」

 半ばうわごとのように呟く。自分の感情、自分の思考、全てを形にしてはっきりさせるために。

「その“前提”を……。“面白がる”前提にする、のは……嫌いだ。大嫌いだ、そんなのは」

 脆くて儚い。、使い潰してもいい。、どう利用しても構わない。

「そんなふざけたことを考える、やつの、思い通りになるのは……。腹が立つ」

 無性に、この上なく。とても認容、許容出来ないと、腹の底から叫びたくなるほどに。

 だから。

「俺は……。俺が、“願う”のは……」

 大蜘蛛の筋肉が膨張、引き起こされた空気の揺れが感覚へとさわる。

 再度の突進の気配。食らえば今度こそ、直衛佑という存在は一個の肉塊と成り果てるだろう。

 そうなる前に、口にした。

「お前みたいな存在やつの“願い”を、真正面からぶち壊してやる、ことだっ――!」

 瞬間。意識の最下、胸の底へと続く不可視の回路に、何かが通じるのを感じた。

 脳裏に言葉が閃く。飾り気のない機械音声が、無機質に入力の結果をしらせる。

採取サンプリングに成功。深層潜航及び緊急解析、完了よし略式りゃくしき宣告せんこくを実行します――』

 感覚が加速する。刹那の猶与が果てしない静止情景の連続へと置き換えられ、緩慢かんまんさの中であらゆる物事が鮮明に浮き上がる。

 人工の声が告げた言葉の意味を、俺は解釈できなかった。

 けれど、それが必要なものの到来を告げていることはわかった。

 感じたからだ。感触の訪れを。

 心の奥で何かが音を立ててまる。

 同時、精神が一つの確かなもの、世界のどこにいても揺らぐことのない、無二の真なる理解を掴む。

 そしてそれが、促した。俺自身に向けて。言葉にならない声で。

 “願え”

『――“我は告げるキャスト”』

 瞬間、轟音。

 凄まじい速度で迫っていた大蜘蛛のシルエットが、それ以上の高速――風音さえ後にく速さで飛来した大質量の直撃を受け、盛大に横殴りに吹き飛んだ。

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