迷いの森のメイコさん
シンカー・ワン
メイコさん
とある地方都市の郊外、里山の麓に小さな森がある。
人の手が入ったその森は、近くに住む子供たちには恰好の遊び場で、大人たちには憩いの場所だ。
地図に表記される名は "
だけど、この街に住む人々はその森の事を "
適度に伐採されているから陽も差し易く、遊歩道なども整備されているのに、稀に、ごく稀に迷う人が出るのだ。
迷うと言っても大人数での捜索が入ったとか、そう言った事故レベルのものは一切なく、森でそういう体験をした者が身近な人たちに「実はこんな事が……」とこぼしたのが口コミで伝わり、いつの間にか広まって人々に知られるようになったのである。
迷った人には皆共通するところがあって、その当時何かしらの悩みや心配事を抱えており、行くつもりがなかったのにも拘らず、なぜか誘われるように森に入ってしまったという。
そしてしばらく迷ったのち、答えらしいものを見つけると、森から出られるようだ。
迷いの森から抜け出してきた者は、皆口を揃えて言った。
"森の中でメイコと名乗る、不思議な女性に遇った" と。
その女性と出会う事で抱えていた問題の解決の糸口を見つけ、森から外界へと戻る事が出来たのだと。
以下は、迷いの森で彷徨ったのち、帰還した者たちから得られた証言の一部である。
十代女学生の証言。
"あれは私がまだ小さかった……、四つか五つの夏の日でした。
些細な事から仲良しの子と言い争いになって、とてもひどい事言ってケンカ別れしちゃったんですよね。
プンプンしながら家に帰る途中で、やっぱり言い過ぎちゃったな、悪い事しちゃったなとか、そういう気持ちが強くなってきて……、そしたらいつの間にか森の中に居たんです。
宵の森には良く遊びに入っていたから、ここが宵の森の中だって事はすぐに判ったんですけど、どんなに歩いても歩いても森の外へ出られなくて、もう怖いやら疲れたやらで、近くにあった木の根っ子に座り込んじゃったんです。
このままずっと森から出られないのかなって怖くなってぐずぐず泣いてたら、その人が現れたんです。
「そんなところに座り込んじゃって、どうしたのかな?」
って、とても優しげな声が聞こえて、声のした方に顔を向けたら、綺麗な長い黒髪をそよ風になびかせた、柔らかい緑色の涼しげなブラウスを着てネズミ色のスカート穿いた、今の私くらいの年頃の女の人が立っていました。
大人っぽさとか落ち着き具合は全然及びませんけどね。
その人は私に近付くと優しい笑顔を向けたまま、
「わたし、メイコ。横、座っていい?」
て言うと、私の返事も待たずに体を触れ合うようしてに腰を下ろしてきました。
心細かったところに人の温もり感じて、気が緩んだんでしょうね、私ワンワン泣き出しちゃって……。
その女の人、メイコさんはそんな私を優しく抱きしめると、頭を撫でながらあやしてくれてました。
私が泣き止んでから、メイコさんはもう一度私がここに居る訳を訊ねてきて、私はお友達と言い争いしてケンカしちゃった事とか話したんです。
話してるうちにまたケンカしちゃった事が悲しくなって泣き出しそうになっちゃったんですけど、メイコさんがまた優しくなだめてくれながら、私はどうしたいって思っているのかとか訊いてきて、私はもうこんな悲しい気持ちになりたくないから、謝りたい仲直りしたいって答えて……。
そうしたらメイコさんが
「ならそうしないと」
って言うと、私の手を取って立たせてから、そのまま歩き出したんです。
手を曳かれるまま歩いてると、あんなに迷ってたのがウソみたいにすぐ森の外に出てました。
メイコさんは腰を落として、私の目線と同じ高さになってから、
「さ、仲直りしに行かないとね?」
そう言って私を送り出してくれて。私は何度も振り返って手を振ってお礼を言いました。
メイコさんは、森の出口に佇んだまま、笑顔で見送ってくれてました。
その笑顔がなんていうか、とっても素敵でなんだか気持ちが暖かくなっちゃったの良く覚えています。
……私はその足ですぐお友達のところへ行って、謝って仲直りがしたいって伝えて。そしたら友達の方も同じ事思っていたみたいで二人で泣きながら仲直りしましたよ。
ケンカしちゃったその子とは今も続いています。私の大親友です。
あれから何度も森に行きましたけど、迷うような事は無くてメイコさんにも会う事は無かったです。
本当にただ偶然出会っただけの人かと思っていたんですけど、年齢を重ねていくうちに迷いの森の噂が耳に入ってきて……。
きっと一度迷った経験のある人は、あの森ではもう迷わないんでしょうね。私あの時よりも大きな悩み抱えた事ありましたけど、森で迷う事はなかったですから。
……少しだけ残念なんですよ、もう一度メイコさんに会って、あの時のお礼ちゃんと言いたかったですから。"
三十代後半男性の証言。
"高校受験を控えてた秋だったな、俺があの森で迷ってメイコさんに会ったのは。
勉強が全然捗らなくてイラついていた時に、それまでほとんど俺に干渉してこなかった親父が
「勉強はどうなんだ? ちゃんとやっているか?」
とか言い出してきて、俺は今になってなに言ってんだとか、抱えてたストレスの全部を親父のせいにして勝手に憎むようになってた。
サラリーマンの親父の事、見下してたんだよ、あんたは黙って家に金だけ運んでいりゃいいんだよってね。
……恥ずかしい話、尖がりまくってた。
ストレスがピークになってた頃、学校帰りに通学路の近くにある宵の森になぜか足が向いて、そして迷ったんだ。
ガキの頃散々遊びまくったところだから、広さも道なりもわかっていたはずなのにどういう訳だか一向に外に出られない。
もう気が立ってイライラして、拾った枝ぶん回してそこいらじゅうに当り散らしてたんだ、そしたら
「あぶねーな、周りに気をつけろ学生っ」
って、若い女の声で怒鳴られた。
人がいるって声のした方向いたら、赤みが強い、短めの跳ねた髪型した、目付きのきっつい、二十代半ばくらいの、スラッとした体格の女の人が立ってた。……結構な美人だったよ。
苛立ってた俺は、危ないならどいときゃいいだろとか、口答えしてまた枝ぶん回しだしたんだ、そしたらその女がさっと俺に近寄って来て、
「目上に対する態度じゃないねっ」
って、言うなり枝持っていた俺の手を捻り上げて、あって思ったら、地面に押さえつけられちまってた。
関節極められるのがあんなに痛いものだとは知らなかったね、みっともないくらいに喚いて参ったしてやっと解いてもらった時にゃ、俺抵抗する気持ちなくなってましたよ。
その場での力関係を、身に染み込まさせられたってのかな? なんか敵わないって気持ちにさせられて。
ちょっと落ち着いてから、どうしてこんなところにいるんだとかなんやかんや訊かれて。
で、こっちは溜まりまくってた親父や受験、その当時の人間関係とかのストレスやらなんやを一切合財吐き出した訳ですよ。
そしたら返ってきた言葉が、すっげぇ冷めた口調で、
「ガキが、なに言ってんだか」
ですよ。しかも思いっきり蔑んだ感じで。
さすがにカチンと来てあれこれと言い返したら、ものすごく呆れ返った顔になったあと、据わった目付きで、
「その親の稼ぐ金で生かしてもらっている分際でなに言ってる。おまえが着ている服も、本やらノートやら全部親の金で手に入れたものだろうが。義務でもない高校行くのだって親の金でだろ? ……なぁおまえ、自力で金稼いだ事あんのか? 人ひとりが生きるために、どれくらい金が必要になるのかわかってるか? それを何人も養うのがどれくらい大変な事だか理解しているか? してないだろ? だから自覚も無くそんな甘ったれた事がぬかせんだよ。自活も出来ていない扶養家族、親に文句言いたきゃ、まず自立してから言いやがれ!」
って、凄みのある声で怒鳴られましたよ。
冷や水ぶっかけられた気分で、頭に上がってた血が一気に下がりがりましたね。
同時に自分の浅はかさを思い知らされて、穴があったら埋まりたいくらいの気持ちになりました。
言うだけ言ってスッキリしたのか、その人は大人しくなった俺にそれまでとは違う、なんか優しげな声で、
「今すぐ判れとは言わない。けどいつか親の気持ちが判る時が来る。それまで腹立つ事もあるだろうが我慢して子供やってろ」
そう言って座り込んでる俺の頭、撫でてきました。
子ども扱いされるのにカッときたけど、でもやっぱ自分はまだガキなんだって思いなおして、されるままにしてましたわ。
……その、撫でられてるのが気持ちよかったってのもあるんですけども。
そっからしばらくして、帰らなきゃって気持ちが強くなってきたんで立ち上がったら、どういう訳か目の前がすぐ森の出口でした。放り投げてたカバンとか拾って
「もう帰る」
って言ったら、
「そうしな。で、帰ったら親父さんに一言な」
女の人が悪戯っぽく笑いながら返してきましたよ。なんかもう敵わねぇなぁって思いながら、
「あんがと」
って頭下げて名前訊いたんですよ。なんか覚えときたくなって。
そしたら人の名前訊く時は? って返されたんで俺の名前言ったら
「メイコ。宵の森の主メイコさんだよ」
って、豪快に笑いながら教えてくれましたよ。
そん時メイコさんの向けてくれた笑顔、俺はきっと一生忘れません。
……それから色々あって今に至るんですけど、宵の森で二度とメイコさんに会う事は無かったです、勿論街中でも。宵の森の噂はその後知りました。
……今俺の子供が高校受験でしてね、心配でついあれこれと口出しちまうんですよ、そしたら子供が鬱陶しがって。
あれから二十何年経って、自分が親になって初めてあの頃の親父の気持ち、判りましたよ。
ちょっと判るまで時間かかりすぎちゃってますが、あの日諭してくれたメイコさんには感謝しかないです。出来る事なら、もう一回会ってちゃんとしたお礼言いたいんですけど、それは叶いそうもありませんわ。
……そうそ、俺の女房なんですけど、メイコさんにちょっと似てるんですよ、顔付きとか、あと少しばっか気が強いところとかが。"
八十代男性の証言。
"長年連れ添っていたばあさんに先立たれまして、急に気の抜けた風船というか、気持ちそのものが弱くなってしまいまして、このまま生きていても仕方ないとか、そう思うようになっていた時、宵の森で迷ったのですよ。
宵の森はばあさんとよく散策に来ていて、勝手知ったるなんとやらだった筈なんですが、その時ははじめて入った見知らぬ場所のようで、出口を求めて歩いているうちに、弱りだしていた足腰が音を上げまして。
近くにあった切り株に腰を下ろして、体を休ませながら、果てさてどうしたものかと思いを巡らせておりました。
気持ちが弱っていたからでしょうね、ここで迷ったままのたれ死ぬのもいいかもしれないとか思ってしまっていました。
ばあさんの居ないこの世に未練もないかなと。段々とここで死ぬにはどうすればとか、良からぬ事を考えはじめていた時でした。突然、
「おじいちゃん、こんなところでなにしてるの?」
と、すぐ傍で声がしたのです。
声のした方へ目をやれば、おかっぱ頭で萌葱色の洋服を着た、三才くらいの女の子が、いつの間にか私の傍らに立っていたのです。
ついさっきまで私の他には
「あたしメイコ。おじいちゃんどうしたの? おあしがいたくてあるけないのかな?」
とか実に心配そうに訊いてくるのでした。
私を心配する気持ちが真っ直ぐなその眼差しからうかがえましが、この世に諦めを覚えつつあった私は、ばあさんが居なくなって生きていても空しくなっている事などを、出来うる限り判り易い言葉を使ってその幼い女の子、メイコちゃんに話していました。
メイコちゃんは難しげな顔をして少しの間頭を捻っておりました。伝わりはすれど理解は出来ないだろうとその様子を眺めていると、
「でも、それでおばあちゃんはよろこぶのかな?」
メイコちゃんが難しげな顔のまま私に問い返してきたのです。
えぇ、見た目の幼さよりもずっと利発な子だと、思いましたね。
その問いかけに、ばあさんひとりであちらに居ても寂しいだけだろうから、早く行ってあげた方がいいに決まっているよと言葉を返しますと、
「おばあちゃん、そんなふうにおもいながらあっちにいっちゃったの?」
メイコちゃんはこんな事を言ってきました。
メイコちゃんの言葉に、私はばあさんの亡くなる際の事を思い返しました。
ばあさんは天寿を全う出来たと言っていたっけ、そう、少しも未練がましい事も寂しげな事も言ってなかった。
思い返している私に、メイコちゃんがさらに言葉を投げかけてきまして。
「おじいちゃんがそんなふうにおもっているの、おばあちゃん、きっとかなしいんじゃないかな?」
その言葉に私は雷に撃たれた気がしましたよ。
あぁ、ばあさんがこの場に居て、後を追うようなバカな事を考えている今の私を見たら、きっと叱りつけるだろう、何を弱気になっているのだと。
「ねぇ、おじいちゃんは、なにか、たのしみにしていることはないの?」
ばあさんに叱られる光景を思い浮かべていた私に、メイコちゃんが尋ねてきます。
そんなメイコちゃんを見詰め返しているうちに、ばあさんの葬式に集まってきた子供たちや孫たちの事が思い出されました。
そうだ、嫁に行った孫のひとりが妊娠中で、ばあさんにひ孫を抱いてもらいたかったと泣き崩れていた。
ああ、まだ私にはやるべき事がある。
ばあさんの代わりにひ孫を、私たちにとって初めてのひ孫をこの手に抱こう。その子が大きくなるのを見届けよう。ばあさんの分も見守っていこうじゃないか。
私は自分に納得させるよう、うんうんと二度三度頷いてから、こちらをじっと見詰めるメイコちゃんに笑って答えました。
「そうだね、じいちゃんにはまだやらないといけない事があったよ。ありがとうねメイコちゃん、思い出させてくれて」
そんな私の言葉にメイコちゃんは、とても嬉しそうに、
「うん」
と、花のような笑顔を返してくれました。
その笑顔は、浮かべさせられた事を自分に誇れるような、愛らしい素敵な笑みでした。
メイコちゃんと問答をしていた間に私の足腰の痛みはすっかり引いており、弱気もどこかに消えていました。
そうなるとメイコちゃんのような小さな子が、こんなところにひとりで居る事の不自然さにようやく気がつき、この子を連れてきたであろう親なり身内なりを探さねばと使命感に突き動かされました。
この子の身内に会ってお礼が言いたかった事もあったのですけどね。
「メイコちゃんのうちはどこなのかな、じいちゃんに 送らせてもらえないかい?」
そう言ってメイコちゃんを促すと、メイコちゃんはその小さな手で私の手を取り立ち上がらせ、
「こっち」
と言って歩き出しました。
メイコちゃんに導かれるまま進むと、いつの間にか私たちは宵の森を抜け出していました。
無事に出れた事にほっとしたのち、メイコちゃんにお家の場所を訪ねようとしましたが、繋がれていた手はいつの間にか離れてメイコちゃんの姿もありませんでした。
はぐれたのかと私が焦りながら森の方を振り返ると、森の入り口で微笑むメイコちゃんが居ました。
連れに行こうと足を動かそうとした時、微笑んだままのメイコちゃんの口から、彼女のものとは思えない大人びた声で、
「あなたはもう迷っていません。そのままお帰りなさい」
そう告げられました。
突然の事に驚いた私が留まったままで居ると、メイコちゃんはゆっくりと振り返り、森の中へと消えて行ってしまいました。
すぐに後を追いましたが、初めからそこには存在しなかったかのように、メイコちゃんの姿はありませんでした。
私は彼女に告げられたように、森から離れ自宅へと帰りました。
それからしばらくして無事にひ孫が生まれ、もうすぐ初めての七五三を迎えます。
……たぶんもう二度と出会う事はないのでしょうが、叶うなら会いたい、会ってメイコちゃんにあの日のお礼が言いたいですよ。ありがとうってね。"
三件の遭遇例の証言をお届けした。
証人たちが彼女に出会った年代もバラバラなら、その姿かたちもまるで違う。
三者に共通しているのが宵の森で迷い、メイコという女性と出会って、その時に抱えていた悩みや心配事が解消された事である。
メイコという女性は、はたしていかなる存在なのであろうか?
里山近くで代々農家を営む老人が言うには、
「ムジナだよ、ムジナ。あの山には大昔から人を化かすムジナが住み着いていて、里に降りてきてはよく悪さをしていたそうだ。ある時、旅をしていたえらいお坊様が立ち寄って、ムジナを捕まえちまった。お坊様に懲らしめられたムジナはこれからはけして悪さはしない事を約束して許してもらったそうだ。昔話だがな、案外今もそのムジナの子孫が住み着いて、お坊様との約束を守って人助けをしとんのかも知れんなぁ」
作家志望で厨二病絶好調の現役男子中学生曰く、
「実は宵の森の地下には竜脈、いわゆるレイラインが何本も交差しているのですよ。そこから生じる超自然パワーが、あの一帯の磁場や重力、そして生物の感覚を乱し、錯覚と認識阻害の作用を及ぼし、宵の森を迷宮に作り上げているのですっ。地下から溢れ出てくるパワーはこの世界の
……。
様々な憶測や考え方があろう。
それらはもしかしたら正しいのかも知れないし、全くの見当違いなのかも知れない。
だが、ふたつだけ正しい事がある。
宵の森は時に迷いの森と化し、人々に考えるための時間を与えるという事。
そして、森にはメイコという謎の女性が存在し、迷う人々に手を差し伸べてくれるという事である。
迷いがあるなら、よく目を凝らして見るといい。
宵の森を、そこに佇む女性の姿を。
彼女の名はメイコ。
迷いの森で、迷える人を導く、心優しき謎の
「で、こんなところでどうしたのかな?」
迷いの森のメイコさん シンカー・ワン @sinker
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