97:時間稼ぎのお時間(1)
クトゥグァ。
かの暴虐の炎神に出会わないことには、俺の策は前に進まないのだった。
でも、会えなかったんだよね。
本当にさっぱり会えなかった。
この集落においても、ルルイエもどきの周辺でも出会うことは無かった。
そもそもとして、黒色の集団に会うことすら無かったのだ。
あるいはルルイエもどきへの襲撃で弾切れだったのかどうかだが、とにかく会えなかった。
俺の策が前進することは無かった。
よって、時間が必要なのだ。
もはや瀬戸際な現状ではあるけど、どうにかして時間を稼いでいく必要がある。
一応、光明らしきものは見えていた。
俺は激こわ無表情のアリシアさんからは目をそらし、その背後へと目を向ける。
そこには呆れ顔のブワイフさんがおり、さらにその背後には無数の魚顔の人々がいる。
(多分、連れてきてくれたんだよな)
彼らは弱くはないが、俺たち相手に戦えるほどではあり得ない。
きっと、ブワイフさんが何かしらの理由をつけて連れてきてくれたのだ。
それでは何故連れてきてくれたのか?
そんなものは決まっていた。
黒色が標的とするのは、植物の緑であり人の命である。
彼女も俺と同じことを考えていたのかどうか。
ユスティアナさんが俺にひそかに囁きかけてくる。
「……ここにはかつて無いほどの数の人が集まっています。黒色の怪物どもの襲撃、クトゥグァの出現の可能性は少なからずあるかと」
『ですね。時間稼ぎをする価値は……』
「十分にありますし、そもそもそれ以外に我々に道はありません」
彼女の発言は至極もっともだった。
ブワイフさん曰くだが、現状で俺たちに勝ち目は無い。
なんとかして時間を稼ぎ、クトゥグァの出現を待ち受ける必要がある。策を前に進める必要がある。
しかし、うーむ。
俺なりに頭を捻った結果のフルーツバスケットだったけど、どちらかと言えば地雷寄りの結果だったと言わざるを得ない。
俺にこれ以上時間を稼げそうかと言えば、それは正直無理そうだ。
「では、御使い様。ここからは私が」
ということで、バトンタッチだった。
ユスティアナさんが前に出る。
アリシアさんは
「貴女は大丈夫でしょうね? そこの間の抜けた神格とのような
「ご心配なく。ただ、話題自体は私も同じものを口にするつもりですが」
「ふむ? 話し合いたいというもので?」
「その通りです」
アリシアさんはあごに手を置き、わずかに首をかしげる。
「話し合いですか。降伏したいと言うのであれば、その余地はありますが。その神格を差し出しさえすれば、貴女たちの無事は保証しましょう。尊き方の下での平穏を約束します」
俺はアリシアさんの背後、クトゥルフの軍勢を見渡す。
現状、敗北は必至。
ヘタレスライム一匹の犠牲ですむのであればって、そんな結論が出ても仕方のない状況には思えるよね。
ただ、俺の背後から伝わってきた雰囲気は失笑だった。
ユスティアナさんはと言えば、濃い苦笑をその端正な
「慈悲深い申し出なのかも知れないが、遠慮させてもらいましょう。生き延びたところで、それがクトゥルフの召使いとしての生なのであればどうなのか? 人としての生とは決して呼ぶことは出来ますまい」
「そこは見解の相違ですね。より高次元の生だと私たちは思いますが……しかし、それでは? 話し合いとは降伏についてでは無かったので?」
「もちろん。我々はそちらの子供を1人預かっている。そのことは承知していますな?」
案の定として、最初のざわめきは魚顔の人たちにおいて起こった。
俺にあの子を託した当人たちだから当然だろうね。
無事が確認出来たためだろうけど、彼らのざわめきには多分に安堵が含まれているようだった。
一方で、触手ヅラたちは「誰それ……?」って感じのざわめきだ。
魚顔の人たちがどれだけ必死に隠し通そうとしていたのかだったり、あるいは触手ヅラたちの魚顔たちへの無関心がうかがえる反応だよねぇ。下級の存在とかって見下してそうだったもんね、うん。
んで、問われた当人だ。
多分、人の子を
アリシアさんはさも不思議そうに首をかしげた。
「子供……ですか? 一体何の話でしょうか?」
なかなかの役者ぶりだったけど、嘘をついていることについて言及する意味は特に無いのだ。
当然のこととして、ユスティアナさんは平然と話を進める。
「クトゥルフによる軽度の
これはきっと、魚顔の人たちにとって朗報だった。
託した子供がすっかり人間に戻れたこともそうだし、彼ら自身が人に戻る希望を見いだせるものであるし。
ただ、実際に彼らがどんな反応をしたのかって、それを俺が目にすることは出来なかった。
なにせ触手ヅラたちの反応が劇的であり、そちらに注目せざるを得なかったのだ。
「嘘だ!!」「あり得ない!!」「屈辱的な侮辱だ!!」などなど。
ユスティアナさんの告げた内容は、よっぽど彼らにとっては受け入れがたいものだったらしかった。
まぁ、不可侵にして絶対なる存在だからこそとクトゥルフに心酔しているっぽいもんね、彼らね。
クトゥルフの価値を損なうようなこの話は、そりゃ否定したくもなるでしょうとも。
しかし、これはただの事実だ。
怒声の嵐の中でも、ユスティアナさんに動揺はまるで無い。
それどころか彼女は余裕たっぷりに彼らを見返す。
「そうだな。貴殿らについては正直同情を禁じ得ない。無上無欠の存在だとして信奉していたのだろうが、その実は無上とも無欠ともほど遠い存在だったのだからな」
そうして彼女は、アリシアさんに対して首をかたむけて見せる。
「どうだろうか? 信じられぬとあれば、その子をここに連れてくるが? 目の当たりにした方が断然理解は早いだろうからな」
怒号の嵐は、いよいよをもって頂点の様子だった。
「だったら連れてきてみろ」「見せられるものならばやって見せろ」と、触手ヅラの人たちは顔を赤紫にして怒鳴り上げている。
(……よーしよし)
一方でと言うか、俺はほくそ笑む的な胸中だった。
さすがはユスティアナさん。
いーい感じに時間を稼いで下さっている。
あの子を連れて来る過程でもけっこうグダグダ出来るだろうし、この先もけっこう稼いでいけるんじゃないかな?
とにかく、なんとしても時間を稼ぐ。
黒色の襲撃を……クトゥグァの出現を待ち受ける。
それが大事なんだけど、んー?
俺はなんとも嫌な予感に襲われることになった。
熱を帯びる異形の集団の中で、彼女だけは違った。
アリシアさんに激昂の様子など欠片も無く、考え込むように小首をかしげている。
「……時間稼ぎでしょうか?」
そして、彼女はそんな呟きを発したのでした。
一瞬で場は静まり返る。
アリシアさんは俺をじっと見つめてくる。
「時間を稼ぐことさえ出来れば勝機は見える。我々に勝つ見込みが出てくる。貴方は無策では無かった。そういうことでしょうか?」
俺は無反応を選ぶことになった。
言い繕うことが出来るような才能に縁は無いので、これが俺の最善手だろうし。
ただ、この場の雰囲気自体が何よりも雄弁であったろうか。
アリシアさんは一瞬だが苦渋らしき表情を見せた。
彼女の胸中は理解出来るような気がした。
時間を稼きたいのであれば、それに付き合ってやりたい。
自分を滅ぼすに足る策があるのであれば、それを実現させてやりたい。
そんなことを思われたのじゃないかな?
ただ、そんな選択は彼女の良心が許さなかったのだろう。
「……茶番はここまでです」
アリシアさんは冷厳として俺たちをにらみつけてくる。
「我々には無駄なあがきに付き合っている時間は無いのです。尊き方のもたらす真に平穏なる世界のため……全力を尽くさねばならないのです」
まぁ、そうだよね。
俺たちはまだ、彼女にその夢を諦めてもらえるだけの実力を見せられてはいないのだ。
そうなると、彼女はこの道を選ぶしかない。
クトゥルフによる平穏に異を唱える俺たちを全力で排除するしかない。
はたして、俺の策を伝えたら彼女は何を思うのか?
そんなことを考えたりもするけど、まぁダメか。
多分、鼻で笑われるだけだし。
それどころか、最善の行為として妨害を受けてしまうことも考えられる。
となると、ここからは第2プランだ。
俺はユスティアナさんと目線を交わす。
おそらく意思の疎通は出来たので、それでは始めるとしましょうか。
『リリーさんっ!! リンドウさんっ!!』
当然、打ち合わせはすんでおり、あの子たちは予定通りに動いてくれた。
リリーさんは両手で、リンドウさんは全身を振るようにして籐カゴの中身をばらまく。
南国フルーツの数々を、アリシアさんらクトゥルフの軍勢にぶちまける。
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