81:異形の住人たち
さすがにガックリと来るものがあった。
脱出が成功する見込みは限りなく低い。
そう状況を理解するしか無かったからだ。
(
胸中は後悔ばかりだった。
うっかり油断したばっかりに取り返しのつかないことになってしまった。
ただ、自己嫌悪に浸ってばかりはいられなかった。
なぜなら、
「おい」
頭上から声がかかったからだ。
見上げると、そこにあるのは魚のお目々に触手のおひげ。
アリシアさん曰く、ブワイフ。
現在の俺の持ち主である。
彼はいずこかへと歩みを進めつつ、片腕で抱く俺を
「意思の疎通は出来るのか? 聞こえているのならばさっさと応じろ。ワシは待たんぞ」
なんか、怖っ。
それが俺の正直な胸中だった。
理由として異形の威圧感はもちろんあるが、口調も態度もどこか荒々しいのだ。
前世の俺には縁の無かったタイプであり、苦手なタイプでもある。
どうにかスルーを決め込みたい。
それもまた俺の正直なところだったが……だ、ダメだよなぁ。
無視を決め込んで、この荒々しい
多分、ぶじゅん。
さっき目の当たりにした剛腕が俺の軟弱ボディを貫通しかねない。
そうである。
絶望気味ではあるが、進んで死を選ぶにはまだ早いのだ。
多分、俺の独力ではもはやどうしようもない。
ただ、俺には頼れる味方がいる。
彼ら、彼女らの助けが来るまで生き抜く。
それが迂闊で不出来な俺が果たすべき最低限の義務に違いないのだ。
ということで現在のタスクです。
死のリスクは最低限に留める。
そのために、この触手ヅラさんをキレさせるようなことはしない。
「……な、なんでございましょうか?」
ということで、可能な限り
ただ、げ、
ブワイフさんとやらは不審そうに眉根を寄せる。
「なんだ、その妙な口調は? バカにしているのか?」
どうにも慇懃無礼的な勘違いをされてしまったらしい。
もちろん俺は慌てて弁明する。
「ち、違います違います! これはですね、捕虜としての当然の気構えと言うか、礼儀を示している的な何かでして……っ!!」
「…………」
「あ、あの……ですよ? 本当でございますよ?」
俺はビクビクとしてブワイフさんの反応を待つことになる。
彼の足音ばかりが響き、白亜の建築群がただただ通り過ぎていく。
そして、
「……ふーむ」
ブワイフさんは不意にそう呟いた。
その上で、両目を細める。
俺をじっと見下ろしてくる。
「……
結局、反応はそれだけだった。
彼は前を向き、ズカズカといずこかへ進み続ける。
俺はまぁ、キレさせずにすんでひとまず安堵だった。
ただ、な、何だったんですかね?
よく分からない発言だったが、どうにも観察されていたような雰囲気はあった。
この触手ヅラさんの役割は俺の監視役のはずだ。
監視役として、対象の意思の把握にでも努めていたのか? それとも、何か別の意図でもあるのか?
分からないままに、風景が変わった。
不意に大きく開け、青が広く視界に映る。
空と海の青さ。
人によっては心躍る光景かも知れなかったが、俺はそうはなれなかった。
いや、空と海の美しさは感嘆ものではあったけどね。
問題はそれ以外だ。
そこは港であるように見えた。
帆も
多くの巨大な
この異質な都の材料なのだろうか。
筏には、白亜の巨石がいくつも積まれていた。
そして、それを陸に引き上げる者たちの姿がある。
粗雑な衣類をまとった彼らは──人では無かった。
あの魚顔たちだ。
10や20の数じゃない。
多数の異形の者たちが、滑車や丸太を駆使して運搬に精を出している。
間違いなく異常な光景だった。
俺は絶句するしかなかった。
ただ、当然と言うべきか彼は違った。
「まぁ、この辺りで良かろうな」
そりゃ見慣れているということか。
ブワイフさんは近くの石段に淡々と腰を下ろした。
「さて、尋ねるぞ。アリシア様は人の収奪に出向かれたはずだった。貴様は人の集落に神として存在していたのだな?」
俺は「へ? 」とマヌケに漏らすことになった。
目の前の光景に思考を奪われていたためだ。
ただ、マヌケで居続けることは無しであり、オウム返しなどはもっての他だった。
この御仁を怒らせないことが、現在の俺の最重要タスクなのだ。
「え、えーと、集落にはいましたけど、別にあの、神? いや、そういうわけでは……」
「妙に歯切れが悪いな。なんだ? 人々を喰い物にして、我らを滅する力でも蓄えていたのか?」
「は、はい? 喰い物? そんなのまさかですし、滅するってなんか物騒な……」
「しかし、貴様は神格なのだろう? では、人に寄り添っていた目的はなんだ? ひ弱な外見だが、それは
俺は言葉に詰まらざるを得なかった。
こう嵐のように根掘り葉掘りされると、返答以上に思考が追いつかない。
さらには俺の胸中はとある違和感でいっぱいだったのだ。
「……あ、あの、何故ですか?」
思わず
頭上のブワイフさんは、異形の頭を小さくかしげた。
「何故? 何故とは何のことだ?」
お前は質問だけに答えろ!! 的に怒鳴られるかと思えば、意外と優しい反応が返ってきたのだった。
やっぱ良いですと答えた方が怒られそうな気配もある。
俺は恐る恐るとだが、違和感について尋ねることにした。
「何故そんな色々尋ねられるんです? その必要って一体……?」
監視役として抵抗の意思があるか確認しようというのであれば分かるのだ。
ただ、この根掘り葉掘りはその域を超えている気がする。生贄の素性なんて、大して重要だとは思えないし。
彼は淡々と口を開く。
「流石に、アレだけではわしも分からんからな」
「へ?」
「あの方の意図を推し量ることは出来ん。まぁ、後で尋ねるだけだが、ワシなりに貴様を推し量る意図もある」
つまり一体どういうことなのか?
俺が困惑する中で、彼は俺をじっと見下ろしてくる。
「とにかく答えろ。貴様は何者だ? 何を思って人と共にあった?」
彼の言い分はさっぱり理解出来なかったが、これに答えないのは危ない予感がプンプンとする。
俺は慌てて言葉を作る。
「な、何者と言われましても、神だとかそんな大層な存在じゃないです。別に大したことは出来ませんし。それで何を思ってと言われましても、少しでも手助けになることが出来ればとしか……」
納得は生まれなかったっぽい?
ブワイフさんは再び頭をかしげる。
「それは、ずいぶん謙虚で善良に聞こえるな。私欲はどこにいった? まったく神らしくないではないか」
「そ、そんなことを言われましても。皆さん大変な目に遭われていたみたいで、本当少しでも力になれたらってそれだけで」
「人に都合の良い神であるようにしか聞こえんな。しかし、ならば何故だ?」
「はい?」
「あの方がおっしゃるには、貴様は力ある神なのだろう? ならば何故だ? ここにも大変な目に遭っている者はいくらでもいるぞ?」
そうして彼は空いている片手で前方を指差した。
そこにあるのは港の光景、黙々と働く魚顔たちの光景だ。
俺はブワイフさんの問いかけに答えられなかった。
返答を考えるためには頭が働かなかったためだ。
初めて目の当たりにした時の衝撃が蘇っていた。
魚顔たちはまったく黙々と働いていた。
文句1つも言わず、黙々と巨石を
ユスティアナさんは何とおっしゃっていたか。
クトゥルフとはいかなる神か。
『……あの人達も作り変えられたってことですか?』
思わず尋ねていた。
ブワイフさんはわずかに眉をひそめた。
「なんだ? 藪から棒に一体どうした?」
『どうしてもその……そういうことですよね? 都合の良いように作り変えられたんですよね? 文句の言えないようにされて働かされているんですよね?』
以前に聞いた通りであれば、そのはずだった。
彼らはそうしてルルイエなるものの
ブワイフさんは「ふむ」と漏らした。
わずかに首をかたむけて俺を見下ろしてくる。
「どうにも今さらの物言いに聞こえるな。なんだ? まさか我々について知らなかったのか? 初めて目の当たりにしたのか?」
『知ったのも見たのもつい先日で……こんな人たちがいるんだ』
驚きと言うよりは、やはり衝撃だった。
どうしてもこの光景から目が離せなかった。
ただ、
「……なるほどな」
その呟きに意識を引かれることになった。
頭上では、ブワイフさんが頷きつつに触手のヒゲを撫でている。
「そうか。知るべきことを知らぬ。そういうことか」
なにやら納得の雰囲気であるが、彼は何に対して納得しているのか?
分からないが、ともあれ彼は俺を見下ろしてきた。
「違うぞ」
そしての一言がコレであり、
「彼らは望んであの姿になった。望んでここにいる。望んで造営に従事している」
続く言葉がこうだった。
もちろん言葉通りには受け止められない。
この人は、おそらくはアリシアさんと近しい存在だ。
クトゥルフなる神を心の底から信奉する者。
正直、都合の良い
ただ……どうだ?
俺は目を見張るような心地だった。
原因はブワイフさんの表情だ。
彼は眉間に深い谷を作っていた。
心底不快そうに口元を歪めていた。
「ふん。むしろ、これ以上の悲劇はあるまい? 信奉する他に無いのだ。クトゥルフなる邪悪を信奉することでしか、我々は生き延びることが出来ないのだからな」
俺は耳を疑う心地でもあった。
邪悪。
この人は確かに、信奉しているはずの神をそう罵ったのだ。
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