1-5(-2).起動宣告
『真理とは、ある存在がその根本から感覚し確信するに至った、己だけの真実のこと。あなたが今いる空間――識域で、空想を出力する際の柱となるもの』
「よくわからないけど、ないと困るんだな!?」
『手に入れられなければ、数分と
嫌な未来をあっさり語られる。
『心当たりをさがして。
「最後さらっと言うことじゃなくないか!?」
思わずつっこんだが、その一言で通話は終了。後には機械音声の定型台詞が繰り返されるばかりとなる。
「“連れ合いを助けたい”じゃ駄目か!?」
「
「くそっ!」
ポケットに端末を突っ込み、断片的に伝えられた情報を整理する。
増えた手札は二枚。逃走経路を示してくれる
それが問題だ。他のものなら何とかなるかも知れないのに、よりにもよってそれとは。
“そんなんだと――”
地下街で由祈に言われた言葉が脳裏をよぎった。
ここで怪物に食われて終わる。それは確かにつまらない最期だろう。
――でも。それはこと俺にとっては、ましな終わりとも言えるのではないか?
ふとそんな思いが胸を突く。
だって、俺には“願い”がない。このまま生きたところで何をするあてもない。
ものはいつか壊れる。
由祈のことは気になる。けれどもしここに迷い込んでいるなら、俺にすら手を差し伸べる“味方”のことだ、きっと放置はしないだろう。いや、見方によっては、俺は由祈の救助を遅らせる一因にすらなっているかもしれない。
ならいいんじゃないのか。ここらで、もう――。
「!」
その瞬間、
直感が理由を
何かをしようとしている。でも、何を?
気付けなかった寸秒の分、推測と判断が遅れた。
おりしもタイミングは跳躍の直前。中途半端に踏み切ってしまった俺の後ろ脚を衝撃が襲った。
――ばしゅっ!
燃え上がるような感触が走り、ぐらりと世界が傾く。
感覚が辛うじて捉えたのは、立ちこめる黒雲に鈍く軌跡を残した絹色の光。
「(糸――!?)」
細く、硬く絞られ、高圧で放出された蜘蛛糸の矢。
それが
姿勢が崩れ減速した身体では到底向こう岸には辿り着けない。伸ばした手は空を切り、
「うっ……!」
意識が一瞬飛び、痛みによってすぐさま復旧する。
辛うじて破裂を免れた肺に酸素を取り込もうと、本能が呼吸を促し――別の要因によって、やはり反射的に、ほとんど嘔吐するように
精神を芯まで侵すような濃密な血臭、腐敗臭。
顔を上げた。すぐそばに、
なぜ彼女だとわかるのか? 中学校の指定と思しい、真新しい制服を身に
感覚が遅れて周囲の情報を取り込む。見出す――鉄柵の後ろ、大型機械の影、出口の扉付近に転がった、遺骸、遺骸、遺骸。
どれも小さい。下は十歳前後、長じていても十四、五歳がせいぜいと思われる体格、骨格。
どれも傷ついている。食い荒らされたというたぐいのものではない。食べたのならば、その傷は欠損として遺体に残る。けれどそれらはどれも創傷として刻まれている。ことごとくが。
ばぎいっ!
背後で壁が打ち砕かれ、激しく大気が震えた。
《し――き》
現れた大蜘蛛の喉が音を鳴らす。嬉しげに。
それは確かに喜色を表すもののように聞こえた。楽しい“遊び”に興奮しきりとなった子供が漏らす、無邪気な笑い声のように感じられた。
恐らく気のせいではないだろう。今までの“追いかけっこ”は、この異形の怪物にとっての娯楽だったのだ。
この工場群はこいつの“遊び場”。そしてここは、設けられた終着点、その一つだ。手傷を負わせた獲物を連れてきて、逃げ回る様子を楽しみながらもてあそんで、最後には食い殺す。一連のプロセスのゴール地点、餌の集積処分場。
子供ばかりを選んでいるのは、その方が生きがいいからか、餌としての好みか?
どっちでも大した違いはない。これは――。
《き、き、き、き。き?》
蜘蛛が顎を鳴らし、首を傾げる。もう逃げないのか、と問うように。もうお前は自分にとって面白いものではなくなるのか、とでも言うように。
息を深く吸った。今度こそ。
恐怖と苦痛の中で息絶えた死の気配を腹の底まで感触しながら、最悪の気分で俺は言った。
「なあ、おい。“願い”っていうのは、本気ならどういう馬鹿なやつでもいいのか」
ポケットから落ち、血溜まりの中でひび割れた端末が答える。
『問題ありません。入力を行いますか?』
「ああ」
立ち上がる。まだ
瞬間、蜘蛛が動いた。無拍子での突進――足の怪我がなくても、身を
構うものか。
――ずぐっ!
《ぎ、いぃぃぃぃっ!?》
逃げるという選択肢を放棄し、代わりに眼前の怪物の身体部位を精密感覚。無事な右足を軸に一点集中の重心移動を噛み合わせ、黒く光る眼球目掛けて鉄パイプを突き込んだ。
「ぐっ!!」
当然、俺も無事では済まない。巨壁に正面衝突したような衝撃が襲い、吹き飛ばされる。
やられたのは腕。どうなっているか見たくもない。事前に息を吐ききった肺はどうやら無事、喉も潰れていない。ならいい。
体液を噴き、
「……は」
壁に背を当てて起き上がりながら、これでおあいこだ、と笑ってやった。
そうだ、俺は怒っている。これまでの人生で一番というくらいに
「ものは……壊れる。生き物は……すぐ死ぬ。当たり前だ。それは……そういう、もんだよ。だけど、なあ」
半ばうわごとのように呟く。自分の感情、自分の思考、全てを形にしてはっきりさせるために。
「その“前提”を……。“面白がる”前提にする、のは……嫌いだ。大嫌いだ、そんなのは」
脆くて儚い。だから、使い潰してもいい。だから、どう利用しても構わない。
「そんなふざけたことを考える、やつの、思い通りになるのは……。腹が立つ」
無性に、この上なく。とても認容、許容出来ないと、心の底から叫びたくなるほどに。
だから。
「俺は……。俺が、“願う”のは……」
大蜘蛛の筋肉が膨張、引き起こされた空気の揺れが感覚へと
再度の突進の気配。食らえば今度こそ、直衛佑という存在は一個の肉塊と成り果てるだろう。
そうなる前に、口にした。
「お前みたいな
瞬間。意識の最下、胸の奥へと続く不可視の回路に、何かが通じるのを感じた。
脳裏に言葉が閃く。飾り気のない機械音声が、無機質に入力の結果を
『
感覚が加速する。刹那の猶与が果てしない静止情景の連続へと置き換えられ、あらゆる物事が鮮明に浮き上がる。
人工の声が告げた言葉の意味を、俺は理解できなかった。
けれど、それが必要なものの到来を告げていることはわかった。
心の底で何かが音を立てて
同時、精神が一つの確かなもの、世界のどこにいても揺らぐことのない、無二の真なる理解を掴む。
そしてそれが、促した。俺自身に向けて。言葉にならない声で。
“願え”
『――“
瞬間、轟音。
凄まじい速度で迫っていた大蜘蛛のシルエットが、それ以上の高速――風音さえ後に
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