第13話 シャー芯の君


「それで、どうだったかしら?我が美術部の古代アトランティス展は」


 シャー芯のきみはそう問いかけてくる。


 しばらく宙を見つめたまま、俺は考える。心の深いところから、様々な感情が泡沫うたかたのように現れては消える。


「そうだな・・・・・・すげーよかった。俺の乏しい語彙力じゃとても表現できないくらいに」

「ふーん・・・・・・」


 並んで歩いていたシャー芯の君は、少しだけ足早に歩き、俺の前の方へと進み出る。そしてくるりとこちらを振り返る。その口元に笑みを浮かべながら、楽しげに俺を見てくる。


 あれ?「まるで小学生みたいな感想ね」とか言われるかと思ったんだけれど・・・・・・こういう反応ってのは、ちょっと意外だな。


「ありがとう、フーコー先輩。そう言っていただけると嬉しいわね」


 素直に感謝の意を述べる彼女。


「そうか?あまり大した感想じゃないと思うが・・・・・・」

「いいえ。言葉にならないくらい心を動かされた、ていうのはあなたの口調から分かるわよ。美術部を代表して、もう一度お礼を言わせて。ありがとう」

「そんな・・・・・・別にいいよ。お前たち美術部の努力の賜物だろ」

「かもしれないけれど・・・・・・」


 シャー芯の君は、少しの間だけごにょごにょと口ごもる。それから、また話を続ける。


「私ね、正直嬉しかったのよ。すごく嬉しかった。あなたが来てくれて。ひょっとしたら来てくれないかも、てちょっと不安だった」

「へえ・・・・・・お前でも不安になるのか」

「なるわよ。それこそ、夜も眠れないくらいに・・・・・・いえ、夜はぐっすり眠っていたわね」

「なんだよそれ」


 どちらからともなく俺とシャー芯の君は笑い合う。


 お互いに笑う、という行為はこんなにもなごやかなものだったのだな。そんなことに今更ながら気付かされる。


「とにかく、今日は本当にありがとう。深甚しんじんなる感謝を捧げます」


 深々と頭を下げる彼女に、俺もつられて頭を下げる。



 それからシャー芯の君は、俺を校門まで送ってくれた。


「それじゃ、またね」

「ああ、またな・・・・・・りーちゃん」

「もうっ、その名前で呼ばないでって言ったでしょ」


 ちょっとだけ怒りを露わにするシャー芯の君。


「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。お前は俺のことをずっとフーコー先輩呼ばわりしてさ・・・・・・本名で呼んで欲しいのか?」

「あなた、私の本名を知らないでしょ?」

「ん?知っているけれど」

「え?」


 キョトンとした表情になるシャー芯の君。


「だってさ、あの古代アトランティスの歴史について書かれた冊子。あれ、お前が書いたんだろ?あの冊子にばっちり名前が載っていたじゃん・・・・・・綺麗な名前だな」


 シャー芯の君の顔が、夕日のように真っ赤になっていく。


「み、みたのね。わたしの名前を・・・・・・信じらんないっ、ヘンタイっ、ひとでなしっ!」

「ちょっ、落ち着け・・・・・・どうしてそうなるんだ・・・・・・」


 シャー芯の君のあまりの取り乱し方に、俺はたじろぐ。


「だって、名前を人に知られるって、大変なことでしょ?ハリーポッターでも“名前を言ってはいけないあの人”っていうし、平安時代の女性たちも、普通は本名は明かしていないし・・・・・・」

「お前はどんな世界、どんな時代に生きているんだよ・・・・・・」


 でも、彼女の気持ちも少しは分かるかな。俺たちはずっとこうやって、互いに名前を明かさないままに、よく分からない関係を構築してきたのだから。


 俺はシャー芯の君をなだめつつ、会話の接ぎ穂を探す。


「・・・・・・分かったよ。じゃあこうしよう。俺の本名を今から教える。それでおあいこだ」

「ダメよ」


 俺の提案を即座に却下するシャー芯の君。


「あなたが私の名前を、間接的に知ったみたいに、私も同じようにするのよ」

「というと?」


 俺の問いかけに、シャー芯の君は少しの間だけ、視線をさまよわせる。それから、意を決したように、まっすぐな瞳で俺を見てくる。


「・・・・・・あなたの大学の文化祭に、行ってもいいかしら?そこで、あなたのサークルの展示を見て、私はあなたの名前を知るの。それでいい?」

「・・・・・・ああ。それでいいよ。というか、よく俺のサークルが展示をする予定だって、分かるな。お前に俺のサークルの話ってしたか?」

「いいえ。でもあなた、どう見ても体育会系のサークルじゃないでしょ?文芸部とか、イラストサークルとか。インドア系って感じだけれど」


 よくそこまで決めつけれるな。ほぼ正解だから、反論できないが。色々と複数の文化系サークルを掛け持ちしているのだ、俺は。


「だけれど、もうちょい先だぞ?うちの大学の文化祭は」

「ええ。それで構わないわよ。あなたの名前、絶対に見つけてやるんだから。それじゃ、またね」


 そう言うと、シャー芯の君はくるりときびすを返し、校舎の方へとスタスタと歩いていった。



 ひとり帰路に着きながら、俺は思考を巡らす。


 うちの大学の文化祭のチラシは、もう少ししたら出てくるだろう。


 俺はそれを、シャー芯の君に手渡す。場所はいつもの電車の中。俺の不格好な手から、彼女のほっそりとした手へと、チラシが渡される。


 彼女はそのチラシを家へと持って帰る。そして、文化祭当日。そのチラシを片手に、彼女はキャンパスへとやってくる。


 きっと彼女は、意地でも俺の参加した企画を見つけ出すだろう。そして、俺の名前を遂に発見する。


 そのとき、たかがシャー芯一本の貸し借りから始まった俺たちの関係は、ようやく、新しい段階へと向かうだろう。どんな風に?そこまでは分からない。そこまで大した進展はないかもしれない。それでいいじゃないか。たかがシャー芯一本、されどシャー芯一本。でもきっと、そこには新しい風景が広がっているはずだという揺るぎない確信が、俺の中にはあった。


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シャー芯の君 いおにあ @hantarei

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