85:アリシアさん、再び
『あ、あの……私にどんなご用件でして?』
生贄当日でございます。
そんな返答では無いことを切望しつつに俺はアリシアさんを見上げる。
彼女は他愛のない笑みで応じてきた。
「大した用事では無く、様子を見に来ただけです。ブワイフ殿の話では、貴方は我々のために尽力していただけているようですね?」
俺はひとまず安堵を覚えた。
彼女の気まぐれによって予定が前倒しになったわけでは無いらしい。
そして、希望が生まれたのだった。
俺のアホな行いは、アリシアさんには好評のようなのだ。
これはあるんじゃないかな?
生贄の無期延期とかさ?
『は、はい! ちょっとがんばらせていただいております!』
「ありがたい限りですが、どうされました? 何か思うところでも?」
どうやら俺の機転が試される時が来たようだ。
すかさず頷き的な動きをアリシアさんに見せる。
『そ、それはもうっ! この都なんか本当に立派なものでっ! えーと、尊き方のご威光がにじみ出てるようでっ!』
咄嗟にしては良いおべっかだったかもしれない。
アリシアさんは嬉しそうに笑みを深めた。
「あら、くすぐったいことをおっしゃられる。そうですか、そんなことを思われましたか」
『は、はいっ! 心より感じ入った次第ですっ!』
「ふふふ、そうでしたか。私はてっきり、周囲の彼らへの同情なりがあっての行いだと理解していましたが」
感想としては、うん。
俺って、そんなに分かりやすいでしょうかね?
『……ち、ちがいますよー? ほんとうでございますよー?』
「慣れぬことはなさらぬ方が良いかと。5つの
さすがに5歳児相手であれば良い勝負が出来ると思うけど、ともかく俺は黙り込むしかなかった。
もはやどう言い繕っても信じてもらえる雰囲気は無いし。
失敗。
現状はそう表現するしかなかった。
どうしようもなく意気消沈することになるけど、そんな俺にアリシアさんは目を細めた笑みを見せてきた。
「……やはり脱出以上のことは思案に無いご様子ですね」
呟きのように発せられたのは、よく分からない妙な発言だった。
俺がぐねりと体をかしげていると、アリシアさんは笑みのまま静かに言葉を続けた。
「取り立て変わりはないように思えまして。同情があるのならば、現状を決して良しとみなしていないと思うのですが」
『あ、あの、えーと?』
「なりませんでしたか? この現状を知って、自らが救いの主になろうとは?」
俺は戸惑うしかなかった。
非常に既視感のある質問であり、相変わらず意図の読めない質問でもある。
ブワイフさんからも似たような質問を受けたが、こちらは理解は示すことが出来るのだ。
なにせ彼はクトゥルフを邪神と呼んではばからなかった。
俺に求めるところがあるのだって、そりゃ理解は容易だった。
一方で、アリシアさんの考えは読めない。
彼女はクトゥルフとやらの生粋の信奉者のようなのだ。
彼女は一体俺に何を求めているのか?
分からないが、黙り込んでいるのも怖い。
俺の態度が
『ま、まさか。俺なんかにそんな』
俺の偽らざる本心であり、狂信者を刺激しないはずの無難な返答だった。
だが、それはアリシアさんの望んだ回答では無かったのだろうか。
「……なるほど」
彼女は短くそう言った。
薄く目を閉じると、しばし黙り込んだ。
そして、
「まぁ……それが賢明な選択というものでしょうか」
アリシアさんは、どこか儚く見える不思議な笑みで俺を見下ろしてきた。
「貴方は転生者なる存在をご存知ですか?」
突然の思わぬ質問の言葉だった。
俺は思わず『え?』と戸惑いを露わにしたのだが、それは否定と彼女に受け取られたらしい。
「知らないようですね。この地の神による、哀れなあがきの産物です。不思議な者たちでした。何かしらを産み出すことに長け、自らを数値化し、ある種設計するといいましょうか。説明はなんとも難しいのですが、ともあれ強力な力を持っていました」
俺は彼女の言葉を
何かしらを産み出すことに長け、自らを数値化し、ある種設計する。
まぁ、どうだ?
俺とよく似たことが出来たってことで良いのかな?
いや、俺が彼らに似たことが出来るって話か。
多分、この地の神はあの女神様であり、転生者ってのは俺の先輩に当たる人たちだろうし。
何故、彼女は突然俺の先輩方について話し始めたのか?
そこは分からないが、少しばかり気にかかった。
強力な力を持っていたらしい彼らはどうなったのか?
アリシアさんは淡々と言葉を続ける。
「とは言え、しょせんは人間でした。普通の人間です。神々と渡り合えるような精神性に縁はありませんでした。当然、我々の敵では無く、ナイアーラトテップを相手にしては哀れなほどでした。為すすべなく刈り取られていきました」
俺の胸中には納得しかなかった。
多少力があったところでそうだよね。
肉塊に連なる怪物群に、クトゥグァなる不条理な炎の神、さらにはクトゥルフだとかいう人を魔性に墜とす怪異の
普通の精神性で立ち向かえる相手では無いのだ。
もちろん、俺も含めて。
立ち向かえなくても、それは……きっと仕方がないことだ。
俺の胸中を見透かしたように、アリシアさんは小さく頷きを見せる。
「そうです。無理なのでしょう。誰も抗うことは出来ません。有象無象の神性にはもちろん、我らが尊き方には到底及ばない。誰も……そう、誰も我々を止めることは敵わないのでしょう」
そう告げてきたアリシアさんの顔から俺はしばし目を離せなかった。
妙な雰囲気しかなかったのだ。
彼女にとって、敵がいないことは喜ばしいことのはずなのだ。
だが、彼女の表情にその気配は無かった。
一体どんな感情があっての笑みなのか。
その目が映しているのは俺では無い。
ただただ、どこか遠くを映しているように見えた。
(この人は……)
俺は疑問に思うのだった。
この人は本当にそうなのだろうか?
クトゥルフの信仰者なのだろうかか?
狂信者なのだろうか?
知りたくなった。
問いかけたくなった。
ただ、
「聖女様っ!!」
不意に緊迫の声が響いた。
俺の注意は自然とその声に向くことになる。
どうやら、都の方向から触手ヅラの一体が駆け込んできたようだった。
その彼は肩を上下させ、動揺も露わにアリシアさんに叫びかける。
「接近を許しました!! 大群です!!」
何の話かとはさすがに疑問には思わなかった。
似たようなことを、俺は集落において何度も経験していたのだ。
アリシアさんも当然理解しているらしい。
先ほどまでの妙な笑みはいつしか消えていた。
目つき鋭く冷然と応じる。
「黒き劣性種どもですか。付近の母体は滅したはずですが……
「戻ってはおりません。おそらくは……」
「分かりました。では皆さん、所定の通りに。指示が必要であれば追って出します」
そうしてアリシアさんは歩き出す。
おそらくは、黒き劣性種……俺が灰色さんとやら黒ゴリラと呼んでいる化物どもに対処するためだろう。
触手ヅラたちもそれぞれの方向に散らばっていく。
「掴むぞ」
不意に、頭上から声が降ってきた。
次いで衝撃。さらには浮遊感。
言葉通りと言うべきか、掴み上げられたのだろう。
俺の見上げるところには、ブワイフさんらしき触手ヒゲの
「
そうして彼は俺を抱いて歩き出した。
アリシアさんの補佐を担うためか、彼女の背中に続く。
しかしまぁ、うん。
突然の自体にちょっと呆然としていた俺だが、ちょっと考えるのだった。
気になることは色々ある。
魚顔の人々は一体何を秘密にしているのか?
アリシアさんは本当に心から邪神を信奉しているのか?
ただ、俺の立場で今考えるべきことは違うはずだった。
(チャンスなのでは……?)
混乱の気配が
俺が脱出するチャンスもあるいは生まれるのでは無いだろうか。
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