89:彼らの秘密(2)

 俺は『へ?』と唖然の意思を上げる。

 意味が分からなかったのだ。

 貴方に託すって、一体何をって話であって。


 当然、俺は説明を望もうとした。

 だが、その直前に彼らの1人が動き出した。

 突然、俺のすぐ前にしゃがみこんできまして、えーとラグビー?

 そんな雰囲気でガバリと俺を抱き上げてきた。

 

 抵抗しようかと正直迷った。

 このままアリシアさんやら触手ヅラに提供される可能性はあったし。

 ただ、俺を抱き上げた彼の向かう先は違った。

 護衛らしき2体を引き連れ、彼は触手ヅラを探すでも、都にアリシアさんを求めることも無かった。

 走りゆく先は港の方向だ。

 いつもの作業場というわけでは無かった。

 たどり着いたのは見慣れぬ場所だ。

 バラックとでも言うのか。

 そんな雰囲気の粗末な長小屋が無数に立ち並んでいる。


(こんな場所あったんだ)


 魚顔の人たちの宿泊地。

 そう理解することが出来た。

 しかし、何故彼らは俺をここに連れ込んだのか?

 俺が疑問に思う中で、彼らは走りを止めない。

 生活感の乏しいバラックの合間をすり抜けていく。

 中心地にも差し掛かった頃か。

 彼らは足を止めた。

 目の前にあるのは、妙にしっかりとした小屋だった。

 隙間風に悩まされそうな他の建物とはまるで違う。

 粗雑ではあっても、壁は隙間なく板で埋められている。


 彼らは何かを隠している。


 魚顔の人々について俺はそう直感していた。

 ブワイフさんもまた、それを匂わせていた。   

 関係が無いとは思えなかった。

 彼らは用心深く周囲を見渡した。

 そうして、入口らしき木板に手をかける。

 内部が──露わになる。


『……へ?』


 俺は唖然とせざるを得なかった。

 何があるのかなんて何も予想はついていなかった。

 しかし、これだけは考えもつかなかった。

 ここは異形の都である。

 まったく似つかわしくなかった。

 中にあったのは、いや、いたのは……


(子ども?)


 そう見えた。

 5、6にも満たないぐらいの子どもが、手作り感の強い椅子らしきものに座っている。

 年の頃もあって性別は判然とはしない。

 とにかく栄養状態の悪さが目についた。

 ボロ布から覗く手足は枯れ木のようだ。

 適当に切り揃えられた髪にはツヤは無く、目つきも力無く虚ろなのだが……


(子ども……なんだよな?)


 同情よりも先に疑念が浮かんだ。

 ここは異形の都なのだ。

 まともな生物の気配はどこにも無く、また生きるための糧も存在しない。

 普通の子どもが生きていられるはずが無かった。

 実際、その子には異形の気配があった。

 目はわずかに浮き出ているように見え、手足にはところどころにアザのように鱗が広がっている。

 

 ただ……そうなのかも知れなかった。

 この子は普通の人間なのかもしれない。

 注目すべきは、あの子の周囲だ。

 まず目についたのは、机に置かれた木のお椀、木のスプーン。

 小さな竈のようなものがあり、そこには小さな鍋があった。

 中は空だ。

 ただ、竈の周囲には痕跡があった。

 調理の痕跡。

 麦穂の殻のようなものが散らばっている。

 貝の殻のようなものもある。

 木の皮らしきものも見えるが、あれも調理の跡なのだろうか。


『……あぁ』


 俺は思わず呟いていた。

 魚顔の人たちの妙な振る舞いが腑に落ちたのだ。

 この子のためだったんだな。

 作業船がいずこから戻ってきた時に彼らは露骨だったけどさ。

 きっと食料を運んでいたのだろう。

 この子はきっとまだ人間であり、食料を必要としているのだ。

 だから、触手ヅラたちに見咎められないようにして、それをこの子に届けていたのだろう。


 しかし、何故?


 疑問が頭をよぎる。

 何故、わざわざそんなことをしていたのか?

 いや、そんなことをすることになっていたのか。

 この子は何故、かろうじといった様子だが人間のままでいるのか。


 クトゥルフを信仰し、異形と化してしまえば食の心配は無いはずだ。

 この世界で食料を見つけるなんて並大抵の苦労ではないだろうが、その苦労も必要無かったはずだ。


 それなのに何故?

 理由はなんともなしに察しがついた。

 俺をここまで導いた彼らは、魚の目に必死の色を浮かべていた。

 必死の様子で俺に懇願こんがんしてきた。


《どうか、この子を人間として生かし、人間として死なせて上げて欲しい》


 認めざるを得なかった。

 この人たちはやはり好きで異形に甘んじているわけでは無かったのだ。

 自らの子らに決して味合わせたいものでは無かったのだ。


 彼らは俺の返事を待たなかった。

 一体が子供を抱き上げると、すかさず移動が始まった。

 バラックの集落を抜ける。

 都の外には戦場が広がっているが、その合間を抜けていく。

 ここで一つ気づいた。

 彼らは枯れ木の森へと移動していたが、それはルルイエなんてものを守りたかったわけでは無い。

 この子を守るため、バラックの集落から離れたのだろう。自分たちを囮にしたのだろう。


 たどり着いたのは、戦場からほど遠い森の中だった。

 自らの存在が敵対する者を惹きつけることを危惧きぐしたに違いない。

 魚顔の彼らはすぐに去って行った。

 俺を置いて。

 俺に人の子の1人を託して。


「…………」


 枯れ木のような体をしているが立つぐらいの力は残っていたらしい。

 俺の前に立つ彼ないし彼女は、じっと俺を見下ろしていた。首をかしげて見つめて来ていた。

 頭があまり働いているような目つきでは無いが、それでも状況を飲み込もうとしているんだろうね。

 ただ、説明などはしていられなかった。

 木々の隙間から、俺の居た監視塔が見えていたのだ。

 アリシアさんであろう、金の長髪をきらめかせる女性の姿もまた遠く見えた。

 彼女はじっと俺たちを見つめているようだった。

 そして、それだけだった。

 当然のように、俺たちから視線をそらした。

 そのまま階下へと消えていった。


(……だよな)


 正直、予想していた出来事だった。

 確信があったのだ。

 彼女はきっと俺たちを見なかったことにする。

 有用な生贄だろうと、黙って見逃す。

 そういう人物だからだ。

 彼女はきっと……まぁ、そうなんだろうね。

 俺にきっと期待しているだろうしねぇ。


『……うわぁ』


 俺は思わず呻き声をもらしていた。

 どうすんだよって感じなのだ。

 現実を分からされてしまって、本当どうするのかって話で。

 一体俺はどうすべきなのかって、一体どうしたいのかって話ではあるのだが、


「きゅ、きゅーっ!!」


 幸いにと言うか、思考の迷宮にはハマらずにすみそうだった。

 聞こえるはずの無い声音に当然意識は向かう。

 いた。

 リリーさんだ。

 森の奥から慌てふためいて駆け寄ってきている。

 その後ろではギィギィ鳴きながらリンドウさんが必死でついてきているし、さらには、


「御使い様っ!!」


 彼女の姿もあった。

 凛々しき女剣士であるユスティアナさん。

 いつもは冷静そのものの彼女だが、今は違った。

 息せき切って駆け寄ってきた。

 リリーさん、リンドウさんにもみくちゃにされる俺を、安堵の笑みで見下ろしてきた。


「あぁ、良かった。ご無事でしたか。さすがは御使い様。自力で脱出されるとは」


 褒めていただいて悪いのだけど、照れたり謙遜出来るような心地では無かった。


『……あの、何故ここに?』


 疑問をただただ吐き出す。

 優しい彼女はすかさず笑顔で答えてくれた。


「もちろん貴方の救出のためです。他にも数名がおります。なんとかこの地を探し当て機会をうかがっていたのですが、やはりさすが御使い様であって……あの? この子はなんですか? 人間なので

?」


 彼女はようやく見知らぬ同席者に気づいたようだった。

 警戒の混じった不思議の眼差しを向けているけど……そうねぇ。

 説明は必要だろうね。

 本当、色々。

 ただ、今はうん。

 ちょっと休憩が欲しいかなぁ。

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