90:『これまで』と『これから』
昼の間に集落に戻ることは叶わなかった。
枯れ木の森で、焚き火を起こしての夜営となった。
『……にぎー』
んで、俺はと言えばわちゃわちゃ。
リリーさんとリンドウさんにもみくちゃにされているのでした。
俺との再会を喜んでくれていると思えば嬉しかった。
ただ、うん。
なかなか過激な愛情表現だった。
コイツは私のもんじゃっ! て感じでしてね。
「きゅきゅきゅきゅ……」
「ぎぎぎぎ……」
リリーさんはそのお手々で、リンドウさんはそのお口で俺を引っ張り合ってくれているんだよね。
俺、モテ期。
なのはまぁ良いとして、この子たちはどちらも俺よりはるかに強いからなぁ。
(ちぎれるぅ……)
そんな未来が脳裏に明確に描けるのだった。
実際、俺の体は煮すぎたハンペンみたいになりかけてるし。
ただ、それも別に良いかもね。
ちぎれちゃったら、もう色々考えずにすむし。
ただ、
「こ、こらーっ!! 何をやってますか貴方たちはっ!!」
若干期せずだけど救世主の登場だ。
ユスティアナさんが慌てて仲裁に入ってくれた。
注意されて分からないこの子たちでは無いのだ。
俺が分身しそうになっていることにも気づいてくれたようで、しぶしぶだが離してくれた。
ユスティアナさんはほっと胸を撫で下ろした。
俺の前にしゃがみこんで心配の目を向けてくれた。
「大丈夫ですか? お体に問題は?」
俺はジッと彼女を見つめることになる。
優しいよねぇ。
ただ、俺はその優しさに喜びでは無く、罪悪感のようなものを抱いていた。
そうだ。
俺はこの人に1つ謝らなければならないことがあったのだ。
『……すみませんでした』
「は、はい?」
『貴女が聖女だなんて嘘をついてしまいまして、まことに……』
「いえいえ。そんな謝っていただく必要など……は? 嘘? ちょ、ちょっと待って下さい!! それはちょっと予想外と言うか、その心づもりは無かったと言うか……っ!! って、あ」
常ならず動揺した彼女だったが、申し訳無さそうに口をつぐんだ。
この場には、ユスティアナさん以外にも人間さんが3人ほどいる。
その1人が眉をひそめて、シーッと唇に指を当てていた。
行為の理由は明白だった。
焚き火から少し離れ、簡易な寝床で寝息を立てている小さな人影がある。
魚顔の人々から託された例のあの子だ。
お湯と変わらないような大麦の粥を口にして、それ以降ずっと寝入っている。
どうして今までの生き延びてこられたのか分からない。
ユスティアナさんは、あの子の寝顔にそんなことを呟いておられたっけか。
俺は分かるような気がした。
理屈とかじゃなくって、死ねなかったんじゃないかって。
魚顔の彼らは、あの子を人として生かそうとしていた。
その思い、願いを受け、あの子にはそんな選択肢は無かったんじゃないだろうか。必死に生き続けてきたのじゃないだろうか。
(……だよなぁ)
俺は『はぁ』と一度胸中でこぼす。
ダメだよな、うん。
思考停止するのはさすがにダメだ。
俺はユスティアナさんをあらためて見上げる。
『……良いですか? ちょっと2人で話をさせてもらっても?』
正確には1人と1匹だろうけど、ともあれ俺は内緒話を希望だった。
話題は、彼女──アリシアさんについても絶対及ぶだろうし。
彼女についての話は、まずはユスティアナさんに聞いてもらった方が良い気がするし。
一応、俺の真剣味みたいなのは伝わったのかね?
聖女偽証罪的に気になる点はおありだろうけど、彼女は真剣な顔つきで頷いてくれた。
「分かりました。少し移動しましょう」
ということで、俺は彼女と共に焚き火を離れる。
立ち話もなんなので、倒木がある場所を選び、彼女にはそこに落ち着いてもらった。
「では、早速お願いします。察するところではおそらく、聖女を騙るあの者についてですか?」
彼女らしいと言うか、端的に本題について切り込んできた。
俺は頷き的に前後に動く。
『えぇ。それで間違いないです』
「何か分かったのですか? あの魔性が何故アリシア様の姿を模していたのか。アリシア様はあの魔性の手にかかったのでしょうか?」
まぁ、彼女的にはそう思えてもおかしくないだろうね。
ただ、俺の理解は違うのであり、それが彼女への伝えたいことだった。
『多分、当人です』
「は?」
『彼女はおそらく貴女の知るアリシアさん当人です』
ユスティアナさんは目を丸くし絶句した。
肯定は望めないらしい。
彼女の顔に、出来損ないのような愛想笑いが浮かぶ。
「あー、御使い様? 何をおっしゃられているのか理解出来ないのですが。アリシア様と、あの邪教の狂信者が同一人物だと? まさかそんな」
彼女の瞳には怒りの色すら浮かんでいるように思えた。
それはそうか。
敬愛する聖女様への侮辱だって、怒るのが自然の感情だろう。
だが、俺はそう思ったのだ。
小心者の俺としては
意を決して意思を伝える。
『判断は貴女に任せます。俺が経験したことについて聞いて下さい』
一応、俺の真剣味が伝わったのかどうか。
彼女は俺の話に耳をかたむけてくれた。
アリシアさんの見せた、思わぶりな発言、振る舞い。
彼女の理解者らしいブワイフさんの行動。
当初、彼女の瞳には変わらず怒りの感情がにじんでいた。
だが、話が進むに連れ、動揺の色が見え隠れするようになった。
そして、
「……少し待って下さい」
およそ全てを話し終えた瞬間だ。
彼女はそう言って、両手で顔を覆った。
自分の中で話に整理をつけているといった様子だった。
10分も経っただろうか。
彼女は苦悩の表情で顔から両手を剥がした。
「……正直に言って、私の心は半ばです。否定したい気持ちは確かにある。ただ……」
『ただ?』
「……あの人はそれが出来る人です。それすら手段が無いと思えば、人々を救済するためであれば……信仰を捨て、虐殺に手を染めることも出来てしまう人です」
彼女はそうしてしばらく呻いた。
ため息ともつかない声をこぼし続けた。
その最後に、一際大きく息を吐いた。
苦渋の表情で頷きを見せた。
「いえ、貴方を信じましょう。あまりにも振る舞いがアリシア様そのものだ。貴方に素直に救済を求めないところがまた……」
俺は少しばかり前のめりだった。
そこは俺が気にしていたところなのだ。
彼女はおそらく……いや、間違いなく救済を求めていた。
俺に神性として人々を助け導くことを求めていた。
クトゥルフにまつわる現実を見せ、そう決断するように仕向けてきた。
そう、仕向けてきたのだ。
彼女が率直に俺を説得するようなことは無かった。
『ユスティアナさんにはその理由が分かるんですね?』
反応は頷きだった。
ユスティアナさんは悲痛の表情で口を開く。
「あの方を知る者で分からない者はいません。人々を魔性に墜とし、生贄として屠っておいて平然としていられる方では無いのです」
ここまで聞けば、さすがに俺にも分かった。
薄々分かってもいた。
『断罪……でしょうか』
「えぇ。貴方に縋って、自らを救いの対象とみなされるような真似は出来なかったのでしょう。あの方は邪悪として断罪されることを願っておられる。邪悪の報いを待ち望んでおられる」
そう言って、ユスティアナさんは居住まいを正した。
膝に手を置き、俺を鋭い目つきで見つめてくる。
「では、お聞きしましょう。まさか、話はここで終わりではありませんよね?」
俺は少し間を置くことになった。
正直まぁ、そうね。
実際、内緒話を所望した時の俺がどこまでの話を望んでいたのかは怪しいものだった。
ただ、この話になるだろうってことはねぇ?
さすがに予想出来なかったというのは嘘になるわけで、こんな話を俺はしたかったんだろうね。
『正直、迷っています』
「そうですか。お迷いに」
『俺なんてこんなですから。手助けがせいぜいなんです。アリシアさんが俺に求めていることについては……正直、俺じゃ無いだろうって言うか。無理言わないでよってのが本当本音で』
我ながら、なかなか以上に情けない本音の吐露だった。
失望されて当然の感もあったが、ユスティアナさんが見せたのは不思議な苦笑だった。
『え、えーと?』
どういう胸中ですか? ってことなんだけど、彼女は申し訳無さそうに首を左右にする。
「いえ、すみません。なんだか貴方らしいなと思いまして。本当に不思議なほどに自信の無い振る舞いをされますよね?」
『ま、まぁ、はい。心底自信は無いものでして。す、すみません』
「いえ、そんな貴方だからこそ、神格であれど私たちは信頼出来たのです。しかし、そんな自信の無い貴方でも迷われますか? 救世が頭から離れないと?」
俺は頷き的に振る舞う。
そんな俺でも、今回はちょっとね。
『……苦しんでいる人がいるのなら、出来る限り手を貸したいですし。分不相応であっても、その思いは確かにあります』
俺は一応人間であったのだ。
この辺りも人並みと言うか、なんと言うか。
どうしてもね、身の丈に合わなくってもね。
ユスティアナさんは微笑みと共に頷いた。
「それもまた貴方らしいですね。まぁそもそも、蔓延る神格を討ち滅ぼさねば、我々に未来は無いようなものですが。アリシア様は見過してくださるかもしれませんが、遅かれ早かれです。我々は行き詰まるでしょう。徐々に傷つき、滅んでいくでしょう」
俺は『あー……』と言葉を彷徨わせることになった。
その観点はちょっとね。
俺にはございませんでしたね。
彼女は再び苦笑をのぞかせる。
「そこに考えは至ってはいませんでしたか。あるいは、アリシア様も色々と苦労されたかもしれませんね。相変わらず抜けたところのある方です」
『め、面目ございません』
「まったくです。ただ、私はそれで良いと思っていました」
俺はぐねりと傾くことになる。
その発言の意味は何なのか?
ユスティアナさんはどこか儚い笑みで口を開く。
「邪悪なる数多の神格が駆逐され、この地に人々の営みが取り返される。私がそんな期待をしたことは一度としてありません。貴方と出会ってなお、それは変わりません。生き延びた人々が、出来る限り幸せな日々を過ごせればそれで良い。私はその守護者でありたい。そう思っていたのです」
そう言って、彼女は再びの苦笑を見せてきた。
「勘違いはしないで下さい。貴方がどうこうという話ではありません。ただ、私が多くを望むのに疲れていたという話です。ですが……御使い様」
『はい』
「貴方がもし、敵する神格を淘汰し、アリシア様を苦しみから解放しようと思われるのであれば……このユスティアナ・ハルシュ、貴方の刃となり、魔性、邪悪のことごとくを打ち払って見せましょう」
俺は彼女の瞳を見つめることになる。
この人がこの場面で嘘偽りを口にするわけが無いのだが、本気でそう思ってくれているのだろう。
その紺碧の瞳には覚悟の色しか浮かんでいない。
(……ふーむ)
俺は虚空を仰ぐことになる。
後はそうだね。
俺の決断次第ってなるんだろうねー。
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