86:海魔vs黒色(1)
俺がブワイフさんに運ばれて訪れることになったのは、監視塔と思わしき大塔だ。
かなりの大きさだった。
地上から見上げてもかなりの迫力があり、登ってみれば白亜の都のほとんどが眼下に映る。
20、30メートル程度はあるのかな?
マンションだったら10階建てか、それ以上はありそうか。
周囲を見渡すのには当然十分。
「……ふむ。いるな」
ブワイフさんが目を細めつつに呟いた。
俺にも見えていた。
広大な都を囲むようにして、異様な黒がこれまた広大にわだかまっている。
俺は目を見開くような心地だった。
間違いなく肉塊に由来する化物どもなのだろうが、まったく報告通りだった。
大群だ。
俺に似た灰色なんかは、数えるのがバカらしいほどだ。
黒カニは自然系の番組でよく見るコウモリの大群のようだった。
闇ゴリラの数も両手両足の指では足りない。
下手したら100かそれ以上か。
(ちょ、ちょっと、これ……)
正直、絶句するしかなかった。
襲撃自体は集落でも経験していた。
だが、この規模は無い。
せいぜいがこれの100分の1かそれ以下だ。
こんな破滅的な光景は見たことはない。
だが、彼女に動揺は無かった。
この場には、数体の触手ヅラを引き連れたアリシアさんがいる。
彼女は至って冷静に眼下の様子を見つめ続けている。
「……なるほど。数は多い。ただ、それだけのようです」
俺は「え?」と内心で呟いた。
数が多いだけで問題は無い。
そんな意味合いにの言葉にしか聞こえなかったからだ。
まさか、そんなことがあり得るのだろうか?
不思議に思っている内に状況は動き出す。
『あっ』
気がつけば、迫りくる異形に相対する異形の姿があった。
見覚えはあった。
天に触手の花を咲かせたようなイソギンチャクの化物。
そして、アリシアさんは海魔と言っていただろうか。
10メートルを超えるだろう巨体を持つ、イカらしき灰色の怪物。
俺にとっては襲撃者であったアレらだが、今回は当然この都の守護者となるに違いない。
そうして繰り広げられたのは、アリシアさんの発言を証明する光景だ。
出現した異形の守護者は、数としては襲撃側の10分の1にも満たないだろう。
だが、互している。
いや、わずかに押している?
異常な再生力がものを言っているのかもしれない。
黒カニに切断され、闇ゴリラに叩き潰されながらも、肉塊由来の化物どもを着実に駆逐し続けている。
「ははははっ!! しょせんは紛い物か!! 我らが神の祝福には及ぶべくもないっ!!」
触手ヅラの一体がそう喜色を叫んだ。
紛い物っていうのがどういう意味かは定かでは無いが、彼の言う通りなのだろう。
肉塊の化物よりも、クトゥルフの化物の方が格上。
俺にもそう思えるのだった。
(……やっぱりあり得ないよな)
この光景は、ある種俺の正しさを証明するものでもあった。
俺なんかでは、どう背伸びをしたってクトゥルフなる邪神に対抗するのは無理だ。
立ち向かわないという俺の判断は、どうしようもなく正しいものであるのだ。
(しかし……ふーむ)
俺の正しさはともかくとして、1つ唸らざるを得なかった。
これ、ノーチャンスかもね。
脱出のチャンスかと期待したのだが、どうにもそんな未来はやってきそうには無い。
ただ、思考を止めるわけにはいかなかった。
リリーさんだとかリンドウさんだとか、ユスティアナさんを始めとする人間の皆さんだとか。
彼らが俺の救出に尽力してくれている可能性が一応ほんのり薄味程度にだが存在するのだ。
だとしたら、諦めていられないよね。
俺のできる限りで、なんとか脱出策を講じなければいけないけど、
《…………ド……………こダ…………?》
不意に、そんな声らしきものが聞こえましたらね?
ちょっと考えてはいられないわけですよ。
『へ?』
疑問の声を上げて、俺はブワイフさんの懐から周囲を見渡す。
ブワイフさんはもちろんとして、アリシアさんに触手ヅラの面々。
誰も違うよな?
誰もあんな妙な言葉を発してはいないはずだ。
(なんだったんだ?)
不思議であり、どこか不気味だった。
一番近いのは魚顔の人たちの意思の声だろうけど……いや、違うか。
彼らどころでは無い。
ノイズが走っているような感じで、妙に手応えが無くまとまりも無く。
強烈な異物感。
正直、人の意思だとは疑われる響きであった。
「なんです? どうかしましたか?」
不意に戸惑いの声を上げた俺は、彼女にとっても不思議なものに映ったらしい。
アリシアさんが小さく首をかしげてきている。
なんとなく察してはいたけど、彼女や他の人たちにはさっきの声は聞こえていなかったらしいよね。
それでも一応、聞こえなかったのかと尋ねてみようかとは思った。
何かこう、不気味すぎて妙な胸騒ぎがしないこともないし。
ただ、それは出来なかった。
なぜなら、
「──ッ!?」
突如として、彼女は眼光鋭く視線を翻したのだ。
向かう先は眼下だ。
俺もまた気付いた。
気がつけば、戦場の様相は一変していた。
「……愚かな原初の火め。私怨がために、生けるモノ全てを焼き尽くすつもりですか」
アリシアさんが忌々しげにそう吐き捨てたが、そのものの光景が眼下には広かっていた。
原初の火。
俺には馴染みの無いフレーズだが、いかなる存在について指しているのかは明白だ。
赤かった。
雲霞のごとくの肉塊由来の化物たちは、そのほとんどが姿を消していた。
代わって、赤いのだ。
炎の塊と化していた。
カニのような炎の塊が、燃え盛るハサミを閃かせて飛び回る。
見覚えのある炎の巨人が、火の粉を散らしながらに大地を闊歩する。
クトゥグァ。
ユスティアナさん曰く、不条理なる炎の神。
俺が一度対峙したこともあるその暴神が、この光景の原因であることは間違いなかった。
かつて俺が体験した通り、強力だった。
あの状態にあって、その実力は元の姿とは比較にならない。
形勢は完全に逆転していた。
炎の軍勢の攻勢は、完全にクトゥルフに連なる怪物どもの再生力を上回っている。
触手イソギンチャクの群れは次々と炎の底に沈んでいく。
海魔なるイカの化物もまた同じ運命を辿った。
巨大な触腕で抵抗するものの、その触腕ごと断たれ、千切られ、炎にまかれていく。
「せ、聖女様……?」
触手ヅラの内の一体が、不安そうにアリシアさんの表情をうかがう。
現状への不安が有り有りと透けて見える態度であるが、彼女にその雰囲気は無かった。
ふん、と冷たい目をして鼻を鳴らす。
「しょせんは思慮なき神格の思慮なき攻め口です。抑えが生きている内に、戦力を集中させて確実に撃滅します。まずは東です。貴方たちも急ぎ向かいなさい」
将器。
そんな言葉が頭に浮かぶ落ち着いた指揮ぶりであった。
浮足立っていた触手ヅラたちもまた落ち着きを取り戻した。
粛々と見張り塔を降りていく。
ブワイフさんも俺を抱えて続こうとした。
だが、
「待ちなさい」
アリシアさんが彼ばかりを呼び止めたのだった。
そして、これは彼にとって予想の範疇のことであったらしい。
ブワイフさんは「はぁ」と意味深なため息を吐いた。
「せねばならないでしょうかな?」
これまた意味深な問いかけだった。
アリシアさんは冷たい表情をして頷く。
「当然です。労働者たちを移動させなさい」
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